映画『幕が上がる』を見た。


ご存知、ももいろクローバーZの面々が演劇部所属の女子高生に扮して、全国大会出場を目指して奮闘する青春映画だ。


そのメイキング映画『幕が上がる、その前に』の中で、興味深い場面があった。


ももクロのメンバーがこの『幕が上がる』の原作者である劇作家・演出家の平田オリザ氏のワークショップを受けている風景。


ワークショップとは、身体や声を使ったゲーム感覚のトレーニングをしたり、エチュード(即興劇)をやってみたり短い台本を使って実際に芝居を作ってみたり、舞台上での表現力を身につけるための集中講座のようなもの。


ももクロのリーダー百田夏菜子は映画の中で演劇部の部長役であり、劇中劇を「演出する」立場の役なのだが、実際には夏菜子は演劇の経験がなく、演出というものをどう進めていいのかもわかっていない状態だ。


オリザ氏はワークショップの中で、彼女に実際に芝居の演出をしてみることを提案する。
当然最初は芝居のどこを見ていいか、誰にどう指示を出していいかわからず戸惑う夏菜子。


そこでオリザ氏は、「演出家っぽく見えるためのコツ」を彼女に伝授する。


「台本に目線を落とさず、首をキョロキョロさせず、目線だけで役者の動きを追う」


これ、実際にやってみるとわかるけど、かなり「それっぽく」見える。

仮に頭の中に何の演出プランも思い浮かんでいなくても、こうやって役者の芝居を見ていれば「ああ、あの人は真剣に僕らの芝居を見てくれているなぁ」と思ってもらえるはずだ。
きっと。たぶん。もしかしたら。


お芝居においてはこの「それっぽく」見えるというのが何より重要で、その集積がひとつの物語を形作ると言っても過言ではない。

そしてそれを適切に、明確に導ける者こそ、演出家としての才を持っているということになるのだ。


僕も過去5年間ほど舞台の演出らしきことをしていた。


アマチュアのコント舞台なので本格的なものではなかったが、役者にどう動き、どうセリフを言い、どう芝居してもらうかということを指示するという点においては同じだ。


僕はさんざんやってたわりにはどうもこれが得意でなく、そもそも人にダメ出しをするのが苦手だからいかんのかなぁ、なんて思う。


一度、あるコントの演出中に女優さんが演じたリアクションの芝居がどうもしっくりこず何度もやり直してもらっているうちにその子が涙してしまったことがあって、その時は「ごめん、ごめん」とオロオロして謝ってしまったのだけれど、演出家としては謝るべきじゃなかったのだろうなぁと今となっては思うわけで。


でも、演出は楽しい。

自分の脳みその中にしかないイメージを、多くの人の協力で形にしていく作業は、うまくハマれば世の中にこんなに楽しいことは他にないのじゃないかというほど楽しい。
逆に、うまくハマらないときの苦しみも並大抵のことではないのだけれど。


自分は大学を出てから演劇の世界に足を突っ込んだ身の上だしきちんと演出の何たるかを学んだわけではないのだけれど、これに関して言うと「とにかくやってみること」に勝ることはなかった。


とにかくエイヤッと足を踏み出して、
ただやるだけでなく色々な人の意見を聞いて、
反省して、もがいて、苦しんで、人前に出て、恥をかいて、
ようやくちょっぴり成長した気になる。
それの繰り返し。


自分が台本を書いて、演出をつけたお芝居が上演されて、カーテンコールで役者たちが一礼し、お客さんに拍手をいただいた瞬間の気持ちよさは一度味わうと本当にクセになってしまうもので、下手すると人生すら狂わせてしまいかねない魅力がある。


向いてる向いてないはさておき、人は人生で一度は舞台に立ってみてもいいんじゃないかと思う。
演劇じゃなくてもバンドでもダンスでも演説でもいい。
成功しても失敗しても、きっと忘れられない大事な思い出になる。


演出家だって、いいぞ。

経験がなくても大丈夫。
テレビドラマを見ていて「なんだこの役者ヘタクソだなー。俺ならこう言うぞ」とか、
みんなで写真を撮るときに「Aちゃんがこっちに立って、Bちゃんがこっち来たほうが見栄えがいいな」とか、そう思える人ならたぶん大丈夫。


あとは
「台本に目線を落とさず、首をキョロキョロさせず、目線だけで役者の動きを追う」
それを実践すれば、あなたも立派な「演出家っぽく見える人」だ。
中身はあとからついてくる。


自信を持って、稽古場で手を鳴らそう。


「よーい、はい」





次回
ら:「ラジオ」



温泉が好きだ。

と言ってもなかなか温泉地に旅行に行く時間もとれないので、もっぱら近場のサウナや、足を伸ばしてお台場の大江戸温泉物語あたりに落ち着いているけれど。

特に大江戸温泉物語は、2014年はほぼ月に一回のペースで足を運んでいて、「お前もうそれ年間パスポート買えや」と言われれてもおかしくないレベルで、好きだ。

大江戸温泉は18時以降に入館すると料金が安くなる上にカード提示でさらに割引になってひとり千数百円で日付が変わるくらいまで滞在できるので案外コスパがよく、バカスカ飲み食いしなければかなりお手頃に楽しめる。

自分はいつもオタク仲間何人かと行って、足湯に浸かり、外気で若干体が冷えたところで大浴場のほうに赴くのがお決まりのコース。

体を洗ったのちに広々とした湯船にざぶんと浸かり、思いっきり手足を伸ばし、
「ふぁぁぁぁぁぁああっ」
と声を出すなどしてから露天風呂に向かい、そこでお湯に浸かったり出たりしながらを1時間くらい(長いときは2時間近くも)繰り返し、四方山話をする。

恋の話、人生の話、アイドル界の闇の話…(?)、話題はつきない。
「人は全裸の時には嘘がつきにくい」というのはあると思っていて、一緒にお風呂に入るとなんだか打ち解けやすい気がするのである。
持論。

露天風呂には入るけど、サウナにはみんなでは入らない。
人によって耐性が異なるので。
「サウナと美術館はひとりで入るもの」
それも持論。

お風呂から出たら髪を乾かすよりも先に自販機でコーヒー牛乳を購入。
甘くて冷たいこいつを、がつんと喉にぶっつけるように一気に飲み干す。
ちょっと量が足りないかな、と思うがこれくらいが丁度良い。

髪を乾かし、浴衣をひょいとまとってから念願のアルコールタイムだ。

先にコーヒー牛乳を飲んでいるから、冷えたビールを投入してもそんなに胃がビックリしない。

枝豆やポテトフライなどを何品か誂えてもらい、大広間の一角で小宴会。ここでも、恋の話や、人生の話や、アイドル界の闇の話(?)などを、だらだらとする。

そうこうしてるうちに終電の時間が近づいてくるのだが、お風呂で温まってそのあとお酒も入っているのでもう動くのが面倒くさくなり、
「あたし、今夜は帰りたくない…」
などと乙女のようなことを言い出す男子が続出。

結果、そこから一番近くに住んでいる参加者の家までタクシーに相乗りして行き、泊めてもらうことに。

みんなけっこう疲れているのですぐに眠ってしまうだろうと思いきや、男子が何人も同じ部屋に集まるとなかなか眠らせてもらえないのが世の常。

みんなでアイドルのDVDを見ながらヲタ芸を打ったり恋の話をしたり人生の話をしたりアイドル界の闇の話をしたり(しつこい)してるうちに外は白々と明け始めて、
「明日は仕事なので少しでも眠らせてくれないだろうか」
と直訴したところ、
「眠ったらタダじゃすまさないぞ」とわけがわからない脅しを受けたり、それを無視してウトウトし始めたところにフライングボディプレスをされるなどして、結局一睡もできぬまま仕事に向かうことになるのだ。

脳みそにもやがかかったような状態で満員の通勤電車に揺られているとみるみる体調が悪くなり、仕事中も意識朦朧としてミス連発、夜になってほうほうのていで退勤し帰宅するとやけに頭が重く、すっかり風邪を引いてしまっていることに気づく。

持論に「翌日が仕事のときは大江戸温泉に行かない」という項目を加えるべきであったなぁ、と改めて思うのであった。



30~40代の大人たちがこんな生活をしていたりするのだから、新社会人の皆さんも希望を捨てず、がんばってください。
(強引なまとめ方)



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次回
よ:「よーい、はい」



あなたが闇を覗くとき、闇もまたこちらを覗いているのだ。


人生で一番の“闇”を体感したのは、2005年のROCK IN JAPANを見に、ひたちなかに行ったときのこと。

銀杏BOYZもサザンも出る! うわぁ最高だ! と思った僕は気合を入れて全日程の通し券を買って現地に赴いたのだけれど、結局手頃な宿が見つからなかった。
一緒に行った友人たちは通し券ではなかったのでライブが終わったら普通に電車で東京に帰っていき、現地に僕はひとりで取り残された。

とりあえず丸一日ライブを見て汗だくなので、あらかじめ調べておいた会場最寄りのスーパー銭湯にタクシーで向かう。

ひたちなか海浜公園のタクシー乗り場は長蛇の列で、乗れるまでにゆうに1時間は並んだ。

そこから車で20~30分。
訛りの強い運転手さんの現政権に対する不満のまくしたてに、ソウッスネーなどと相槌を打っている間に銭湯に着いた。

銭湯は同じくフェス帰りの若者たちでごった返してイモ洗い状態。
そうそうに体を洗って湯船に浸かると、日焼けのあとがビリビリと痛んだ。

銭湯は深夜0時で閉まってしまうので、宿としては使えない。
初日の夜はひとまず勝田の駅の方まで歩いてみて夜を明かせるところを探したが、店はほとんど閉まっている。
やむなく駅の近くのベンチに腰かけてそこでウトウトしようと試みたが、同じくフェス客とおぼしきチャラい若者たちが女の子をナンパしようとウロウロしててなんだか怖かったので、物陰に隠れてひたすら息をひそめている間に夜が明けた。


2日目の晩は、銭湯を出たらそのまま近くの公園に向かってみることにした。

RIJの会場からどんどん離れて行ったので気がつけば周りにはフェス客はおろか、人っこひとりいない。

夜道は暗く、街灯もほとんどない。
漆黒の闇。
ごく稀に車が通るときだけ、あたりに光の帯がさっと通りすぎる。

ふと自分が正しい方向に向かって歩いているのか怖くなって、何度も携帯電話を懐中電灯代わりにして辺りを照らしてみた。

人はいない。
聴こえるのは自分が歩く足音と、かすかな虫の声だけ。
3日分の着替えや寝袋が入ったバッグがずっしりと肩に食い込んでくる。

「なんだか、えらいことになっちゃったな」

声に出してみた。

当然、どこからも誰からも、反応なんて返ってこない。

夜の闇に吸い込まれて、声が音になる前に消えてしまったようだった。

人は、本当に淋しくて心細くなると独り言が増えるのだ。

やがてたどり着いた公園でも、
「いやー、広い公園だなぁ」とか、
「ここならなんとか、眠れそうだな」とか、渡辺篤史の建もの探訪か、というくらいよく喋った。
ひとりで。

公園のベンチに寝袋を敷いて、その中にもぐりこんだ。

地元の元気な蚊が開口部から突入して僕に襲いかかってくるもので、そこを紐で内側からキュッと縛り、完全に外をシャットアウトしたミノムシ状態で眠ることにした。
息苦しいし、真っ暗だし。
大きな闇の中の小さな闇。
押しつぶされそうな圧迫感を感じる。

いま誰かに襲撃されたらまったく抵抗できずに死ぬな、と思った。

溶暗。


スズメの鳴く声と、蒸し風呂のような暑さで目を覚ましたのはそれから数時間後。

寝袋の口をほどいて起き上がると、上品そうな老婦人が「おはようございます」と言いながら僕の前を通り過ぎて行った。

朝の日差しが眩しい。
あたりを見回すと、そこは綺麗で広々とした、のどかな公園だった。夜中とはまったく印象が違う。

散歩する老人や子供連れの母親など、思いのほか多くの人が集っていた。

自分がこの公園を汚してしまったような申し訳ない気持ちになって、早々に荷物をまとめて離脱した。

そこからRIJの会場のひたちなか海浜公園まで、真夏の日差しの中を1時間半以上も歩く羽目になるとも知らずに。


その日、銀杏BOYZの峯田和伸はROCK IN JAPANのステージ上で全裸になって書類送検された。

僕は「あー、やってるなぁ」と笑いながらも、光の中に立つ彼の姿を神々しいと感じたりもした。

銀杏BOYZが「光」という曲をリリースするのはそれから2年後のことである。








次回:
ゆ:「湯」




「なげきさんはモテるでしょう」
とたまに人に言われる。

「いえ、そんなことないですよ」
と答えると大抵、
「えー、モテそうなのに」
と言われる。

お決まりのパターン。

これまでの33年の人生でお付き合いした女性の人数が7人だと答えると「モテないとかのたまいながら、多いじゃねぇかこのクソハゲモテ野郎」などと言われることが多いけれど、いわゆる経験人数は2人だと答えるとたいてい人は目を丸くして「えっ、どういうこと」と言う。

詳しくはここには書かないけれど、たぶん僕は先天的恋愛不全症候群なのですよ。これは。


そんな僕は学生時代、バイト先のモテない男子たちを集めて「DTサミット」という飲み会をしばしば自宅で催していた。
DT、つまり、童貞。
参加資格はずばり、童貞であること。

当初はリアル童貞が集まって、モテたい、モテたい、と言いながら飲むだけの会だったのだが、歳月を経るごとにだんだん童貞が減少して頭数が足りなくなってきたので「童貞のマインドを持っていれば非童貞でも参加可能」とした。

そのあたりから飲み会もネタ的な色合いが強まってきて、僕が考案したゲーム「モテすごろく」でみんなで遊んだり、川崎大師にモテ祈願に行ったり、書初め大会をしたり、といった感じで順調に迷走していった。

「モテすごろく」はおおむね普通のすごろくと同じなのだが、マスごとになんらかの「指令」が書いてあり、止まった者はそれを必ず実行しなければいけない、というゲームだ。

指令は「その場で腕立て伏せ20回」とか「5分以内に駅前のローソンに行ってピルクルを買って戻ってくる」といったフィジカル的にのみハードなものから、「携帯のアドレス帳から誰かひとりのデータを消す」とか「お母さんに電話して『僕を生んでくれてありがとう』と伝える」といった精神的にあれなものまで、色々あった。

もちろん、それらの指令をこなしてすごろくで優勝した男もその後特にモテたわけでもなく、今にして思えばなにが「モテ」すごろくだったのか、意味はよくわからない。

DTサミットの歴史の終盤で特筆すべき企画に「モテ7番勝負」というのがあった。
参加者が7人ずつ2組に分かれて様々な種目で対戦し、勝ったチームが真のモテ王者になれる(?)というもの。
「ネタがなくなったらとりあえず大会を開く」という、ジャンプマンガの黄金パターンである。
(その頃にはDTサミットの参加者は15人近くに膨れ上がっていて、もはや宅飲みのレベルを超えていた)

対戦種目はビンゴマシーンで決められ、
・腕ずもう
・顔面ストッキング
・ものまね
・即興コント
・騎馬戦
・斎藤くんの乳首をはやく立たせた方が勝ちゲーム
といった競技で真のモテ王者の座をかけて激しい戦いが繰り広げられた。

騎馬戦はさすがに部屋では無理なので我が家の屋上に出て、真冬のシビれる寒さのなかでおこなわれた。

特に上着も羽織らず出てしまったのでみんな「寒い! 寒い!」と言いながら騎馬を組み、頭に巻いた即席のハチマキを取り合った。
夜だし騒ぐと近所迷惑になるので、みんなヒソヒソ声で「がんばれ、がんばれ」と応援し、ゲラゲラというよりクスクスと笑った。
みんなで白い息を吐きながら、おおいに笑った。

宅飲みのさなかに大の男たちが大真面目に騎馬戦をしてる光景なんて、一生に一度あるかないかだと思う。


学生時代が終わり、DTサミットの参加者の多くとは次第に疎遠になっていった。

そして、サミットの参加者のうちの何人か(特に人間的にダメな連中)と僕は後年コント劇団「アンチバッティングセンター」を結成し、無理やり作り上げた人生のモラトリアム期間の中でもがいてあがいてみたものの、それも5年ほどで自然消滅してしまった。

DTサミットでモテ王者を目指して顔面ストッキング対決をしていた連中も、結婚し、子どもを抱いた幸せそうな写真をFacebookに載せたりするようになった。

僕はといえば、場所をアイドル現場に変えて、あの夜の騎馬戦みたいなバカ騒ぎをいまだに続けていて、嫁も、子もない。
今年で34歳になってしまう。

でも、逆に今だからこそできることがあるのじゃないかと思い、僕はもう一度、騎馬を組んでみることにした。
騎馬は、ひとりじゃ組めない。
幸い、「また組んでやってもいい」と言ってくれる人も何人か手を挙げてくれたし、「組んでみたい」と言ってくれる新しい人も現れた。







アンチバッティングセンター
10周年記念公演
『Now Is The Time,Asshole』
2015年。
夏。





みんなで、モテ王者になろう。






 次回
や:「闇」





僕が人生で初めてメイドカフェらしきものに足を踏み入れたのは1999年。
秋葉原のゲーマーズ内に期間限定でオープンした「Piaキャロレストラン」が初だった。

これは、当時人気のゲームソフト「Piaキャロットへようこそ!!」の世界を再現した(という体の)カフェで、世間的にはメイドカフェのはしりと言われているらしい。

当時僕はそこそここの手の美少女ゲームをやっていた身の上だったので、オタク仲間の男と2人で勇気を出して行ってみることにしたのだ。

いま思うと、ウエイトレスさんがゲーム内の制服を着ているという以上の面白みは特になく、わざわざ足を運ぶほどのものかというと微妙なところではあったのだが、当時男子高3年生だった僕はがちがちに緊張し、店員さんとほとんど会話できなかったのを覚えている。

強烈に覚えているのは、お客なのにウェイターのコスプレをして来店し、銀色のお盆まで持参して、勝手に店の手伝いっぽいことをしてたオタクの人がいたこと。
さすがに店員の女の子たちも苦笑しており、
「僕は絶対にああはなるまい」
と心に誓ったものだった。


やがて大学生になり、バイト先の映画館のスタッフの間でいつのまにか「マスヤマくんは秋葉原に詳しいらしい」と噂が立てられていた僕は、『電車男』をきっかけにした秋葉原ブーム、メイドカフェブームの到来とともに人から「メイドカフェに行ってみたいから連れてってくれ」と頼まれる機会が増えた。

僕自身全然行ったことなかったのだけれど、人に頼られる嬉しさのあまり一生懸命メイドカフェについて調べて、色々な店に人と一緒に行ってみた。

キュアメイドカフェ、
メイリッシュ、
@ほぉ~むカフェ、
ぴなふぉあ、
めいどりーみん、
ぽぽぷれ…

あたりの有名どころにはとりあえず足を運んだ。

ものの…やはり生来の人見知り気質ゆえに、メイドさんが気を遣って話しかけてくれても「あっ、はい、あの…あぅ…はい…」とかしか答えられず、
「僕はメイドカフェに向いてない」
と心の底から思い、
そのあとはしばらく秋葉原に足を踏み入れることもなくなった。


それから約10年。


僕はいつのまにかアイドルオタクになり、でんぱ組.incというグループを好きになったことをきっかけに秋葉原ディアステージというコンセプトカフェに週に何回も足を運ぶようになっていた。

働いている女の子(ディアガ)の大半から顔と名前を覚えてもらえて、常連のお客さん(ディアメン)の皆さんにも仲良くしていただけるようになった。

「なんだ、楽しいじゃないか」

前にも書いたことだが、そこに行けば必ず誰かしらの知り合いがいて、一緒に飲んだりライブを見たりできる場所がある幸せったらない。

以前ディアステで「ナースDAY」と題し、店の女の子たちがみんなナース服でお給仕するという日があった。

僕は「こういうのはノリが大事だ!」と思い立ち、ドンキホーテで白衣を購入し(5000円くらいしやがった)、ドクターのコスプレでお店を訪れた。

ディアガの子たちにもなかなか好評で、ドクターとナースで2ショットチェキを撮ったりその格好のままライブを見たりととても楽しかったのだが…

ふと、1Fのモニターに映る自分の姿を見たとき、10年前にPiaキャロレストランで僕が遭遇した、銀のお盆を持ったウェイター姿のオタクのことを思い出した。





 「僕は絶対にああはなるまい」






………………。




 

ああっ…………








なってしまった…………。






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次回
も:「もて」