飲水思源 ―― 霧雨に煙る『クリスマスお茶会in とよす』
今年茶友になったRさん(相手の同意を得たわけではないが)。彼女のブログ名「飲水思縁 」の言葉の由来、「飲水思源 」について考えた。
今年最後の淹れ手を務めた茶会、霧雨に煙る『クリスマスお茶会in とよす(2014年12月20日)』。会場の高層ビル29階からの眺めは、冬の隅田川を眼下に、川向うに林立する都心の高層ビル街を幻想的な光景に変えていた。
茶葉の旅の話から始める。茶葉は、茶畑で暖かな陽の光に包まれていた時、人々の手により摘まれ、晒され、揺すられ、押し揉まれ、乾燥をくりかえして茶葉となる。そして今、手元にあり将にお湯をかけられ抽出されて長い旅を終えようとしている。淹れ手の私は、見事に完成した茶葉をお茶に変身させる為、ほんの少しお手伝いするのである。茶葉に湯加減を聞いたり、長旅ご苦労様でしたと声をかけたりしながら。そうやってお茶になった液体とその成分を、ここまで運んで来てくれた茶葉(最後は茶殻)に大きな感謝の気持ちを伝えるのである。
今回の茶会で私が淹れたお茶は、
「大禹嶺」(台湾南投県仁愛郷2014年春)
「月光白
」(雲南省景谷県2014年)
どちらも初めて飲んだ時の感動をよく記憶している。それを上手くお客様に伝えられたかどうかは、お茶の飲み方を見ていると解る。そして最後に茶殻を見ながら長い旅を終えた彼らに無言で感謝の気持ちを告げるのである。
「飲水思源」、意味は「水を飲む者は、その源に思いを致せ」。1972年の日中国交回復交渉で、手腕を発揮した周恩来首相が田中角栄首相に、両国の先人たちの献身的な努力の結果、今日がある事の例えに使った言葉でもある。「井戸の水を飲む時、井戸を掘った人達に感謝する気持ちを忘れてはいけない。」と訳された。
お茶を飲む東洋(世界)の人達は、茶葉一つ一つに物語を紡ぐことが出来る。物語の半分は茶葉を育んだ大地とそれを取り巻く環境について、そしてもう半分はお茶に係った人達の物語である。二つの物語を繋げ、想像力を働かせれば、「お茶を飲む時、その源を理解し感謝する」ことが出来るのである。
42年前、日本と中国の大きな政治家は、政治体制の違いによる敵対関係のを止め、国交を回復し互恵関係を発展させることを選んだ。尖閣列島帰属問題は、賢明な未来の両国民が良い答えを出すであろうと棚上げにし、友好条約を結び今日に至っている。42年が経ち、賢明な未来の両国民は現れたのだろうか。政治家達は角を突き合わせるポーズを続け、国民に危機を煽っている。井戸を掘った人達のことを忘れて。
*1972年日中共同声明を受け両国は交渉を重ね、1978年日中平和友好条約が締結される。そのことは又、台湾と日本の関係を変更することでもあった。一つの中国を承認することは、台湾との国家間の政治外交関係を破棄することにもなった。それは今も変わっていない。
『クリスマスお茶会in とよす』 茶譜
大禹嶺(台湾南投県仁愛郷) 紅韻(台湾南投県魚地郷)
月光白(雲南省景谷県) 金駿眉(福建省武夷山)
茶菓子 杏仁香のマーライカオ 愛玉子風レモンゼリー アーモンドクッキー
エッグタルト 発泡パウンドケーキ(お土産)
雨の中駆けつけてくださったお客様に感謝の気持ちを伝えたい。
今回もプロデュースのほとんどを担ってくれたMさんへ最大の謝辞を述べることとする。そしてスタッフのFさん、Iさん、Sさん、素晴らしいお菓子を作ってくれたTさんお疲れ様でした。 多謝、再見。
2014年12月 俳茶居
窓辺の席の設えの一部