小学校5年生の頃だったか。

体育館で体育の授業が行われていて、
ウォーミングアップがてらのお遊びで、体育教師が隅にマットを積み重ねてその上に生徒たちが中2階から次々飛び降りる、という遊びをみんなでやることになった。

ほんの数メートルだし下にはマットがたくさん敷いてあるのでケガのしようもなく、僕のまわりの同級生たちは次々に「イエーイ!」などと歓声をあげながら飛び降りてゲラゲラ笑っていた。

男子だけではなくて女子も列をなして飛んでいて、僕の初恋の女の子であるところのヤマナさんもニコニコしながらマットの上にぽーん、と飛び降りていた。(彼女は運動神経がよかった)

「マスヤマも飛べよー!」

先に飛んだ同級生の男子たちがあおる。
僕はひとまず2階までは上がったものの、やはりいざ飛び降りる段になると足が震えてしまって、一歩を踏み出すことがかなわなかった。

「はやくー!」

教師ですら、ニヤニヤしながらこっちを見ている。
ヤマナさんも、心配げな表情を僕に向けていた。雨の路上で、捨てられた子犬を見る目だ。

「む、ムリです」

僕は結局飛ぶことができず、そのまま階段を使って1階に下りた。
その場にいた人間でマットの上に飛び降りることができなかったのは、僕ひとりだけだった。


あれから20年以上経って。

経ってしまって。

僕はいまだに、マットの上に飛ぶことができていない。


キョウコさんや、ヒロミさんや、今まで僕みたいなもんに思いを向けてくれた女性にちゃんと向き合おうとしなかったことや、
転々としてきた仕事のことや、
舞台活動でも、バンド活動でも、オタク活動でも、思いきってその中に飛び込めなかったことや、
さんざんかわいがってくれたばあちゃんの最期に、ありがとうと言いにいけなかったことや。

人とぶつかって、多少傷ついてでもわかりあおうとすることを避けていた。
ただただ、自分が傷つくことだけを恐れていた。
臆病だった。

でも、そんな毎日でもごくたまに光が差す瞬間があって。

僕の尊敬する中島らもさんも車寅次郎さんも
「生きていれば必ず『生きていてよかったなぁ』と思えることがある。 そのために人間は生きているのじゃないか」
ということを言っていた。

たくさんの人との別れがあって、心が磨り減って、体は肥え太って、特に命に関わる問題があるわけではないけれど、なんだか、生きていくことって子どもの頃に期待していたほどじゃないな、ということに薄々感づき始めても、それでも『生きていてよかった』と思える夜は、たしかにある。

友達とお酒を飲んで楽しく騒いでいるとき。
好きな女の子が微笑んでくれたとき。
すばらしい映画や本や音楽に出会って涙するとき。
月が、とても綺麗なとき。

体育館の2階で足をすくませて身動き取れない僕の背中をポンと押してくれる人も今なら、いるのかもしれない。

「マスヤマも飛べよー!」

「んっ…!」

不意に背中を押されて無様に尻もちをついても、そこにはマットがある。

ケガをすることもまずないだろう。

僕を見てみんなが笑ってくれるなら、それもいいかもしれない。

それでいいや。



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生きていてよかった。




















【おわり】







Pixies-Debaser を聴きながら。