老人介護施設のお檀家様の誕生日 | 大田明光の「いつも心は燃えていよう!」

大田明光の「いつも心は燃えていよう!」

西蓮寺の大田明光の日々の日記です!
名古屋から 仏教のお話と浄土宗僧侶の日々をつづります
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ほぼ毎月、


お檀家さまが入所してらっしゃる老人介護施設に


お見舞いをしている





いつも僧侶の衣姿で伺うため、施設の職員さんから 何事かと驚かれるが、


その姿にも 慣れて頂いたようである


気づけば 4年にはなるかと思う






小さな頃からお世話になり、


お寺にとっても 大変な功労者。



お育てを頂いたご恩への ささやかなお返しのつもりで始めたが、


私がしている事といえば、


顔を見せて、私の子どもの話をして、


スマホの写真を見せて、握手して、別れる。


何のことはない。



ご恩返しとは名ばかり。


何もしてあげられる事がない。





ご主人に先立たれ、お子様もいない彼女を訪ねて来られる方は 


頼りにしていらっしゃる教え子の1組のご夫婦だけ。



4年前、

お元気にしてらっしゃるのだろうかと、


居場所を聞いて周り、見つけ出した。






1人で見舞いに行き、驚かれたが、


ちゃんと名前を覚えてくれて居て


こんな私を


「おっさま、おっさま」と呼んで讃えてくださる。




こんなにも



毎月 私が訪ねて来ないかと 心待ちにしていらっしゃるのに、

私は 伺っても 15分くらいで帰ってしまう。



別れ際では、エレベーターで泣かれる。



彼女の気持ちを裏切ってるようで







なんとも切なくて、つらい。






今日は 有難い事に


お寺でのご縁でお友達となられた女性をお誘いして、


お誕生日のお祝いをさせてもらった。



こんな事をしたのは 初めてだった



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「1人じゃなくて、覚えてる人がちゃんといる」


それを知ってもらえて、


とても嬉しい時間だった。


彼女に、社会的な繋がりを感じてもらいたくて、



こうやって 心配してくださってる方がいる事を 分かってもらえて


何とか 生き甲斐の力の1つとしてもらいたいと思っている




お祝いの花。

お弁当。

お祝いのブランケット。



一緒にお見舞いしてくださったお檀家さまには、心から感謝している。




自分のしていることが、


相手の喜びとなっているのか。


多分、喜ばれているのだろうけど、


別れ際に泣かれる姿を見るたびに、



なぜか、申し訳がない気になる





しかし、お誕生日のお祝いが出来て、


これは本当に幸せである






人の最期は 悲しいものである。




悲しくなければ、仏教は必要ないだろう。


人が死ななければ、


歳を取らなければ、


仏教は 必要ではない。





でも 人は 寂しくて 悲しくて、


何のために生きているのかを 簡単に見失って、


何かとの繋がりが無ければ 生きていけない。




だから、仏の教えが

本当は 誰にでも 等しく

必要だと思う。