現在5月30日。
まだ復帰から一年しか経ってないんですね。
まさかここでまたエラいことになるとは思ってもいませんでした。

いや実はいうと。
結婚して子供も産まれたので今年勝負して来年に繋がらなければ辞めようと思っていました。会長にもそれは伝えました。

後半年。

そんな決意をしたからなのでしょうか。


去年10月の
神戸選手との試合の練習くらいから気づいてはいました。



頭のダメージの蓄積。

自分なりに。中々頭は打たれ強いなと思っていた。試合でもフラッシュダウン(一瞬、バランス崩れただけのダウン)は数回あったが。
練習でヘットギアに16Oz(試合は6か8)のグローブをしてるのにスパーリングでも効くようになってしまった。

試合前に3週間程治らず、断ろうと思ったくらいひどかった。
試合ではハイキックでダウンをもらい判定で負けてしまった。
ただあのタイミングであのハイキックを蹴られたんじゃあ流石にダメージは関係ない。


その次の年末の試合も。
なんで倒れた?と言われるくらいのダウンを取られてしまった。
これもタイミングはよかったがいつもなら・・・


結構効いてしまった。

その頃にはもう。まともにガチのスパーを繰り返しての練習が出来なくなっていた。
少し頭にもらうと次の日に残ってしまう。
二日酔いのようになるのだ。


そして今年に入っての後藤勝也戦。

打たれまくったしやりまくった。
これで負けちまったんじゃしょうがないってくらい前に出続けた。
結果は判定負け。
この試合はやりきったから悔いはない。
ただ勝ちたかった。
延長やる気満々だった!
結果聞いたら。

負けかよ。クソ

ただ初めて、東京のお客さんに少しは認められた感じがあった。
映像を見てもわかります。

リング降りる寸前に誰かから。
石橋!よかったぞー!お前強いよ!
って言われました。
その人と完全に目があいましたよ(笑)

初めての歓声と初めての盛り上がり。
そりゃメインイベント様々やら上の方には負けますよ。

負けたけど気持ちよかった。

だけど悔しい。

会長と話しているときに、ここでもなぜか涙が出てきました。悔しくて。
またお願いします。と。

ホントに何回泣いてんだ。
そろそろ、ブログ書いてても恥ずかしいわ。

友達の余興でも泣かなかった俺がこんなに泣くとはな。
そんなけ真剣にやってきたのでしょう。
余興は真剣に見てなかった?とか言ってくれるなよ。
あれはビックリして言葉が出なかったんだ(笑)






当然あの試合の代償は大きく。
二日酔いのような感じがずーっと続きました。

これは危険だなと思い、先ずは脳外科。
歯医者、耳鼻科、整形外科、整骨院。
3カ月もがきました。

もう。
ダメか。
いや行ける。
ダメか。

の繰り返し。

1人で優柔不断な毎日を送っていました。

ダメでもあの夏にやる名古屋の試合だけは絶対出たい。
後一回だけ。



三回目のもがきはどうやらきかないようでした。
わからない怪我こそ怖いものはない。


選手
闘えなくなる=死


もうまともにサンドバックも叩けなくなりました。





大丈夫です。
顔面が叩かれてはいけないなら。
自分の原点。
フルコンタクト空手に戻ります。
いつか、試合に出たいと思う。
今や中学時代に教えていた今高校生の子にボッコボコに倒される有り様。
空手もまた一から極めていかなくてはなりません。


キックボクシングも勿論辞めません。





会長に告げました

そこまでやったならやりきったってことなんじゃないの。

そうなんですかね。
引退試合も出来ない虚しさがあります。

引退試合やるやつは余力があるやつか、余力無くやってボコボコにやられるかどっちかだぞ。

いや、ボコボコにはやられたくないんで(笑)
自分やりきりましたかね。
なんかまだやれる気も無くはないような気がします。
しかし正直やっぱこの頭の状態は危ないですかね?

うん、やりきったでしょ。
危ないと思うよ。
子供出来たし。
そこまでしてヘラヘラやってるやつはアホだぞ。

はい、わかりました。
自分はここで。
選手を引きます。
ありがとうございました。

おう。
8割がたな。
戻ってきても別にまれにあることだし、8割がたな。

は、はい。8割がたで(笑)





先に辞めてしまう後輩をお許しください。


佐藤さんに電話を入れました。


本当に頑張ったよな。
先輩ながら尊敬できるし、(怪我から復帰したとき)こっちも凄い励みになって頑張ろうって気持ちになった。
ありがとう。
俺達ご飯もまともに食べに行ったことないから今度行こうな。










続く
初めての長期休暇。
仕事も3カ月も休み、練習も週2、3回しか行かない。

全くツイてない人生だなと振り返る。
空手時代からのライバル、対戦した相手にすら先にチャンピオンになられている。
俺はやつらにも勝ってんのにな~
そんなことを思っても仕方がない。だが何度思ったことか。



なぜまた復帰することにしたのでしょう?
そのきっかけは。あまりよくわかりません。
ただ引退を告げた後に後輩、早坂の試合を見に行き、初めて安室奈美恵のコンサートに行き。
舞台に立つ者の凄さ、皆から注目された感じ。
そうゆうのもあったのか。


その時も
迷走中名古屋JKファクトリーのホワイトボードにはプロ石橋真幸の札はおろされることはなかった。



年末。
過去最大に酔っぱらってしまった。
歩けなくなった。
しかも初の名古屋JKファクトリーと名古屋JKフィットネスの合同忘年会。
そして幹事、石橋。
インストラクター、石橋。
にも関わらずだ。
人生の汚点とはこうゆうことを言うのだな。
と今なら笑って話せる。
酔っぱらったせいなのか、感情がむき出しになってしまった。
その節はどうもすいませんでしたm(_ _)m

ここで会長にもう一回やりたいと話した。
ただベロンベロンで申し訳なかったなと今でも思う。
そして送ってもらいました。会長に(笑)
ダァー○| ̄|_

後に札をおろさなかった理由を会長に聞くと。
練習に来てても目が死んでなかったからな。
復活すると思ってた。







佐藤さんの試合を観に行く。

同試合にkrush58㎏初代王者決定戦のトーナメントを開催していたな。

足を折る前は60㎏か55㎏の階級しかなかったのに。
俺が蹴れなくなる途端に出来やがる。


試合終わった後に。
隊長にも言われたさ。
やっと自分の階級が出来たね。

はい、嬉しいです。と応えた覚えがある。
ここで復帰することを隊長にも告げる。
あの時の隊長も。凄く嬉しそうだった。



まだ階段を降りるのも怖い、後楽園ホールをエレベーターで降り階段付近で佐藤さんを待っていた時、ひとりの女性に声をかけられた。
石橋君のファンなんです。
写真撮ってください。
これプレゼントです。

しっかしな。
東京で一度も勝ったことが無いのに。。。
と思いながら注文通り撮りました。
少し喋って。
実は引退しようと思ってたんです。
と伝えた。
凄く。あの廊下に響くくらい。え!引退!?
と叫ばれ焦ったのを覚えてます。


後にどうしても気になって聞いてみた。
自分一回も勝ったとこ見せたこと無いのに。
なんでですか?と。

気持ちが好きなんです。その負けない気持ちが。


・・・抱きしめてやろーかコイツ。


ウソウソ(笑)






ボルトを抜く。
手術三回目なのにこの恐怖心。
一回目二回目はもう早く手術してくれ。
それだけだったが。
健康な状態で手術しにいく。こんな嫌な事はない。
ちなみに嫁も手術で子供を産んだのだが。
やつもそんな気持ちだったのだろう。
笑えるくらい不安そうな顔してた(笑)




三回目の手術中に一番最初にかかっていた曲が。
ケツメイシのはじまりの合図。

なんだかドラマのようだぜ話しが。
この曲の通り始めれたこと。

はじまりの合図俺が鳴らせば。
暗い過去は捨てて無邪気な笑顔で。
皆幸せ。


だっけか

くせーな本当に。



そこから約一年。
足を曲げ伸ばし。
上半身、パンチのみで練習。
努力のかいあって、復帰戦が決まった。


相手は永山選手。その時RISEフェザー級3位。

蹴った蹴った蹴りまくったぜ。
また同じとこが折れるならこの試合で折りたいと思っていた。
中途半端に勝って、肝心なときにまた折れるくらいなら。

しかし折れて逆に頑丈になったぜ。
痛くも何ともないし、むしろスネの痛みでの怪我が無くなった。
折れて正解だったか。


試合は判定ではあるがなんとか勝つことが出来た。

Twitterで速報を流そうと思ったら。

既にメール、ラインには多数のお祝いメッセージがきていた。

Twitterを開いてもなんだか自分の名前が。

北海道にまで応援に来てくれた方が速報を流してくれていたんですね。
自分でも勝利報告をし、複数のコメントが返ってきていて全部返すことが出来なかったのを覚えている。
こんなに気にしてくれてる人がいたのか。

携帯を見て涙したのはこれが初めてである。



確かな。

女にメールで振られた時は確か泣かなかった(笑)







続く
2009年10月石橋プロデビュー。
結果は1RローキックでKO勝ち。
ローキックは空手時代から得意であった。

その後2戦して3戦3勝。
もう全勝でチャンピオンだな。
余裕だった。

しかし4戦目。
大和ジム、マン山室。
ここで初めてドロー。
実際かなり首相撲で腹を効かされていて倒れる寸前だった。
そんな甘い世界ではなかった。

その後6戦目でなんと。
K-1youthの出場オファーがきた。
相手は現在、krush60㎏初代王者、K-160㎏準優勝卜部弘嵩。

ローキックでKO負けだったさ。
今までやってきた中で効かされてKO負けはこの1回だけ。
マジで痛かった。
1ヶ月まともに歩けんかったがや。

ちなみに卜部選手は同い年で元々同じ空手出身。
闘ったことはないが昔から有名であった。

大石駿介(第5代J-NETスーパーライト級王者)、滝谷渉太(krush55㎏初代王者)もまた同じ空手出身。
この二人は何度か交えている。
空手時代にライバルであった同年代にどんどん置いてかれていった感をあじわう。


その後も名古屋KICKで戦歴を積み。
勝ちも、負けもいっぱいあじわった。
名古屋KICKは2カ月に一回。
毎回出場していたため、街を歩いてても声をかけられることも多々あった。
そういえば。
彼女(現在嫁)が海に行ってキックパンツ履いてる人にナンパされたんだと。
キックボクシングやってるの?
と彼女が聞くとやってる。と答えたらしい。
俺の名前を出したら、直ぐに撤退して絶対に言わないでね彼氏さんにって言われたみたい。
誰だったんだろ。名乗り出ろ!(笑)





そして、大阪のDEEPKICKのオファーがあった。
関西60㎏最強トーナメントである。

知る人は知っているアゴを折った試合だ。

このトーナメントには楠本鉱平、KING皇平、Fire仭士、階優弥など強敵の出場が決まっていた。
一年通して行うトーナメントでなんとか準決勝、決勝までいけた。


結局今思えば。
怖いもの知らずだったこの頃が一番強かったのかな。名古屋KICKでもメインを何度かやり、負けはあったものの長嶋大樹選手ともばっちばちの流血勝負だったし。
その前には負けなしで8連勝くらいしていたのかな。



準決勝、決勝は同日に2試合。
準決勝で優勝候補のFire仭士選手。勝てば楠本選手か階選手。

ちなみにアゴの骨折は準決勝の2Rのこと。
強烈なパンチを放ってくるFire選手。
アゴが折れた瞬間わかった。ガードを抜けてコツッて折れた。
そのまま試合をやり遂げ、判定で勝つことが出来た。
控え室に行くと口から血、ダーダーで止まらず。

・・・終わりかよおい

しかし会長がいない。
数分後帰ってきて言った言葉は。
おー。階勝ったぞ。結構パンチ打たれてたよ。

ウゲ、やらせる気満々だ(笑)

多少迷っていた俺はここでやったる!
って気持ちになりました。

後で聞いた話しでわ、別にやらせる気とかそんなんじゃなくて。
もしやるって言った時のためを思ったんだ。
って会長の優しさでした。


最近。色々骨を折るだの話題になると。
やたらこの時の話しが飛び交う。

実は会長も左腕、しかも同じ場所を4回程折っている。
俺は折れたってわかっててその折れた手で何回も殴り続けた。

本当に鳥肌が立つほど凄いと思う。

ただ試合中に折れたからアドレナリンでいけたけど折れたって分かってるのに次の試合に出ようっては思えない。

どっちもどっちでしょう(笑)

結局、アゴが折れながらも決勝に出たのだ。
勝ったらベルトに50万。大きいよ。
どうせ手術するんだったらよ。

頑張ったさ。
頑張った結果。
判定で負けた。
これも悔しくて泣けた。めちゃ頑張ったのにな。泣くときも痛かったなアゴ。
口閉じながら泣く。神業だ(笑)

そのまま名古屋へ帰った。
帰る途中うどん食べてみたら噛めない噛めない。
飲み込み方式で食って、直ぐ病院。
急患で行き、待つこと3時間程。

レントゲン撮りますね。

いやもう折れてるから入院させてくれ。と思った。

翌日入院。
全身麻酔で手術。
その後も1カ月程熱が下がらず。
徐々に練習復帰。
この件に関しては辞める気は一切なし。

しかし復帰してもパッとせず。
心の片隅でビビりがあるのか完全に衰えていた。
苦しかった。
この骨折の後遺症はずっと消えない。
実は下唇が痺れたまんまなのである。
だから滑舌が悪いのか!そうしとこう!


次は右足骨折か。
これも自業自得なのかもしれない。
試合初っ端でダウンを取られた。
完全に集中力の無さ。
その後の組膝からの右の膝蹴り、相手の左膝蹴りが合致あい相手の膝がスネに当たって骨折。
いて!と思って地面に足着けたらグニャッてな。
流石に終わったと思った。
利き足を折り、得意の右が使えなくなる。
赤コーナーのイスに座り
最悪だわー
と叫んだ記憶がある。

人生終わった。


救急車で運ばれるとき母親と彼女に引退を告げた。


後に

会長にも引退を告げ、佐藤さん、隊長へも電話で告げた。




続く