劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- | リュウセイグン

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基本シューティング



ガンダム00と言えば僕がブログを始めた頃に最終回の酷さにリテイクしてしまった作品であり、よってあまり期待しないで観に行った。何故観に行ったのかと言えばやはり一度は確認すべしと考えたからだ。
身銭を切ることで感想にも発言にも幾ばくかの責任が出よう。

結論としては『TVシリーズよりも良かった』という事は言えると思う。
ただTVシリーズの出来と比較してであるから手放しで良い作品とも言い難い
「アクション要素を頑張ったファーストコンタクト物」という評価が一番妥当であろうか。
『アバター』を観た時と似たような印象だった。
ガンダムじゃない、という批判が多いしそれは理解出来る(現に僕と同時に見終わった人がそう言っているのを聞いた)が、水島監督がガンダムから遠いプロットを採用したと明言していたことだし、有益な批判かと言えば微妙だ。

TVシリーズは理解していた方が良いが、ある程度把握していれば充分だ。
『ガンダム00終了時の設定を利用して出来たSFアニメ映画』という感じかな。

作画は頑張ってて、沢山の物がやったら動く(ただし相手はCG)写し方としては分かり難いにしてもこれは良い部分と捉えられる。

従来のように残念なキャラも少なく、過去の残念キャラが居ても矯正(笑)されるかアッサリ退場(笑)させられるので不快感も少ない。

そんな中コーラサワー(厳密には妻の姓にしたらしいのでパトリック・マネキンだそうだ)のキャラは充分に発揮されていて、むしろ敵でない分萌えキャラとすら言える。
オカルト学院のこずえに近いスタンスを獲得しており、アホな子犬を思わせてどんな場面でも和みと癒しの空気を漂わせてくれる。

TVシリーズと最も違うところは、先にも触れたキャラに纏わる人間ドラマや、政治部分が極めて少ないことである。

TVでは妙に頭の悪いキャラやぶつ切り演出に突飛な心情、何の為に出てきたのか分からない奴、なぞの政治描写や戦術などが鼻についたものだったが、それが殆ど無い
また戦術も戦略も一切無く、向かってくる奴らを撃ち落とすだけなので逆にツッコミどころも少ない

ただそれはあまり描かないから出てこないのであって、ドラマパートが上等かと言えば、やはりあまり誉められた物ではない。刹那はイノベイターとして悩んでいる要素が大きいので、その状況は我々の身体感覚には適合しない。また敵勢力も(音声的には)無言で突っ込んでくる為に

何を考えているのかよく分からない主人公と
何を考えているのかよく分からない相手が
戦ってるんだか戦ってないんだかよく分からない


……という感じになる箇所もあって、基本的にドラマは平板である。
ロックオンやアレルヤも心理的変化はTV時点で一通り終わっているので極端な変化はない。

むしろそういう意味ではあまり尺を取っていないティエリアやグラハムが結構人間的な描かれ方をしていたのはちょっと面白かったかもしれない。


脚本的に良い所は悪いところが(TVシリーズより)少ない所で、
脚本的に悪い所は良いところが(一般的な意味で)少ない所だ。



総括すると『TVよりまし』との評価が一番相応しいと思う。


テーマは「分かり合うこと」を掲げており、まぁ一応ながらTV版からの流れもあるしFCものという意味では妥当ではある。ただ異星体を出してしまうと単に「分かり合う」では少々弱い気もする。肝心の分かり合いそのものも、GN粒子と脳量子波で抽象的にやってしまうので実感が湧きにくい(もっとも私も昔似たような話を書いたことがあるので無節操に批判は出来ないwww)

局所論としては「分かり合い」は悪くないが、一般論として分かり合いを押し出してしまうのはやや危険ではないか。突き詰めれば異星体なら捕食者・被捕食者の関係にもなり得るからだ。虎が鹿と話し合えたとて、菜食主義に転向できるわけも無い。虎には何某かの食料が必要であり、鹿を喰わなければそれで良しとするのもおかしな話であろう。
最近、田中啓文の『銀河帝国の弘法も筆の誤り』中の『銀河を駆ける呪詛 或いは味噌汁とカレーライスについて』(酷いタイトルだwww内容も酷いがw)を久しぶりに読んだが、銀河では非知性体よりも死を認識出来る知性体を補食するのがルールであり、人間を見ると極めて食欲を刺激される宇宙生物が登場する。
これらに「分かり合い」など通用しない

また人間同士であっても兵士の教育などを見ると「分かり合えば争いは起きない」という主張の穴が分かる。
兵士は徹底的に人格否定をされ、怒鳴りつけられながら一個の部品と化す。
この過程を皮肉気に描いたのが『フルメタルジャケット』である。もちろん映画ではあるけれども、軍隊で似たような手法を取るのはある意味必然である。それは兵士を一個の部品としなければ軍隊そのものが立ち行かなくなるからだ。
敵の兵士を思いやり、殺すのを躊躇ったとしよう。それは下手をすると部隊の壊滅を招く。
だからそういう事が起きないように「分かり合わないように」システムの中に組み入れる、それが兵士の教育だ。
分かり合えないから争いが起きる、としても世の中はそれだけではない。

分かり合えるのに敢えて拒否する争いもある。

むしろ戦争行為などはそちらの方が顕著ではないだろうか。
兵士に限らず士官だって政治家だってとどのつまりは同じで、分かり合いを出来る状態でも敢えてしないから戦争が出来る

戦争をやめさせるのに一番重要なのはやはり(精神面をも含んだ)利害関係になるのではないか……というのは私見だけれども。

他にも「分かり合い」の描き方として『獣の奏者エリン』『第9地区』『グローリー』などを元に話をしたかったけれども、更に長く微細な事になるからやめておく。

兎も角、分かり合いの重要性を否定はしないにしても、もう少し突き詰めて欲しかったというのが正直な気分。
多分ウルトラシリーズの上手い脚本だったら1話で描いてしまうだろうし(実際ウルトラマンマックスに類似テーマで『第三惑星の奇跡』 という話がある)

カッコイイガンダムマイスター達やらカッコイイガンダム達の活躍を観るのなら悪くない(ただし主人公は殆ど戦わないけどwww)ガンダムシリーズのファンとしては勧められない。
ガンダム00が苦手な人は期待しないでいると思ったよりも好印象を得られるかな?……という作品。
ただ、お金を払うに値するかと言われれば人それぞれなので難しい。