世紀末オカルト学院・総括 | リュウセイグン

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長文多し。

そ れ が オ カ ル ト で す !




この作品も最初は不安混じりだったのですけれども、とても良い物に仕上がってくれました。
ドラマも結構丁寧で、伏線なども細かく散りばめ、オカルトとしては濃すぎず薄すぎずといった案配。
そして時間物としてもある程度の作りを魅せてくれたのが嬉しい。

色々謎やら矛盾めいた要素もあるのですが、そこら辺含めて考えていきたいと思います、
5人のアベミノルについて。
これは放映当初、視聴者方の多くがアベミノル=内田文明だと思っていた為に並行世界とかクローンだとかいう話になってしまいました。けれどNo.5の声優さんは別の人で、画面で確認しても黒っぽい髪の男性です(文明は栗色)

そして超能力も違うことから、アベミノルとは過去改変トラベラーのコードネームらしいことが推測されます。
過去改変の為に6人の超能力者が目を付けられ、アベミノルという名を与えられた。
その最後の一人が内田文明だったというわけ。

で、次の問題は5人のアベミノルで過去が変わらなかったのは何故か?
です。
これはざっと思い付いた理由として二通り考えられます。

一つは『やっぱりマヤもまたノストラダムスの鍵だった』のではないか……と言うこと。
美風は完全にマヤを付け狙っていました。マヤが死ねば時空のひずみを生じさせられる、とも。
時空のひずみの因子には二つあったのではないか、という考え方です。

(1)マヤが死んでしまう。これが美風の取ろうとしていた方法。
(2)大人文明が子供文明と出逢う。これが最終回で実現されてしまった方法。

マヤが自分で撮った写真は、念写の要素が欠けているのは文明も言っていたとおり。結局彼女はキチンとした形で写されていません。だから「マヤが鍵ではない」と証明もされていないのです。

この時、5人のアベミノルの世界は並行して存在し、それぞれが滅びの未来に集約されます。
今回は(1)を阻止して、尚かつ(2)に抗ったから平和な未来になったと。

もう一つの可能性は『タイムトラベラーは同一時間軸に送られていた訳ではなく、文明が最後に送られた事自体が滅びの未来を作り出していた』と言うことです。

ややこしいかもしれませんが、マヤも鍵説の場合は学長偽装死後~7月21日に5人のアベミノルが送られることで、それぞれのアベミノルが同一時間軸に存在することとなって並行世界的解釈が産まれます。
この場合はマヤの死がトリガーになると仮定するので6人目のアベミノル=文明が送られなくても未来はそのまんまです。

一方で、5人が死んで6人目が送られる事自体が必然だった……という考え方も出来る。マヤの生死は関係ない、という立場です。但しこの場合、文明が過去の文明と出逢うことが条件ですから時間軸は一本に絞らなければなりません。No.1~5が死んだだけでは文明同士が出逢うこともなく、カタストロフィ自体が起きないからです。
全てのアベミノルが学長死後に送られたと仮定して、彼らがコミュニケーションを取ってないのは不自然です。またモスマンの巣でNo.5のケータイが発見された事も傍証になるかと思います。

No.1~No.5は学長の死(葬儀)よりも先行して送られたのです。

最終回で学長が「私の居なくなった後に送り込んだ」と言っていましたが、この台詞も幾らか解釈が可能です。

今までは先行して送ったが、考えてみても自分の居る時に鍵はなかったので、No.6だけは葬儀時点に送り込んだ……ということ。恐らくタイムマシンも自由に操作できるわけでは無いものと考えられます。

もしも自由に時間移動出来るならカタストロフィ時に送り込んで、何が『ノストラダムスの鍵』なのかを特定した後に7月21日以前に人を送り込んで破壊する……というやり方が通用するからです。

傍証として未来の人が「もうすぐあちらでは7月21日だぞ……」と焦るシーンがあります。

これも自由にタイムトラベル出来たら、時間が無くなった時点で一度帰還させ、また7月初旬辺りに送り込めば済むのです。よって未来人のタイムマシンも何らかの限定条件があるのでしょう。

例えば過去遡航可能なのがが12年と数ヶ月分まで……とかwwwwこれは御都合主義的ですが、少なくとも文明が1999年7月21日を迎えてしまった後に、過去へ送り直すようなやり方不可能なのだと考えられます。なんでわざわざギリギリなのかという疑問もありますが、6人目……最後の一人に合わせて時間を調節していたとすれば不思議ではない。

その中で、内田文明が子供の自分と遭遇して『ラマチャンドラン・フィッシャーの予想』のケースを起こしてしまってカタストロフィ……というのが学長たちの居る未来であった。これが文明が送られるまでの過去が組み込まれた必然的未来という仮説です(もっとも結局未来変わってるから絶対の必然はあり得ないんですけどねwww)

で、今回は何故カタストロフィ回避が為されたのか?
それはもちろん文明が宇宙人に立ち向かったからです。
また、マヤも鍵説を採るならばマヤも文明も生き延びた上で文明が立ち向かったからです。

逆に言えば滅びた未来の歴史では、(マヤが死ぬか)子供文明と大人文明が遭遇しても宇宙人に戦いを挑まなかったであろうことが推測出来ます。

今回は何が違ったのでしょう?

それは子供文明が「自分の足でオカルト学院を訪れたこと」に他なりません。

本来のカタストロフィは7月21日でした、これはつまり子供文明と大人文明が講演会前後に遭遇したことを意味します。子供文明は「親の意向で」オカルト学院を訪れ、大人文明と遭ってしまいました。この場合、未来の人は回避しようと思わなかったのか、マヤは公演を中止しようと思わなかったのか……などの疑問点が残りますが、ともあれこれが滅びの未来、本来の未来でした。

しかし今回は子供文明が親の言いつけに背いて「自分の意志で、自分の足で歩いて」来ました。
それで7月20日に遭遇というイレギュラーが起きてしまったのですが、大人文明はわざわざ「自分の足で歩いてきたのか?」と確認を取っています。(これはどうやら正確には7月20日に行方不明、21日に遭遇みたいですね。ただ子供文明の歩み=大人文明の決意という意味は変わらないと思います)

流されるだけだったはずの自分が、既に自分で歩んでいた。
だからこそ大人文明も自らスプーンを取って立ち上がった訳です。
子供の自分に恥じないように

このスプーンがまた絶妙なところで、これは超能力者ブンメイ君のメタファーです。
それはまた母親の愛を得られなかった過去でもあり、結果として「超能力しか拠り所の無い流されていた自分」でもありました。だからこそカレーを食う時にすら忌避していたのですが、それを自分の手で取り戻す。
ここで中川翔子の主題歌が流れるところなんかは『天元突破グレンラガン』の最終回を思わせて実に気持ちが良かった。
強引だ、という話もあるのでSF的解釈を取るならば

「大人文明は、子供文明との接触によって増大した情報量(超能力含む)を自分の身に移すことにより、一時的に超能力を爆発的に高め、尚かつ過情報を持っている自分ごと時空のひずみに放り込む事により情報量をフラットに戻し、ひずみを塞いだのである」

という感じでしょうか。
ともかく、主人公が戦う意志を固めた上に超能力者(精神の力)だったらそりゃ強くなりますよ!
メチャクチャ? 理屈に合わない?

そ れ が オ カ ル ト で す ! !


と、熱く語ってまいりましたが『アニメカジバノバカヂカラ』と言いたいくらいに最後の最後で本気を出してくれましたね。順番が違わなくて本当に良かったと思います(笑)
JKやこずえも素晴らしいキャラでした、彼らだけで外伝作れそうなレベルwww
そして「夏のこずえ」に於けるこずえのキチ○イっぷりもさることながら、オカルトを求める人の一端に触れるような話もあり、魔法熟女の超バトルもあり、欲張ったものを見事に呑み込んで魅力に変えてしまった作品だったと思います。

このいい加減さ、この懐の広さ、この胡散臭さ

そ れ が オ カ ル ト で す !!!