今更ながら勝間VSひろゆき対談『幸福論』について | リュウセイグン

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(敬称略でお送りします)
過ぎた話題の感もありますが『勝間・ひろゆき対談』 について少々感じた事を。



対談の流れは概ねケンカを売る勝間にひろゆきがツッコミを入れる感じで、ひろゆきに軍配を挙げる人が多かった印象(ネット世論だからというのもあるでしょう)

僕個人も動画ではなく文章で読んで、勝間は大上段に構えて隙が大きく、ひろゆきはその間隙を突いてたんだな……ってのがある程度のイメージ。
またネットの匿名性やら企業論については必ずしも話題に明るく無いので雰囲気としての判定がし辛い一面もあります。

ただ、物凄く引っ掛かったのが幸福論。



勝:日本の中で幸せで、起業しなくても幸せで、多少失業率
が高くても

ひ:先生すいません(笑)、起業 しないと幸せになれないんですか?


勝:起業はとりあえず放っておいて良いです。


ひ:ああ、はいはい。


勝:若者は今の現状の中で幸せなんでしょうか。


ひ:自分は幸せだと思う選択肢を取っているだけで、
起業 するというのは幸せになる選択肢で はないというだけだと思いますよ。


勝:でも今現在若者と呼ばれる若年層の人たちというのが閉塞感を感じているような、


ひ:それは歳取った人も感じてるんじゃないですか?


勝:じゃあこれは何故ですか?


ひ:だって世界経済 不況 じゃないですか。


勝:でも日本だけが特に不況ですよね。


ひ:ん~。特に不況って、その感覚値の問題なので、


勝:いや数値の問題として


ひ:確かに経済としての不況は数字になりますけど、そのどれくらい不幸なのかっていう不幸さっていうのは個々の主観の問題なので




勝間が日本の不幸性を挙げると、ひろゆきは「幸せの感覚」について反論します。
不況の中で日本に閉塞感があるのだと主張する勝間は金や起業という「客観」から幸福を語るのに対し、ひろゆきは幸福は「主観」であるから……と対抗した形です。
ここまでは良い。
その後、ひろゆきに対して勝間は幸福度調査を例に出します。



勝:不幸も全部これ統計 データを取る限り日本は様々な幸福度調査において必ず下位ですよ。



この調査が信用出来るかどうかはいざ知らず、これは少なくとも日本人の「主観」としての幸福論の根拠になります。

しかし、これを受けて、ひろゆきは


ひ:ええ、だからそれは本人たちがそう言っているわけで、じゃあそのジンバブエ 人とどっちが幸せかと言ったら、日本の方が割と幸せだと思いますよ。


と語るのです。


……ん?




ジンバブエが大変な国(不幸な国)なのは分かります。
でもこの大変さは「客観」としての大変さであって、即ち金銭等を幸福の寄りどころとする考えに通じます。途中でOECD諸国に移ったりしますが、要は同じ事。
さっき幸福とは「主観」によりけりと語っていたのでは?
だから勝間は主観的な幸福度調査を出して来たのでは?


勝間はこういう部分を無視して真っ向から喰らいついてしまうので、このツッコミはスルーされたのですが、僕としてはとっても気になります。

この後の話でも


ひ:いや、だから僕は水と安全が確保されているということが大事で、で後は別になんか給料が低いとかって言うのは生きていく上でそこまで重要ではないと思 うんですよ。


このファクターはひろゆきが勝手に決めたもの
ファクターを決める事自体は自由だと思うのですが、こういう一方で



勝:幸せにはいくつかファクターがありまして、昨日より今日、今日より明日が良くなるとか、自分の能力が自分の最大限発揮されてそれに対して、まさ しく家族ができて友人できて社会が喜んでくれるとか、様々な私たちの幸福度を左右する物があるんですけど、そういうものに対して、あまり少なくとものこの 10年、20年を見た場合に若者達の状況が良くなっているとは思えないんですけれども、


ひ:そもそもそのファクターが、勝間 さんのファクターで、他の国だと死なないとか襲われないとかレベルから幸せが始まっているのに、日本ってそれは当たり前だよね、でその上って話になって




ひろゆきは勝間の設定したファクターにはツッコミを入れています
でも自分のファクターも諸国を引き合いに出しているとは言え、

勝手な基準じゃないのか?


勿論、最低限な分だけ勝間よりはずっと普遍性があると思いますが、このラインで果たして幸福足りえる人がどれだけ居るんだろう。
更にひろゆきは現状に幸福を感じない日本人を



ひ:ええ。そのなんか要は、不幸せだというように言いたがる人種だとは思うんですよ。



と言ってしまいます。

……それは人種や民族性って言うより
段階的に富裕化した人間の性質なんじゃ?


「水と安全だけあれば」、なんて部分にも通じますが、短期的には水と安全が有れば満足出来るかもしれないけど、それが常態化すればもっと上を求めたくなるのは不思議な話では無いと思います。
マズローの欲求段階設 とかですね。


これらは、


勝:でもそれを他の国と比較した場合に幸せだから、じゃあ10年前、20年前よりも不幸せで良いという議論になっちゃうんですか?


ひ:別に構わないと思いますけど。そんななんか、いつでも世界中でトップレベルで幸せにならなきゃいけないっていう方がおかしいと思いますよ。



という下りや、ひろゆきのブログに記された幸福論 からも分かるように、彼の価値観を反映している部分もあるでしょうが、それ以上に主観幸福論を主張した直後、ジンバブエよりまし……と語っていることから、この場では単に勝間の言い分を否定したいが為に適当な繰り言を述べているようにも見えます。


自分の幸福ラインを最低限にでも主張するなら、勝間のラインもまた否定出来ないだろう。
個人的には幸福論としてみた場合、ひろゆきに共感しますし勝間は押しつけがましいなぁとは思います。
でも、結局ひろゆきも自分の幸福論のラインを正しいとして、勝間の意見を下してしまうので平行線なんですね。


ひろゆきみたいなスタンスで居る場合、お金が無くても幸せという主観的幸福論が成立すると共に、勝間のお金が重要という客観的なようで実はけっこう主観的な幸福論としてのファクターも必ずしも否定出来なくなります
水と安全を確保するには必然的に社会全体の経済的な安定が必要不可欠なんじゃないかという気もするし。

安全という定義問題もあるしね。
究極的には犯罪や事故が一切起きない事まで「安全」に入る訳ですから。


ぶっちゃけ、ただ押しつけがましいから反抗したのかもしれません。
自己で幸福を規定するのは構わないけど、それを無理強いしないでくれ……みたいな。


そんな訳で、ディベート結果の印象としては確かにひろゆき有利でしたが、(他の部分も含めて)どちらかというと勝間の論調が拙かったからひろゆきの詭弁みたいな言説が通った……って感じを受けました。