政治と宗教 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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こんな広がりをもったテーマはありません。何故ならば、政治といっても様々な政治があります。

民主政治もあれば、共産主義という独裁政権もあります。金正恩、ヒトラーのような独裁政権もあります。中国共産党のように、資本主義に乗っかる独裁政権もあります。すべて違うので「政治とは何か?」というテーマをつくっても、簡単に答えることはできません。

もう一つ、宗教というテーマを見てみても、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教もあり、日本だけでも18万件の宗教法人があります。「何の宗教について論じるのか?」と言わないと、政治と宗教という命題には答えられないとわかります。

しかし、「政治とは何であるのか?」という共通項が一つだけあります。それは民衆支配です。宗教はいろいろありますが、その目的は民衆支配です。この宗教と政治の問題は、「民衆支配の方法である」ということがわかれば、共通項が出てくるのです。これが政治と宗教の回答です。形は違っても民衆支配であることには変わりありません。

最初に行ったのは、暴力による支配です。力の強い者が民衆を治めてきたのです。動物の世界もそうです。猿の世界でも、力の強い者がボスになるのです。ボスになると、今までのボスは隅っこにいくのです。ボスになると前のボスの子供を殺すのです。猿は猛獣です。

人間も力の強い者が出てきて民衆を治めていったのです。始めは力による支配です。力の強い者、それも腕力にすぐれた者が、その集団を率いていったのに違いありません。力の支配に民衆は参ってしまいます。

支配者は美味しい物を食べ、やりたい放題です。人の女房を取り、王様に400人も女がいて、民衆から女性がいなくなってしまいます。酒を飲み放題、わがままし放題、贅沢三昧です。民衆は何もできません。すべて奪われてしまい、何もない生活が続くのです。

それを表しているのが、李氏朝鮮です。朝鮮の身分制度は両班(ヤンパン)という貴族がいて、その下に常民・平民・白丁(ペクチョ)・奴隷がいます。人間らしい生活をしていたのは、両班までです。両班は文班と武班をもっていて、領地を持っています。その中に住んでいる民はすべて奴隷です。

民は両班の持ち物です。両班の土地で生活するのです。すると両班が「おい、米をもらっていくぞ」「女を連れて行くぞ」と言われるとすべて差し出すのです。両班の領地の中のものはすべて両班の物だから逆らえません。

両班は拷問もやりたい放題です。むち打ちの刑では、おしりを何百回とブッ叩くのです。それが原始的な統治です。それを最近まで続けてきたのが韓国です。そのような国だったのです。

日本はそんなことはありません。日本は公民制度があり、土地は天皇陛下のものなのです。その土地を大名は預かっているのです。その土地の守護を務めるのが大名の役割です。大名は「伊勢守」「大和守」といい「守(かみ)」という名前がついています。天皇から命じられて、その土地を治めるのが大名です。土地は大名の物ではないのです。

税金は4公6民です。百姓は税金を4割治めるのです。あとは、自由にしてよいのです。新田の開発は登録をしていないので、税金の対象にはなりません。畑でつくったものは、税金を納めなくてよいのです。そのように百姓は意外と自由だったのです。管理料として大名に納めたのです。

大名の家来は武士です。年貢を取り立てたり、見回りするのが武士の役割です。「土地は天皇のもの」であり、大名は天皇の土地を預かっているだけですから、江戸時代は盛んに藩替えを行ったのです。これも政治の一形態です。

支配の構造の基本は暴力です。逆らうと殺されるのです。民衆支配の法則として一番に働くのが武力です。武力による支配、選挙による大統領の支配があります。

民衆に選ばれて大統領や首相になり、権力を握ると変身するのです。安倍は首相になる前は「TPPは絶対反対」と言っていたのです。それが首相になるとガラリと変わり「TPP推進」の側に周ったのです。アベノミクスはすべてデタラメです。国を亡ぼす政策にしかすぎません。

今も川内原発が動いています。「ものすごく危険だ」と言われています。熊本大地震が発生して「燃料棒が曲がり、辞めることができなのだ」という説もあります。危険極まりないのです。小泉純一郎は、「原発大反対」です。

原発などやめればよいのに政府は絶対に止めません。これは選挙により首相になった人間がやっていることです。何も正しいことをやっていません。民主政治は民主的手続きにより代表を選んでしまった以上はどうすることもできません。

東京都知事になった舛添もそうです。こんな男だとは思わなかったのです。2億円使って外国へ外遊してファーストクラスの部屋に泊まり、湯河原の別荘に公用車で48回も行っています。これが権力です。

選挙により選ばれた東京都知事という役職に就くと、それまでは守っていたことも忘れてとたんに欲望・わがまま・やりたい放題です。誰かが文句を言っても「俺は知事だぞ。選挙で選ばれた都知事に向かって1都民が何を言うのだ」と言われれば黙ってしまいます。これも支配です。

「民衆を支配した」と思った瞬間にわがままが出てくるのです。支配の仕組みが共産主義で、スターリンも金正恩も独裁者です。基本は暴力です。民主政治は数の暴力です。

民衆支配で考えてみると、もう一つの方法が宗教です。「宗教は神様の教えだ」と思っている人が大半ですが、まったく間違った考えです。宗教は民衆支配の方法です。創価学会もそうです。民衆は支配をするものです。支配をする道具が宗教です。

「宗教」という道具を使うと、すべからく民衆を自由自在にできるのです。神を信じさせてしまえば、後は奴隷と同じです。何でも言うことを聞き、幹部に対しても批判をしません。やりたい放題です。それで民衆は治まります。政治権力が強い時代に生まれた民衆は、「助けてくれ」と思うのです。

かつてのローマ皇帝がそうです。よいシステムなのですが、政治はだんだん腐敗するのです。権力は民衆を抑圧する側になってしまうのです。その時に、民衆はたまりません。「助けてくれ」と思うのです。

ローマ帝国はディプロマという「ローマ市民証」を発行しています。この市民証を持っている者がローマ市民です。その10倍以上の奴隷がいたのです。このローマ市民にとって皇帝は、有り難い存在です。

娯楽、パン、酒、ローマ風呂をタダで与えてくれるのです。誰が与えてくれるのかというと、皇帝が与えてくれるのです。それが十分でないと、ローマ市民は怒って「皇帝を倒せ!」となるので、皇帝は様々な物を市民に与えていたのです。

金正恩もそうです。下には国民がいて、国民は奴隷です。その上に共産党の幹部がいるのです。共産党の幹部は何でも自由になるのです。金王様が「はい、ご苦労さん。ローレックススの時計だよ」「お前は頑張ったからベンツをあげるよ」と、何でもくれるのです。

金正恩が何でもあげるから上の人間は「将軍様」とついてくるのです。庶民には何もあげません。上の連中から言うと「何でもくれる、有り難い将軍様」ということです。ローマ皇帝のシステムと似ているのです。

ローマ市民がいて、その10倍の奴隷がいるのです。その連中はたまりません。何も与えられません。皇帝からすべて奪われるだけなのです。すると、ローマ市民は皇帝が神様でよいのですが、奴隷に神様はいません。それが宗教になったのです。これがキリスト教です。

奴隷たちの「ローマ皇帝は神ではない。我々も神が欲しい」という要求に対して、「私が神である」と出てきた男がキリストです。奴隷たちは「キリストを神として拝もう」ということになったのです。

ローマ皇帝からいうと、「神は俺一人でよいのだ。キリストが神だということは許さん!」と抑圧したのです。ところが、抑圧すればするほど、助けを求めるから、キリスト教は巨大化していったのです。するとローマ皇帝の声が小さくなってしまうのです。

宗教とは民衆支配の形態です。だから、キリスト教では、「ローマ法王」といいます。「王」という名前がついています。キリスト教でも世界を支配できるのです。

仏教もそうです。日本の中心者は天皇ですが、天皇の近くに坊主がいて、天皇の変わりに政治を行うのです。坊主の赤い着物、紫の着物は、聖徳太子が決めた十二位の位階の風俗です。

大僧正という位は天皇が決めた位です。今は勝手に名乗っていますが、昔は名乗るわけにはいかなかったのです。昔は天皇が命じて大僧正になったのですから、政治の形態だったのです。民衆に仏教を信じさせることにより、民衆を治めたのです。

天皇陛下だけでは足らない面がでてくるのです。だから仏教をつくり、神様・仏様に向けたのです。仏教は誰が握っているのかというと、天皇が握っていたのです。お寺は仏教を使い、民衆支配をやってきたのです。

日本でも仏教の支配の構造は全く変わりません。始末におえないのは、民衆は「宗教は救いであり、政治とは違う」と考えていますが、そではないのです。民衆支配という構造においては、政治も宗教も全く同じで、利害関係は一致しています。


 

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