普通の国にしたい馬鹿 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

日本は、他の国と違います。何が違うのでしょう。日本は平和憲法を持っています。そして、戦争はできません。核爆弾を持てない国です。だから、日本は普通の国と違います。

 これを「普通の国と同じにしなければいけない」という馬鹿がいます。こいつらは、日本の歴史も知らないし、日本の文化が諸外国とは全く違うということも理解していません。日本の文化を知らないのです。だから、「日本を普通の軍隊にしたい」と言っているのです。日本は普通の国ではないのです。世界で一番すぐれた国なのです。日本のように優れた国などありはしません。

 世界中のどこに2800年も国体が続いている国があるのでしょうか? 日本以外にはないのです。韓国は66年、中国も65年、そんな短い国です。いつでもひっくり返ってしまいます。アメリカも同じです。大統領制だと次から次へと大統領が変わって続いているように見えますが、実際は何も続いていないのです。

 日本だけなのです。『国体(こくたい)』と言って、国柄が変わらない国は日本だけなのです。ローマ帝国も、エジプトの古代文明も、今は存在しません。

 何故、現在まで『国体』が続いているのかというと、日本文化は特殊なものであり、他所の国と比べると卓越しているのです。だから、今日まで国体が護持できているのです。

 国体のことを『玉体(ぎょくたい)』とも言うのです。玉(ぎょく)とは、天皇のことで、天皇の体のこと『玉体(ぎょくたい)』と言い、それを『国体(こくたい)』とも言うのです。同じ事なのです。

 「国体を守る」ということは、「天皇を守る」ということです。これは、優れているのです。日本には、「中心と分派」の思想があります。「天皇とは何か?」というと、日本の国の中心です。「国民とは何か?」というと、分派です。

 物事は、中心と分派があって、成り立ってくるのです。細胞でもそうです。細胞核があり、外側に余分なものがくっついています。それが、一つにまとまり生命活動を行っているのです。核たる中心と、周りがうまくいっているから生命活動が成り立つのです。

 韓国や、中国は中心がありません。核抜き細胞のようなもので、何処に行くか分からないのです。

 卵でも無精卵の場合は鳥にはなりません。精子を入れないと鳥にはならないのです。この精子が何かというと、玉体のことなのです。周りの白身が国民のことなのです。中心分派という考え方が、日本には古来からあるのです。

 多少の争いがあったにしても、基本的には変わっていません。それが国体です。他の国は真似をしなければいけないのです。

 世界で考えてみると「世界は何故まとまらないのか?」というと、世界には中心点がないからです。実はそれはあるのです。日本には中心点があります。そのように見ると「日本は世界の中心だ」ということが分かるのです。

 「何故、中心か?」というと、核があるからです。生命をつくっていく一番大事なものが核なのです。日本には天皇がいるのです。「天皇は世界の中心だ」ということが、そこからでてくるのです。ですから、天皇は日本だけの天皇ではないのです。僕の『日本人の使命』の表紙のイラストには、世界の上に天皇が描かれているのです。僕は昔から分かっていたのです。

 そのような国が何故、野蛮なゴリラのような国を真似して一緒にならなければいけないのでしょうか。

 もちろん、日本の軍備は必要です。それは持たなければいけません。日本が持つ軍備のことをなんというかというと、『皇軍(こうぐん)』と言うのです。「天皇(スメラミコト)の軍隊」であるから『皇軍』と言うのです。自衛隊とか、防衛隊とか、そんなものではないのです。

 陸軍でもなければ、海軍でもありません。『皇軍』なのです。「天皇(スメラミコト)の軍隊」であり、「国体を守る軍隊」です。憲法を改正した場合は、そこにいかないと意味がないのです。これは、はずしてはならないことです。

 そこから「教育勅語」も出てくるし、色々な素晴らしい教えが出てくるのであり、これは普通の国にはないのです。我が国にしかないのです。

 それは、韓国や中国にもない、アメリカにも、ヨーロッパにもないのです。「イギリスには王様がいる」と言っても、わずか千年くらいです。彼等は支配者です。民衆と支配者は違うのです。王様は、民衆を支配してドロボウするものなのです。そのために支配者がいるのです。民衆を抑え込んで「お前らは、奴隷だ! 俺の言う事を聞け! 働いて来い! 貢ぎ物を持って来い!」というのが、王様の位置です。

 天皇はそうではありません。「貢ぎ物を持って来い!」と言ったことはないのです。「皆がご飯を食べているのか?」と民を心配されるのが天皇です。「民のかまど」の話しのように天皇は国民を心配して、全てであるから天皇には姓がないのです。豊臣は「豊臣」のために民衆がいるのです。徳川家の為の庶民です。それにご奉仕するために百姓や町人がいるのです。中心は徳川家です。天皇は全然違うのです。

 天皇には苗字がないのです。素晴らしいことです。何故、苗字がないのでしょう。「日本国全ては私だ」という意識があるのです。上から下々どこへ行っても「私が中心者ですよ」という思いがあるので苗字がないのです。

 「昭和天皇」は、おくり名で崩御された後に送る言葉であり、御在世の時には名前しかないのです。そのようなことも他所の国家にはないのです。もっと言うと君臣一体です。もっとそれを広めると君臣民一体です。民とは一般庶民であり、臣とは天皇の家来です。大臣や公家など、天皇を囲んでいる臣下を臣と言うのです。民は我々です。

 日本は君臣民一体の思想です。諸外国は一君万民です。一君とは、皇帝です。後の万民が搾取する立場です。その違いが大正の末頃からよく分かっていないのです。「天皇と我々は同じだ」ということも分かっていないのです。臣下の方が天皇をうまく使って、自分達の統治の道具だと考えていたのです。天皇をつかってしまうのです。

 「天皇陛下の恩ために」と言って「こっちへ行け!」と言えば、「はっはー」と国民はみなが従います。そのように、昭和の初めの頃は、天皇が臣下に使われるようになっていたのです。これでは、ダメなのです。我が国の天皇は君臣一体のところにあるのです。

 天皇は中心であり、我々は分派です。身分は同じです。これは最高の民主主義です。これを日本型民主主義と言うのです。これも世界の連中に学ばせなければいけないことです。何故、日本が普通の国にならなければいけないのでしょうか。普通の国とは、野蛮国を意味するのです。我が国は帝国です。天皇を中心とした国体を護持する国家であり、他国の真似をすることは一つもありません。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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