『キック・アス』 | リュウセイグン

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アスのヒーローは君だ!

キック・アス Blu-ray(特典DVD付2枚組)/アーロン・ジョンソン,クロエ・グレース・モレッツ,クリストファー・ミンツ=プラッセ
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去年末から年始にかけて、話題を攫った異色のヒーロー映画『キックアス』
ボンクラオタク高校生がネット通販の全身タイツを着てヒーローになる、というしょうもない設定でありながらそれを十全に生かした傑作でした。

とは言え、この映画で注目されがちなのはキックアス自身よりもクロエ・グレース・モレッツ演じるヒットガール(本名ミンディ・マクレイディ)。

11歳の完全ロリ


にも関わらず女性器を示すC言語を堂々と使い、ヒートナギナタみたいな武器で悪人どもを滅多切り!

大人顔負けなビッチで小生意気な面と同時に子供らしさを仄かに感じさせる辺りも素晴らしいキャラクターで、この映画の話題の半分以上を彼女が担っていたと言っても過言ではない。

ニコラス・ケイジ演じるオヤジのビッグダディ(デイモン・マクレディ)も、ニコラスの間抜け面が逆に狂気を帯びて見えるという凄い親和性を産み出しました。特に初登場シーンと、それに続くボウリング場のシーンだけでも笑える。

愛娘に拳銃のダメージを実感させる為に普通に撃つ、そして誕生日プレゼントに犬やぬいぐるみを欲しがる娘へ


え? なに欲しがってるのこの子……


と彼氏を紹介されたみたいなリアクション芸も、


「うそうそ、バタフライナイフが欲しいわ!」


と訂正した時の


ほ~っ、お前どうかしちゃったのかと思ったよ☆


という心底安堵した表情もステキ。


彼らは顔を隠して活動するちゃんとした動機もあって、少なくともヒーロー的な設定とキャラ立ちという意味に於いてはキックアス自身よりもずっとこっちのが強い。


でも、『キック・アス』はやっぱりキックアスが主人公の映画なんですよ!


最初に言ったようにキックアス(本名デイヴ・リズースキー)は本来平凡(よりちょっとダメ)なティーンエイジャー。
学校では目立たないし取り立てて何が出来る訳でもない。
ただコミックが好きでヒーローに憧れてるというだけの男の子だ。
ただちょっと違うのは、普通なら憧れだけで終わるヒーローに本気でなろうとしちゃうってこと。


『なぜ誰もやらないんだ?』



これが、デイヴの抱く根元的な問い。
すなわちこういう事だ、ヒーローとはなにか?
強い力を持った者か? 違う、力のあるなしは悪人も善人も同じ。
ヒーローとヴィランの違いは何か。

それは正しき行動だ、その行動を支える精神だ。

じゃあ、誰がやったっていいじゃないか。
この世にはヒーローを扱った作品が溢れてる、じゃあ本当にやる奴がいたっていいじゃないか。


『なぜ誰もやらないんだ?』


そう、僕がやったっていいよな。
ネット通販で全身タイツを購入し、バトンを装備して特訓を始める。
もちろん、この特訓だって小中学生がやるような「なんちゃって特訓」だから大した効果はない。
ところがチンピラの悪事を止めようとしたからナイフで刺され、その上車に跳ね飛ばされたお陰で金属板だらけのちょっと頑丈な体と、末端神経麻痺によるこらえ性が身に付く。(ついでにヒーローコスプレを黙ってくれと救急隊員に頼んだら「全裸で倒れてた」という話になってゲイ疑惑になるというおまけ付き)


ここら辺のアホな設定がまた神懸かってるwww


そしてまたチンピラに襲われている人間を助けるデイヴ。
もちろん知人でも何でもない。
けれど


お前らの暴力をみんな黙って見てる、
それが許せないんだ!



正直、このシーンは凄くグッと来る訳ですよ。
彼はヒーローへの一歩を踏みだした、それがこの言葉であり、作品のテーマ、いやヒーロー物というジャンルそのもののテーマでもある。

正義とは何か?

そんなに難しい事じゃない。

悪事を、困っている人を見過ごさないこと

でも、それをちゃんとやれる人間はほとんど居ない。
せめて僕はそれをやってみせる!
間抜けなカッコだけど、いや姿が間抜けだからこそ、このシーンはガチでカッコいい。
それをギャラリーが動画で撮影して、名前を問う。


キックアス!



それで知名度は上がっちゃう訳だけど、彼の実力自体がしょうもないってのは変わらない。
実力で言えばヒットガール&ビッグダディの方がずっと凄い。
デイヴはあまりの格差、そして他にも色々な要素が絡んでヒーローを断念する。
でも結局、ヒーローに立ち戻る決意をする。
ここが本作のまた名シーンで名台詞。



“力がなければ責任は伴わない”か?
いや、それは違う



これは『スパイダーマン』

「大きな力には大きな責任が伴う」

という言葉の対偶だ。
スパイダーマンもボンクラな青少年で、途中から凄い力を手に入れる。
だからこの言葉が義務として通用する。



僕には力がない。でも、力がないって逃げていいのか?




そう、ヒーローとは力に依るのではなく精神に依るのだ。
だから、弱い僕らだってヒーロー足り得る。

この映画は凄い力を持っていたり、特殊な才能がある奴らの為の映画じゃない。

気弱で大人しくてバカにされがちで、でもヒーローに憧れる気持ちを忘れない奴らへの映画なのだ。


あいつらの映画じゃなく、僕らの映画


だからこそ、主人公はヒットガールじゃなくてキックアス=デイヴ・リズースキーなのだ。

またヒーローという存在の性質を考える時、実はキックアスが最も純粋にヒーロー性を体現していることが分かる。ビッグダディの目的は、自分を陥れ結果的に妻を死なせたフランク・ダミーゴに復讐すること。

ヒーローとは基本的に利他的な存在だ。
しかし、復讐は違う。
復讐は自分の為のもの。

復讐者はヒーローではない

パニッシャーやバットマンなどは、確かに復讐が動機として生まれたヒーローだ。
けれどその「復讐」対象は悪人という抽象化がなされる。
つまり「アイツを退治する」のではなく「悪人を退治する」という状態に移行するのだ。
自分の為だけではなく、「自分のような理不尽が起きないように」という公共性が生じている。
またそうであってもアンチヒーローやダークヒーローなどと、やや通常のヒーローとは異なる区分けをされる場合も多い。

ビッグダディは復讐が動機だし、どうもフランクから奪ったヤクを売り裁いてるようである。
つまり利己主義者であり、少なくとも正統派なヒーローではない。

一方でキックアスは悪を見過ごさない=困った人間を助けるというヒーロー的理念が先行して誕生した存在であるから、そのヒーロー性はある意味とても純粋で真っ直ぐなものだ。
で、ヒットガールはと言えば、当初は父親に半洗脳のような形で復讐を刷り込まれていた訳だが、途中で「死を無駄にしたくない」という動機を語る。

復讐の要素が入っているにはいるが、同時に肉親であっても「他者の為に」という部分が生じてきている。
それはまた、キックアスが最終的に本当のヒーローになるのを後押しするのだ。

こういう部分に注目すると、メタヒーロー物、パロディヒーローのようでいてその中心にはしっかりとした骨太なヒーロー観が貫かれているのが分かる。

キックアスは弱くてショボい。
それ故に、誰よりもヒーローらしい。
そしてきっと、彼と同じく誰しもがヒーローになれる