シビアな話 | スバロイェン広美 Happy Life

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2017年9月に卵巣がんが発覚しました。10月に摘出手術をしてステージⅢa。抗がん剤治療を2回したけど、半年以内に再発をしたので抗がん剤治療をやめました。今は自分らしい生活を大切にしたいと思い、緩和ケア外来に通っています。
2020年11月16日永眠いたしました。

今日は尚子も同席して、入院中の治療説明と今後の話を主治医にしていただく日でした。

朝の診察で、主治医から

「今日はこの入院で良かった部分もお話しますが、シビアな話もしなければいけません。相談なんですが、シビアな話は全てお話した方がいいですか?」

と言われました。

その瞬間“あっ余命の話だ”とピンときて、

「私の余命についてですか?」

と口に出した瞬間、涙がポロポロ。

“余命”

今の私には結構重い言葉だということを、この時気づきました。

なんとなーく分かってはいたけど…

口に出すことで今まで押し込めていた気持ちがぶわっと出てきた感じ。

主治医には全てを話してほしいと伝えました。


3年前、卵巣がんになって手術して、ステージが決まった時に婦人科の主治医に

「私はあとどれくらい生きることができますか?」

と聞いたことがあります。

その時主治医は

「そんなことは分からない。」

と応えられました。

今思えば、あの時に口にした

「私はあとどれくらい生きることができますか?」

とは全然重みが違いました。

あの時はまだなんとなく「治るのでは?」という期待がどこかにあったんだと気づきました。


13時~話し合いスタート

5月のCTと今回入院前に撮った造影剤CTから

*腹水増加→腹膜播種
*胸水増加→播種結節増悪
*腹部リンパ節 →播種結節増悪
*肝転移

ということが分かりました。

でも、これ以上に私の余命が決まる要因は

①静脈塞栓症
いつ血栓が飛んでもおかしくない状態

②高カルシウム血症
ゾメタという薬が効いていない可能性あり。今後治療法がなくなるかもしれない。

③腹水胸水増加
どれくらいで溜まっていくのか分からない。

なんだそうです。


この3つから私の余命は

“月単位”

ということでした。

曖昧だけど、今はこれしか言えないと…

ただいつ、どうなってもおかしくないというギリギリのところにいるのだそうです。

今後、私の体のことも考えて、外来にするか在宅診療にするかを、お話されました。

ここらへんは在宅看護師として働いていた尚子がとても詳しいので、色々聞いてくれました。


退院は明日の午前中に決まり、

しばらくは外来。

外来に通いつつ在宅診療をすすめていく。ということに決まりました。

話し合いが終わって、ちょっと落ち着いたけど、とても私の口から家族(とくに父と母ともう1人の妹)には話せないな。と思いました。

号泣してしまう…

尚子が伝えてくれる事になりました。

苦しい役ばかり…

本当にごめんよ











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