その男と出会ったのは2012年の9月だったらしい。

渋谷パルコ内に「シブポップ」という、2.5Dなどを内包したサブカルに特化したフロアがオープンし、そのオープニングレセプションのお給仕役ででんぱ組.incが出演した時のこと。

平日な上に当日ギリギリの時間に告知されたため、現地に駆けつけてみるとオタクは数人しかおらず、かといって一般客もほとんどおらず、でんぱ組のメンバーからドリンクを受け取れてステッカーをもらえて、その気になればマンツーマンで何分でも話してられるという、とんでもない無料イベントだった。

いくらでも話せるとなると逆に尻込みしてしまうのが僕の性質なので、メンバーにひと通り挨拶した後はその場を離れて適当にフロア内のアニメグッズを流し見したりしていた。
そのうちじわじわとオタクが増えてきて、当時数少なかった僕の知り合いのオタクもやってきた。

そこで、知り合いから紹介されたピンキー推しのオタクに「あっしー」という男がいた。
前からツイッターでお互いフォローはしていたものの話をするのは初めて。もともとももクロの現場に通っていたオタクで、仕事はパティシエをしていて時には芸能人の依頼を受けてケーキを作ったりもしているという。

「すごい人だなぁ」

と思ったのが第一印象。


それ以降はでんぱ組のライブなどでよく顔を合わせるようになり、そのうちライブがなくてもご飯を食べに行ったりメイドカフェに行ったり大江戸温泉に行ったりするくらいまで仲良くなっていった。


彼はとにかく、声が大きい。

でんぱ組のライブDVDでも確認することができるが、彼の叫ぶ「あやねさぁーん!!!!!」の声は武道館や代々木体育館といった大ホールでどこの席にいても聴こえるほど、デカい。

人によってはその声を迷惑ととらえる人ももちろんいるだろうけど、僕はこの手の「現場の風物詩」みたいなのは(程度によるが)あっていいと思う派なので、まぁ、いいじゃないか。
ほとんど知り合いがいない状態でももクロの現場に通っていた時も「あっ、あの人また叫んでるな」とか確認できるのが楽しかったりしたし。


あっしーという男を見ていると、いつも映画『男はつらいよ』の主人公「寅さん」こと車寅次郎を思い出してしまうのだ。

誰とでも物怖じせずにすぐ仲良くなれて、やや気が短いところがあるけれども心の根っこの部分は優しくて、惚れっぽいけど本当に好きな女の子の前では驚くほど純情で。

僕が学生時代に寅さんの自由なたたずまいに憧れたように、今は、心のどこかで彼の生きざまに憧れているのかもしれないなぁ。
彼は彼で色々苦労も多いだろうけど。

とりあえずこれからも、推しとは仲良くね。
また落ち着いたら、大江戸温泉でも行こうじゃないか。


 
{9DBBC840-E084-48DC-B5C2-EBBBE5F6314E:01}




次回:
わ:「ワールズエンド」


先日書店を冷やかしていて、文庫コーナーで獅子文六氏の『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫)という本を見つけた。1960年代に発表された小説で、40代の女優とその周辺の人々の恋愛模様を軽妙な文章で描いた気持ちのよい作品だ。

「コーヒーと恋愛」というとサニーデイ・サービスに同タイトルの曲があるのだが、案の定この本の解説は曽我部恵一氏が書いていて、この本に着想を得て曲を作ったことを明かしていた。


コーヒーと恋愛。


その苦さと、飲んだあとの胸の高揚感から、しばしばコーヒーはラブソングのモチーフとして使われる。

でも僕は残念ながらコーヒーが飲めないので「ミルクティーと恋愛」はたまた「抹茶フラペチーノと恋愛」あたりがふさわしいのかもしれないがどうにも甘ったるく、いっそ「ビールと恋愛」とか「ハイボールと恋愛」にしてみようかと思うものの、なんだかおっさんくさい恋になってしまいそうだ。


過去、このブログ内で僕自身の過去の恋愛に関するエピソードをいくつか書いてきたものの、結局のところ33歳になった今でも女性との正しいお付き合いの仕方がわからないし、果たしてこの先自分にまともに彼女なんてできるんだろうか、と不安でしかない。
(その、変な受け身さがまたよくないんだろうけど)


2002年の12月。
人生で初めてお付き合いした女性・キョウコさんの一人暮らしのアパートの一室で朝を迎えた時のこと。(えろい意味ではなく)

キョウコさんがコーヒーを淹れてくれて、僕はコーヒーが苦手なのだけれども淹れてもらった手前それは言えず、チビチビと飲んでいた。
彼女がステレオでハナレグミのアルバムを流してくれた。
ぼうっと耳を傾ける。

「あっ、僕はいま、恋愛をしているのだな」

下高井戸のアパートの一室で、自分のことを好きだと言ってくれる女の子とふたりでベッドに腰かけていて、そこにはハナレグミが流れていて、僕は飲めないコーヒーを無理して飲んでいて。

横に座っているキョウコさんが、僕の肩にコトンと頭を預けてきた。

「女の子の髪の毛って、いい匂いがするんだなぁ」

そんなことを呆けた頭で思ったけれど、緊張してどうリアクションしたらいいかわからない僕に、キョウコさんは

「ずっといっしょにいてね」

と言った。

「う、うん…」

僕はやっとこさマグカップ1杯のコーヒーを飲み切って、オドオドと返事をした。



残念ながらキョウコさんと「ずっといっしょにいる」ことはできなかった。

今ではあの子は結婚してお子さんもいて、仕事も充実して幸せそうな毎日を送っている…ようだ。
しばらく前にFacebookのページを見ただけだからよくわからないけど。

キョウコさんだけじゃない。
2番目の彼女になってくれたヒロミさんも、それ以降にお付き合いした方も、多くがもう人の奥さんである。

僕はといえば、なにをどう間違えたのかアイドルオタクの修羅の道に足を踏み入れて、浮いた話もないままに30歳を大幅に超えてしまった。


深夜。真っ暗い自分の部屋の中でひとりベッドに横たわって天井をじっと眺めていると時々泣き出したくなるような気持ちにとらわれることがあるのだけれど、「自分だって、こんな自分だって、愛してくれた人がいるのだ」と自分に言い聞かせることでなんとか、生きている。


コーヒーを、飲める男になりたい。







次回:
ろ「ロリコンパティシエ」


なげきのオタク遍歴の続きです。


2013年


1月
テラシマユフさんとハグチェキを撮ったことをきっかけにすっかりお熱を上げた僕は、「GET YOU」リリイベから本格的にBiSに通い始める。
一方、でんぱ組は「W.W.D」リリースからのZeppワンマン成功で、このあたりから飛躍的にファンが増えていった。
LinQ姫崎さんの生誕のため再び福岡に。もう深夜バス15時間に挑む元気はなく、行きも帰りも飛行機になる。姫崎さんに会う機会は、以降激減する。


2月
BiS、でんぱ、ディアステ、ベルハーあたりをいったりきたり。
でんぱ×アフィリア・サーガのO-EASTライブをきっかけにアフィリア・サーガのアリアさん推しになる。
乙女新党デビューシングルリリイベに行く。葵わかなちゃん推し。
下北沢GARDENでさくら学院を最前で堪能。圧縮で死ぬ。


3月
アリアさんの生誕のため、池袋のアフィリア魔法学院に初めて足を踏み入れる。
札束で殴りあうかのような“店舗”という名の戦場に震える。
BiSシングル「BiSimulation」リリース。そして国技館ワンマン。このあたりから、がすぴ~さんはじめとした有名研究員の方々とお知り合いになる。
大量に買った「BiSimulation」のCDをディアステでオタクに配っていて、その時フロアにいたディアガの点胡(テンコ)ちゃんという子に「BiSとか聴く?」と聞いたら「名前は知ってます」と言われたのでCDを渡す。2ヶ月後にその子がBiSの新メンバーとして僕の前に現れるなんて、想像できるわけもなかった。
さくら学院卒業式で中元すず香ちゃんの旅立ちを見送る。


4月
ベルハー、WWWで初ワンマン。売れる予感をひしひしと感じた。
Dream5、チアチアなどもまだ行きつつ、アフィリア・サーガのアルバムを大量に購入。
ディアステ、水玉らむねさんの生誕祭でももクロ曲で大はしゃぎ。のちに、BiSの話などを通じて仲良くなり(?)、お互い“マブダチ”と認める存在になる。


5月
テラシマユフさんBiS脱退。
この月のライブ、リリイベはほとんど行き、心身ともに燃え尽きる。
それまで現場予定を記していたブログも、この月を最後に長く更新が途絶えることになる。
テラシマユフさんラストライブ後、飲みに行く元気もなくそのままディアステに足を運んだらでんぱ組のリリイベの参加券がまだ残っていて、ノリで囲みチェキを撮りに行ったらメンバーから「おかえり」と言われ、涙。


6月
ピンキーやBiS新メンバーとなったテンコちゃんの出勤日にはディアステに顔を出したりはしたものの、この月前半はほとんどアイドル現場に足が向かず。
でんぱ、BiS両方出演の「@JAM」以降、本格的に復帰。BiSでは新たにファーストサマーウイカさん推しとして出直す。


7月
Dream5のワンマンや武藤彩未ちゃんのワンマンなどにも足を運ぶものの、現場はだいぶ絞られてきていた。
テラシマユフさんは寺嶋由芙さんとして再び活動をはじめ、ちょうせい豆乳くんの生誕やゲンロンカフェの「ろうどくきっさ」などのイベントに足を運ぶ。
代々木公園のフリーライブで久しぶりにエビ中を見て、人が増えたなぁ、と実感する。
TIFに二代目「#楽曲派」Tシャツで参加。Tシャツの胸元にLINE IDを書いて2日間お台場を闊歩するも、誰からもLINEは来ず。


8月
アフィリア・サーガのシングルをたくさん買う。
BiSの下北沢シェルター7days、2日ほど体調を崩して行けなかったが5日間は行った。BiS×非常階段のワンマン、お寺で怪談を聴くリリイベなど、思い出深い夏に。


9月
でんぱ組野音ワンマン。感動的。同時期後悔の映画「白魔女学園」のコラボカフェの企画でピンキーやねむきゅんさんとチェキを撮る。
BiS「Fly/Hi」リリイベ。テラシマさん在籍時から僕に優しくしてくれたミチバヤシさん脱退。
バンドじゃないもん!で水玉らむね推しとしてちょこちょこ現場に行くようになる。


10月
なげき生誕祭を自ら主催。秋葉原で、20人強の人数で飲む。
相変わらずでんぱ、BiSばかりの日々だが、O-EASTで行われた「でんぱ×BiS」の2マンでは人が多すぎて疲れ果て、大部分をバーカウンターで酒を飲んで過ごした。
そんな中、妄想キャリブレーションやTAKENOKO▲、エレクトリックリボンなども見に行くようになる。
アフィリア・サーガのエミュウちゃん目当てで六本木のアフィリア・スターズにちょっぴり通うようになり、秋葉原ではメイドカフェのHoneyHoneyにしばしば赴くようになり、どんどん店舗系オタクになってゆく。


11月
寺嶋由芙さんの対バン出演が増えてくる。
それに加え、BiS、でんぱ、ディアステ、アフィリア、ベルハーあたりをぐるぐる。
キネマ倶楽部のでんぱ×バンもんの2マンは最高に楽しかった思い出。


12月
ディアステの輪廻むいさん推しとなり、出勤によく足を運ぶようになる。
ピンキー生誕で上野動物園へ。ピンキーとオタクたちと動物を見て、ボーリングをして、もんじゃを食べて、楽しいひと時を過ごす。
BiSの京都FANJでのライブを見に深夜バスで遠征。
FANJでのライブは裸の男たちが飛び交うとんでもないライブになり、行ってよかったと心から思った。
翌日はBiSと一緒に大阪に移動してリリイベ。たこ焼きも食べ、満足して帰京。
寺嶋由芙さんが年末の赤坂GENKIのライブでCDリリースを発表。感動の万歳三唱。
アフィリア・サーガからアリア、エミュウが脱退。よく話していた2人が一度に抜けて、足が遠のく。



2014年


1月
年明け早々、でんぱ組のZepp Divercity 2DAYSに参加。
初日は後方ではしゃぎ、大江戸温泉に浸かって友人宅に泊まり、そのまままたダイバーシティへ行って最前でライブを見るという楽しい2日間。
実は2日目の昼間は新宿で寺嶋さんのライブの予約を入れていたのだが、寝坊してすっ飛ばしてしまった。したら夜のでんぱライブを寺嶋さんが見に来ていて帰り際に鉢合わせしてしまい、「最前でピンキーちゃんはよく見えましたか?」と言われて背筋が震えた。
BiS「STUPiG」リリイベも。


2月
ベルハー生誕ラッシュ。
ディアステでは神楽坂れたすさんや橘花もこさんといった子たちに仲良くしてもらう。
BiSツアーで仙台遠征。ライブ前にメンバーとスタッフの不和を匂わせる不穏なツイートが上がって緊張が走るが、研究員たちはいつものように酒とネタでそれに対抗。それを上回る勢いでメンバーたちの気迫もすさまじく、いいライブだった。
寺嶋由芙さんソロデビューシングル「#ゆーふらいと」発売。万歳三唱。


3月
BiSアルバムリリイベ。
ディアステ輪廻むい生誕、れたす生誕などでしばしばディアステへ。
でんぱ組「サクラあっぱれーしょん」リリイベ、クラブチッタワンマン。
囲みチェキの時、「#ゆーふらいと」の作詞をしてくださった夢眠ねむさん(当日は声が出ず)にお礼の気持ちをこめてハッシュタグポーズをすると、ニヤリと笑ってそれを返してくれた。素敵な人。


4月
なんやかんやで週2~3はディアステに行っている。ふうり生誕、らむね生誕など。
あと、BiSと寺嶋さん現場を行ったりきたり。
この頃には、今まで行っていた他のアイドル現場にはほとんど行かなくなっている。


5月
でんぱ組武道館ライブ。
正直「ここを節目に他界かな」なんて思ったこともあったけれど見に行ったらそんな気持ちは吹っ飛ぶくらい楽しくて、自分のペースで通えばいいやという結論に達する。
妄想キャリブレーションのWWWワンマン。人たくさんで、ブレイクの予感を感じた。
妄キャリでは、前々からディアステで仲良くしてくれた神堂未祐奈さん推しでやっていこう、と決意するも、数ヶ月後に彼女はグループからの脱退を発表するのであった。
ベルハー映画公開。斜に構えて見に行ったらめっちゃ面白くてチクショーと思う。
BiSラストシングルリリイベ。終わりが見えてきた。


6月
アイドルオタクを題材にした映画『あの娘、早くババアになればいいのに』の推薦コメント依頼をいただき、さらには公開後のトークイベントにも出演させていただくことに。人生、何が起きるかわからない。
ベルハー、クラブクアトロワンマン。フロアに人がぱんぱん過ぎてよくわからないうちに終わる。売れた。
ディアステの結婚式イベントで、輪廻むいさんと飴涙めるさんと重婚。それぞれと式をあげ(シャンパンを入れ)、一晩で3万くらい使って反省する。


7月
BiS、横浜アリーナでのライブをもって解散。
でも寺嶋さん現場もあるしでんぱ組のイベントもたくさんあるしディアステもあるし、なんだかロスを感じる間もなかった。


8月
TIF。もはや無銭エリアをちょろっと覗きにいくだけのイベントになってしまった。3代目「#楽曲派」Tは前面に「IDOL」の文字を入れたために研究員界隈でプチ炎上。僕じゃありません。
寺嶋さんセカンドシングル「カンパニュラの憂鬱」リリイベ。
でんぱ組、寺嶋さん出演のROCK IN JAPANに8年ぶりに行く。
橘花もこさんの舞台を見に行ったり輪廻むいさんのCDのリリイベに行ったり、ディアステ率もいまだ高し。


9月
テンコさんの企画イベントで向井秀徳氏と2ショを撮って、死ぬほど緊張する。
でんぱクアトロワンマン、ディアステ橘花もこ周年、プラニメリリイベなど。
らむね脱退後ほとんど行っていなかったバンドじゃないもん!、新メンバー加入後ようやくちゃんと見て、ちゃんもも◎さんを好きになる。


10月
二度目となる。なげき生誕祭。
参加者は倍増し約50人のオタクに参加していただき、ありがたい限り。
ディアステ、寺嶋さん、バンもん、ベルハーあたりを行ったりきたり。
神堂未祐奈妄キャリラストライブを見届ける。
橘花もこ生誕ライブで大はしゃぎ。
バンもんの名古屋芸大でのライブを見にナイショで名古屋遠征。
行きの深夜バスでは酔って死にかけたが、ライブも楽しく、きしめんも美味しく、帰りの新幹線は快適で思い出深い遠征に。


11月
バンもん、寺嶋さん、ベルハー、ディアステ。
久しぶりに乙女新党のリリイベに行き、其原有沙ちゃんのかわいさにやられる。


12月
ディアステでピンキー生誕に参加
舞浜アンフィシアターで久しぶりにアフィリア・サーガワンマンを見る。
寺嶋由芙さんシングル「猫になりたい」リリイベ。からのクリスマス会。
イヴには神奈川県民ホールででんぱ組、妄キャリ、バンもんら出演の総決算的なライブを見るも、場内カオス状態でえらいことに。
ベルハー、バンもんら出演の笹塚ボウルでの「INTERESTING!」に行くも、泥酔してえらいことに。
酒にやられる機会が増えた。



2015年


1月
バンもん、ディアステなど行くもののオタク活動は全体的に控えめになって、オタク活動を通じて知り合った人たちと普通にお酒を飲みに行くことの方が多かった。


2月
ベルハー生誕ラッシュ、バンもんBLAZEワンマン、寺嶋由芙さんWWWワンマン、でんぱ組代々木第一体育館、と、自分の通ってきたメインどころの現場がそれぞれ節目のワンマンをしたもので再びオタク卒業の機会到来かと思いきや、やめられずにちょこちょこと現場に通い続けている。
ベルハーからオリジナルメンバーのじゅり、ゆぅゆが脱退。激動である。


3月
映画『幕が上がる』を見たことをきっかけに、3年ぶりにももクロ熱が燃え上がる。
バンもんツアー札幌に遠征し、酒池肉林の3日間を過ごす。
ディアステ輪廻むいさん生誕祭。その後しばらくして彼女はディアステ卒業を発表。直後にコショージメグミ(元BiS)ら所属のMaison Book Girlに加入。激動である。
でんぱZepp Tokyoワンマン。久々にオルスタで見るでんぱは楽しかったものの、やはり空気は変わってきている、と感じる。
ベルハー新メンバー加入後の10時間ライブを見る。激動である。


4月
ディアステ橘花もこさんがディアステから卒業。最後までみんな笑顔だった。
バンもん船上クルージングライブに赴くも、酔ったオタクの介抱でほとんどライブは見られず。激動である。

さらに、“マブダチ”の水玉らむねさんもディアステから卒業を発表した。


アイドルはいつか卒業する。

卒業しないのはオタクばかりだ。



○月
オタクをやめる。





次回
れ:「恋愛」


アイドルオタクの道に足を踏み入れてからもう4年になる。


ありがたいことに知り合いも増えて、どこのアイドル現場に行っても誰かしら知り合いがいるという状態になった。


でも、そこそこ長い付き合いのオタク仲間からも
「なげきさんってどこ現場がメインなんですか?」とか
「誰推しなんですか?」とかよく聞かれたりするので、
ここで一度、自分のアイドルオタクとして歩みを細かく書いてみようと思う。


共通点を見つけたりしてくださった方は是非仲良くしてくださったら嬉しい。



2011年

2月 
渋谷AXで行われた「ももクロとかまってちゃん」の2マンを神聖かまってちゃん目当てで見に行き、先に出てきたももクロのライブに「なんじゃこりゃ、すげえ!」と衝撃を受ける。ももクロはそれまで「名前は聞いたことがある」程度だったのだがすっかりハマり、一緒に行った友人と翌週に行われるZeppライブのチケットを即購入。


3月
ももクロのZepp Tokyoワンマンを見る。感動。
翌週、東日本大震災。
しばらく仕事以外なにもできなくなる。


4月
ももクロ早見あかり卒業ライブはチケットが取れず、
中野サンプラザの前まで音漏れを聴きに行く。
それだけでも、涙。
色々あって、有安杏果さん推しになる。
月末。かねてより好きだったMOSAIC.WAVのライブをO-EASTに見に行き、そこにゲスト出演していた「でんぱ組.inc」というアイドルの存在を知る。出口でビラを配っていた彼女たちに「がんばってください」とだけ声をかける。


6月
お台場MEGA WEBで初めて「私立恵比寿中学」というアイドルを見る。
真山・瑞季推しになる。


8月
いまだに語り継がれるももクロ極楽門ライブを見に行く。
汐留の「汐博」で麻生夏子さんを見る。


9月
ももクロ東映まんがまつりイベント、スマイレージCCホールコンサート、SUPER☆GiRLS新宿BLAZEワンマンなど。とにかく色々なアイドルを見ようと手を広げだす。
クラブチッタの無銭イベントで「BiS」というアイドルを初めて見る。胸に「IDOL」と書かれたTシャツを着た少数のオタクたちがなんだかスゲーナ、と思った。


10月
エビ中O-EASTワンマン。スパガと初握手。前島亜美→稼農楓→田中美麗と華麗に推し変。
新宿LOFTのタワレコ主催ライブで、BABYMETAL、でんぱ組、tengal6、バニラビーンズ、Tomato n'Pineという今思うとすごい対バンを見る。
momoフェスで元ももクロの高井つき奈さんに「オッシャレー!」と言われる。


11月
ももクロの300人限定ヤングジャンプ抽選イベントに当選し、ほぼ最前でライブを見る。
「もう、彼女たちをこんなに近くで見られる機会はないだろうな」と思い、うれしくも切なくなる。
福岡のアイドル「LinQ」が東京上陸。メンバーの姫崎愛未さんに一目惚れし、その週のすべての予定をキャンセルして連日リリイベに通う。アイドルに「名前と顔を覚えてもらう」という経験はこの時が初。
Tokyo Cheer②Partyの定期公演に行き始め、須永留奈さん推しになる。
お披露目されたばかりの乃木坂46のコンベンションに参加。橋本奈々未さん推しになる。


12月
ノトフ氏のウェブ番組「ゲンバTV」で「オタク仲間募集」の告知を出し、この頃から少しずつオタクの知り合いが増えていく。
BiSリキッドルームワンマンで、暫定推しだったユケさんが脱退を発表。足が遠のく。
東京女子流の中野サンプラザワンマンに感動。
さいたまスーパーアリーナの「ももクリ」で、入場が押して寒空の中1時間半待ったことでだいぶももクロ熱が下がる。


2012年

1月
秋葉原ベルサールで行われた「ももクノ60分」がとても楽しくて、ももクロ熱が戻る。
中野ZEROホールで行われた3B Jr.のコンサートで、物販に現れた玉井詩織さんに「お前らー! 最近来ないなー!」と言われる。
LinQ姫崎愛未さん生誕のために東京→福岡深夜バス15時間のひとり旅を敢行。人生初遠征。ぼっちで、ハードだった。
ドロシーリトルハッピーワンマン、秋葉原ペンタゴンでのMYM Melodyお披露目などを経て、後に仲良しになるオタクの多くと知り合いになってゆく。


2月
東京女子流(山邊未夢さん推し)、ぱすぽ☆(増井みおさん推し)Jewel Kiss(まいちゃん推し)とDD化が深刻化。


3月
乃木坂46初の個別握手会で12人くらいのメンバーと握手。散財する。
LinQ出演の六本木UMUの対バンイベントで、もが・ピンキー加入後のでんぱ組を初めて見る。
武藤彩未、松井愛莉、三吉彩花ら卒業のさくら学院卒業式で号泣。
SKE48の秦佐和子さんと初握手して恋に落ちる。


4月
BELLRING少女ハートというグループのお披露目ライブを見に行く。
歌えない、踊れないヘロヘロのライブだったが曲に唯一無二のインパクトがあり、
「まかり間違ったらBiSみたいにサブカル層に受けて売れちゃうかもしれない」とブログに書く。
以前からTwitterでからみのあった「土谷りな」推しになる。

ももクロ横アリライブ。2日目のみ参加したのだが余計な演出のないがっつりライブでとても楽しく、それがゆえに「楽しい」と思えているうちに他界しよう、と思ってこの日以来ももクロに行っていない。


5月
TDCホールでSKE48チームKIIの「会いたかった」公演を見る。
本格的にでんぱ組でピンキー推しになることを決め、リリイベに通う。
東京女子流日比谷野音ライブのあとに当時「なげきの乱界隈」と呼ばれていたオタクたちで飲む。
彼らはその後「#楽曲派」Tシャツの戦犯となる者たちだった。
乃木坂46の個別握手を経て、中元日芽香と永島聖羅推しになる。間もなく他界。


6月
「ゆび祭り」の音漏れだけ聴きに武道館まで行って近くでお酒を飲む。
ピンキーの出勤日に、勇気を出して秋葉原ディアステージという店に足を踏み入れる。
カルチャーショックを受ける。がその後定期的に通うようになる。


7月
でんぱ組、LinQ、チアチアを中心に。
新木場STUDIO COASTの「アイドル横丁夏まつり」でその後仲良くなるオタクと多数知り合う。


8月
Tokyo Idol Festivalで背中に「#楽曲派」と書かれたTシャツを着て仲間うちで遊び回っていたところ、プチ炎上。
でんぱ(ディアステ)、チアチア、ベルハー、エビ中。
でんぱ、エビ中、ズエル、しゃちほこら出演の「アイドル乱舞」の良番チケットを前日夜になって放出し、かぶっていたチアチアの須永留奈(るっぴ)生誕に駆けつけたところ、るっぴは僕の姿を見つけてとても驚いて喜んでくれて、この現場は大事にしていこう、と思った。(約1年後に他界)


9月
チアチア、エビ中、ベルハー、でんぱ。
Dream5の現場に行きはじめ、大原優乃ちゃん推しになる。
チアチアのバスツアーにまで参加してしまう。


10月
10月7日(僕の誕生日)に、ベルハーしゅりちゃんの脱退前最後のライブがとしまえんで行われる。
脱退のインパクトゆえにみんな誕生日の僕にあまり構ってくれなかったので、「来年は自分でお誕生日会を開こう」と決意する。
BiSの赤坂ブリッツワンマンを見て、こんな素晴らしいライブをするグループになってやがったのか、と感動。
後日行われたアルバムのリリイベで、テラシマユフさんという方とハグチェキを撮ったら一瞬で恋をしてしまう。


11月
でんぱ、BiS、ベルハー、Dream5、チアチア。
通う現場のサブカル色が濃くなってくる。
メグリアイの推しであった山田渚さん主演の舞台を見に行ったりもした。


12月
でんぱ、LinQ、BABYMETAL、Dream5、チアチアなど。
でんぱとの対バンで2人時代の「バンドじゃないもん!」を初めて見る。
年末の女子流武道館、奇跡的に最前列が取れ、堪能。しばらくして、他界。
武道館後に「#楽曲派」オタクたちで忘年会を行う。
オタクが飲み会に15人も集まるなんて凄い、と思ったが、
2年後にそれが50人規模になるとはその時の僕は予想もしていなかった。



楽しくなってきたので、
「2013~2014」編はまた次回。



次回
る:「流浪」


僕が、意識してラジオ番組を聴くようになったのは高校生の頃。


同級生のオタク仲間から薦められて聴いた伊集院光の「深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)が初だった。


「NINTENDOゲームキューブ(スタッフ私物)をどれだけ遠くまで投げられるか」とか「ラジオパーソナリティーの授賞式の会場でいかにバレずにおしっこを漏らせるか」といったヤバい企画の数々に腹を抱えて笑い、ネタコーナーのハガキ職人たちの異常なレベルの高さに唸らされた。


毎週月曜日の深夜はベッドの中に携帯ラジオをもちこんで、イヤホンで聴きながらクックッと体をよじらせて笑うのが幸せな時間だった。

今にして思えば、深夜3時に番組が終わってそのあと寝て、朝6時には起きて学校に行ってたんだから、若さ、である。
何回かはMDに録音して登下校時に聴いたりもしたものの、やはり夜中、リアルタイムで聴くのが一番楽しかった。


高校3年のゴールデンウィークの時。

いつものように「深夜の馬鹿力」を聴いていたら、番組内で伊集院光が「このあとみんなでパワプロやらね?」と言い出した。

パワプロ、つまりゲームソフトの『実況パワフルプロ野球』(NINTENDO64版)のデータを持ち寄って、みんなで作った選手を集めて試合させようぜ、という突発的な試みだった。


参加したい人はこのあと朝6時に赤坂のTBS前に集合、ということを告知して番組は終わった。
ゴールデンウィーク中だったので僕は翌日も休み。

どうしよう。伊集院に会える。
僕はエイヤッと決心し、寝てしまうと起きれなそうなので朝までパワプロで選手作成をして、家族を起こさぬようそっと家を出た。


明け方のTBS前。
シンボル的な大きなウルトラマンの像が並んでいるあたりには、見るからにモテなそうな冴えない風貌の男たちが80人ほど集まっていた。
みんな、ラジオの生放送を聴いてやってきたのだろう。
女性がひとりもいないあたり、この番組の聴取層を如実に表していた。


やがてスタッフに案内されて、人生で初めてラジオ局の中に入った。
早朝なこともあって我々以外にほとんど人はおらず、ゾロゾロと局内の廊下を歩いてあるスタジオの一室に通された。


スタジオの中央にはテーブルが置かれ、そこに一台のTVモニターとNINTENDO64が乗せられている。

僕らはその周りに適当に座ると、少しの間待たされた。


数分後にスタジオのドアが開き、のそっ…と入ってきた大きな影。
伊集院光氏であった。


(でけぇ…ジャバ・ザ・ハットみたいだ)


失礼ながら、そんなことを思った。


「こんなに来てんの! バカだねーみんな」


伊集院氏は開口一番、ちょっと眠そうな声でそう言いながら笑った。
「バカ」はこの番組ではほめ言葉。なんだかうれしくなってしまった。


その後はただダラダラとみんなの持参のカートリッジから選手を集めて、それをオートで対戦させるのを見ているのみ、というシュールなイベントであった。


伊集院氏は「これ、別に番組内でオンエアとかしないからね。やりたいからやっただけだから」と言っていて、みんなで笑った。


この時の参加者の何人かとは会場で雑談をして一応メルアド交換したりもしたが、特にその後メールのやりとりなどをすることもなかった。


2時間くらいでイベントは終わり、TBSラジオを出てもまだ午前中。
僕は帰宅するとそのまま夜まで爆睡し、この風変わりな朝のことは一生忘れないだろうなぁ、と思った。



そして大学に入って以降、同じ番組を聴いていたO君とバイト先で知り合い、僕らでラジオ番組を作ってみようという話になった。


番組といっても実際に電波には乗せられないので、MDに架空のラジオ番組を録音してそれをみんなで旅行に行く時に車の中で聴こう、という完全内輪ノリのものではあったが。


僕と友人のT君がパーソナリティをつとめ、O君が録音やオペまわりを担当。
コーナーのネタ出しは3人でやり、フリートーク部分は完全にフリートーク。
で、トータルで2時間くらい。
CMも、手元にあるお菓子や近所にあるピザ屋のCMを適当な音素材を使いつつ自前で作った。


絶対グダグダになるだろうと思っていたが、いざ録音が始まると案外口が滑らかに動き、ほぼ台本のない状態できっかり2時間の番組が作れたのはちょっとした自慢だ。


当初は、一緒に旅行に行くK君に聴かせてびっくりさせようという試みで始まったものだが次第に我々は調子に乗り始めて、さまざまなコンセプトの架空のラジオ番組を作った。


個人的に一番面白かったのは「架空のロックスターの追悼特番」を作った時で、各界の著名人(B'zや広末涼子さんら)が追悼メッセージを寄せているのだけれども何故かメッセージの最後は自分の新譜の宣伝になってしまうといったコーナーや、故人の代表曲を僕がアコギ弾き語りで(歌詞・メロディをその場で考えながら)歌うコーナーとか盛りだくさんで、自分たちで聴き返してもゲラゲラ笑えるほどだった。


当時録音したMDは全部O君が持っていて彼とももう10年ほど会っていないので、もうあの番組を聴ける機会もなさそうだと思うと淋しい。


でも、自分たちでモノを創って遊ぶことってこんなに楽しいんだなぁということをその頃にすごく実感できて、それが10年以上経った今でも人生に尾を引いている気がするから、すごく実りある時間だった。



月曜日の深夜1時。


TBSラジオをつければいまだに伊集院光は当時とそう変わらぬノリでバカなことをやり続けてくれている。

あの早朝のパワプロ大会から15年。


「ああいう大人になりたいなー」と思いながら、
33歳の今を生きている。


みんなで「バカだねー」と笑えて、
そのまま、笑いながら人生を終わることができたら、
なんてとこまで考えてしまうのは、疲れてる証拠かもしれない。



はやく寝ましょうね。





次回
り:「履歴書」