べ、別に好きな訳じゃないけど『かなめも』について考えてみるんだからねっ! | リュウセイグン

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『かなめも』が終わりました。

一緒にラジオとかやってるいーじすさん が何度も涙の秘孔を突かれていらっしゃるせいもありますが、僕も比較的好意を以て観る事の出来たアニメでした。

前半は微妙な感じだったけど、後半辺りの妙な暗さというか。
侘び寂びみたいな部分が特に。

しかしながら他のアニメファン層からは微妙な扱いを受けていらっしゃるそうです。

『けいおん!』は良いのに『かなめも』はダメなの?
と、やや不思議だったのですが、以下の記事を見てなんとなく自他の違いが分かりました。

今日もやられやく・『かなめも』の中町かなは原作とアニメじゃキャラが違う

『かなめも』の原作では主役の「かな」がもう少し黒い部分があって、そっちのが面白いよね……というのが(編者の意図もあるでしょうが)大勢の意見のように受け取れます。
原作ファンがそう思うのはある意味当然なのですが、どうやらアニメだけを知ってて原作のネタを紹介されただけの人も「黒い方が良い」と言ってるみたいです。

でも、コレを見た僕としては

「こんなん凡百の萌え作品じゃん。つーかアニメではこの設定出来ないに決まってるだろ

って思ったんです。
漫画を読んでいないので詳しい事は言えないのですが、恐らく僕が『かなめも』に対して感じた好印象はアニメ特有の物と考えられるのです。
何故なら気に入ったのが萌え4コマ漫画では表現しにくい部分ばっかりだから。

具体的に言えば代理が基本寝る時横向きで指をしゃぶっており、かなが部屋に入ってくるシーンでは見えているかどうかに関わらず居住まいを正している部分とかです。

そしてアニメ後半では、かなが楽しい現在と来るべき未来の別れに想いを馳せ、揺れ動く心情やそれを表現する演出が良かった。
これらはいずれも4コマ漫画で描くのが極めて難しい。従ってアニメオリジナルであろうと推察します。

そして、こういった部分を描く為には、かなが黒くては成立しづらいのですね。

何故ならば、上記記事に於てかなが黒いのはミカちゃんに対する時と、はるかさんを無視する時。
言い換えれば

「自分より世間知らずな少女を弄る時」




「弄られても(代理などの了承があって)無視出来る時」

です。
漫画のかなは、自分の属する社会のヒエラルキーを理解、或いは設定して、しかもそれに順応して楽しんでいたりもするんですね。


普通の萌え4コマならばなんら問題ありません。
しかし、アニメのように孤独さや不安感に焦点を当てたい場合「社会に順応し楽しんでいる少女」が、孤独を語り出すと紛れもなく奇妙な状況に陥ります。

或いは、いつもは楽しんでいるようで実は……という描き方も出来るでしょうが、やはりミカちゃんの様な「自分より(色々と)弱い子」に対して下に近いネタを振っている時点で違和感の方が強くなってしまう。

だからこそ、アニメ版のかなは少し純真すぎるくらいの少女として設定されている訳です。
最終話では多少黒い部分も出ていましたが、上記記事ほどにえげつない物ではなく、むしろ黒くても微笑ましい部類に入ると言える程度になっていたと思います。

従って、アニメ版のかなはあの性格で良い……というか「あの性格でなければならない」僕は思うんですね。

黒い方が面白い……と捉えられる場合は確かにあるかもしれません。
ただ、正直に言ってしまうとそれは「萌えアニメ」として面白く、またその場合のかなは「萌えキャラ」という域を出ない、と僕は考えます。

天涯孤独の身の上ながら、萌え4コマでは必然それを掘り下げずに日々のコントが中心になる。
そこでのかなの身の上は、あくまで背景や設定であり、ネタ振りの領域を出られません。

(今一度言いますと本編漫画は未読で、上記記事の抜粋と4コマという性質から考えられる状況を想定しております。もしも4コマでありながらキチンと内面まで掘り下げていればそれはまさに天才的だと言えるでしょう)

一方、少なくともアニメではかなを「人間」として捉え、その上から作り手が「この少女の気持ちや感情の動きはどうなんだろう?」と探りながら理解してあげようとしている様が見て取れるのです。

これは「萌えアニメ」としての面白さではなく、「心理ドラマ」としての面白さとなります。
だから恐らく漫画の黒い部分が良いって言う人は、やはり「萌え作品」という文脈で評価しているんだろうなぁ……と少し皮肉に考えてしまったりします。
それが良くないと言う訳じゃないのですが……なんというか違う文化で評価されているので戸惑う、という感じでしょうか。元々がそういう漫画だから仕方ないですし、また「萌え作品」として楽しみたいという人の気持ちも大いに理解は出来ます。
しかしながら、なんだろうなぁ……評価出来るのは「萌え」って文脈だけじゃないだろと言いたくもなる訳で。
(反対に言えば、僕は萌えを軽んじているとも自覚しなければならないかもしれません)


僕はこういう感じで、原作者にしろアニメ製作者にしろ作り手が登場人物の心情に想いを馳せて理解してやろうとする姿勢が見え隠れする作品がとても好きです。
『けいおん!』『化物語』も、散々に批判していながら最終回エピソードに好印象を抱いたのは、今までキャラクターとしてしか描いていないように見えたこれらの作品が、最後の最後で登場人物と真剣に向き合ったように思えたからです。

他にも『プラネテス』とか『ウルトラマンメビウス』も、単純に設定を設定と受け取らず、その設定の裏側に登場人物のどんな想いが隠れているのかを模索している部分があって、それが自分的な高評価の一因になっていると思われます。
今期では『宙のまにまに』とかでしょうかね。

アニメ版のかなは、確かに原作に忠実ではないかもしれません。
けれど原作を読み込んだ結果、その主人公を「萌えキャラ」としてではなく「人間」として考えてあげたからこそ、あのような性格になったんじゃないでしょうか。
それでも、おっとりし過ぎて鼻につく所とかもあるし、流石にキャラデザは目が大きすぎだろとかも思うのですが………沢山ある類似作品(あんま見てませんけどね)なんかよりは余程良い印象を残した一作でした。

最終回のエア自転車とかは凄い好きなんで、ああいう事がもっと沢山あったら自信を持って「好き」と言える作品になっていたかもしれません。