虚妄分別(こもうふんべつ)、仏法とは智法である!   | 中杉 弘の徒然日記

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【ゆっくり解説】数学者も勘違いした0の謎!どうやって0は発見されたのか?

虚妄分別(こもうふんべつ)、仏法とは智法である!

 

 仏教には、分別という言葉があります。分別とは、無分別の反対の言葉です。わかりますか?

 数学で言うと、ゼロが無分別です。「1,2,3,・・・」という数字は、分別です。これらの数字は、分別虚妄から出てくるのです。「1,2,3,・・・」という数字は、虚妄です。ゼロだけは、虚妄ではありません。

 ゼロは、増えもしなければ、減りもしません。仏教を数学に対比させると、ゼロとは「無我」ということです。

 「1,2,3,4,5,・・・」という数字は、虚妄です。虚妄に分別しているのです。例えば、「コップが一つある」と決めます。実際は、コップは一つではありません。コップは、何個もあるのです。

 「コップは一つしかありません」と決めるのは、虚妄です。どうして「コップが1つ」と、決めているのでしょうか? コップは、ここに10個あれば、家には20個あります。

 「ここにコップが1つあります」と言ったのは、虚妄分別です。真実は、違うでしょう。コップは、数えきれないくらいたくさんあります。「その中の一つのコップですよ」と言うのが、真実に近い言い方です。

 数学的な判断で、「ここにコップが一つあります」というのは、真実ではありません。それと同じことです。その前に「分別とは何か?」ということを考えてみると、現代社会では「分別」という言葉を使っています。

 人間は目に見えるものすべてを分別しています。分別の中に世界があるのです。どのような分別があるのかというと、まず男と女の分別があります。「男と女」は、分別です。「貴方は山田花子さんという女の子」と分別しているのです。世界中に女性は大勢います。その中から一人だけ選んでいるのですから、分別です。

 無分別は、そのような分け方をしません。生命は、全て同じです。宇宙を見てごらんなさい。宇宙が広かろうが、狭かろうが、宇宙に変わりはありません。分別などしたら、ロクなことにはなりません。

 分別するから戦争になるのです。「これは俺のもの、これは、あいつの土地、あいつの土地が欲しい」と思うと、そこへ出かけていき、あいつと殺し合いをするのです。

現代の学校で習っていることは、分別です。勉強しない人は、分別ができません。何が何だかわからないのですから、無茶苦茶になるのです。

 人間には、分別と無分別の両方があります。現代社会で生活していくためには、分別を知らないと生活ができません。学校では、分別法を習っているのです。例えば、日本の歴史を教えます。世界の歴史は、日本の歴史だけではありません。

 様々な国の歴史があります。その中から日本の歴史を選んで、「日本の歴史を教えます」というのですから、分別です。学問は全て分別です。科学ならば科学を教えて、建築学ならば建築学を教えます。これらは全て分別です。

 学校の先生が生徒に教えることは、分別です。「お前たち、しっかりと分別しろよ」ということです。生徒は、一生懸命、分別を勉強するのです。先生は、「生徒がどれだけ分別できたのか?」ということを試験に出すのです。

 先生の教えた通り書かないと「これは、こう書かなければいけないのだ。お前の回答は、0点だ」と言われてしまうのです。頭の中で考えていることは、全て分別です。「俺は、あいつには負けないぞ」、これも分別です。

 分別法が重なって世界ができているのです。分別法は、行き詰りがあるから、必ず戦争になるのです。「俺とお前は、どちらが強いのか? お前には死んでもらうぞ!」というのが戦争です。これが分別です。

 「人間は皆、同じだ。人を殺すことは自分を殺すことだ」ということは、無分別です。現代社会では、そのような考え方は通用しません。「人は蹴落とせ、競争だ、競争に勝てば、人よりもよい給料がもらえるぞ」と教えるのです。

 法律も分別です。本来、自然界に法律などありません。法律は、人間がつくるものです。国家は、それに従わせようとするのです。

 仏法というものは、分別ではありません。無分別を説いたものです。これをきちんと分けて聞かないと、いけません。

 仏法を聞いて「分別法を習った」という人がいたら、それは間違いです。仏教は、無分別法を説いたものです。「なぜ、あいつを殴るのか。同じ人間だろう」というのが無分別法です。

 人間は平等です。生まれたものは、必ず死ぬのです。プロ野球選手になり、大谷翔平(おおたにしょうへい)のような有名人になっても、他の人と同じような寿命で必ず死ぬのです。人生は、「必ず死ぬ」ということから、成り立っているのです。このような教えは、無分別法です。

 お寺のお坊さんが説いていることは、無分別法です。学校で教わることは、分別法です。そのようなことを考えると、「宇宙にゼロは、あるのか、ないのか?」ということが、問題になってきます。

 「宇宙にゼロはありますか?」と聞くと、貴方は何と答えますか? ゼロはどこにあるのか見えません。ゼロを顕微鏡で探したら、ゼロは見えるのでしょうか? 見えるわけがありません。

 望遠鏡で探しても、ゼロは見えません。ゼロとは、そのような数であり、知らないと出てきません。数学で習った人は、ゼロが使えるのです。ゼロを習わない人には、ゼロを使うことができません。

 ということは、「無分別法とは何か?」というと、知ろうとした人がわかる法です。仏法とは、智法と境法にわけられます。

 境法とは、有る法です。無分別法の仏法は、無い法です。「どうして無い法なのか?」というと、知らなければ無い法です。仏法の教えは、自然界に存在して見えるというものではありません。

 いくら自然界の野山を駆け回っても、仏法はでてきません。人に教わって、「ああ、そうですか」と、初めてわかる法です。仏法は、智法の学びです。

 仏法は智法なのに、わからないから境法にしてしまうのです。創価学会員は、「なんぎょうほうれんげっきょう~、なんぎょうほうれんげっきょう~、宝クジが当たりますように」と、祈っているのです。

 宝くじは、有る法です。仏法は智法です。「宝くじが当たりますように」というのは、仏教ではありません。有難い仏教のお話を聞いて、「ああ、有難い」と思えば、智法を学んだことになるのです。

 ゼロを知らない人は、ゼロを使えません。それと同じことです。宇宙のどこを探しても、ゼロという数字はでてきません。不思議に思うでしょう。どうしてゼロは、出てこないのでしょうか?

 ゼロを探してみても、どこにもありません。どうして貴方にゼロが使えるのでしょうか? 「使える」ということは、人から教わったから使えるのです。ゼロという数字を立てれば、様々な方程式が使えるのです。

 「ゼロはどのような法なのか?」というと、智る法です。有る法ではありません。知らない人には、ゼロは使えません。知った人にとってゼロは、大変便利なものです。ゼロがないと、数学は成り立ちません。

 ゼロを教わると、数式ですぐに使うことができます。ゼロは、智る法です。有る法ではありません。いくら顕微鏡で見てもゼロは見えません。わかりましたか?

 仏様もそうで、智る法です。お釈迦様の説かれた法をいくら探しても、どこにもありません。お釈迦様の説かれた三千大千世界をいくら探しても、三千大千世界はありません。三千大千世界は、お釈迦様に教えられたことです。

 お釈迦様には、この世界が三千大千世界に見えるのです。苦労して修行して悟ったということは、そのようなことです。

 我々は悟っていないのですから、仏教を教わらなければわかりません。生徒「ゼロについて教えてください」、先生「ゼロは、このように使うのだ」、生徒「わかりました」と教わって、ゼロが使えるようになるのです。数学は、智る法です。有る法ではありません。

 智る法、有る法という考え方がちゃんとわからないと、頭が混乱して、頭破作七分(ずはさしちぶん)になってしまうのです。頭が狂ってしまうと、智る法までたどり着くことができません。

繰り返し言いますが、仏法は智る法です。有る法ではありません。そのような意味で言うと、御本尊をつくり、「これを拝め」と言ったら、有る法です。有る法だから、頭が狂ってしまうのです。

仏法は智る法です。知らなければ、無いのです。お釈迦様の法を教わって、「仏教とは、智る法ですね」とわかった人の中に生まれてくる法です。

 顕微鏡で見たら、「仏法が落ちていた」という話ではありません。知った人のみが、有難い仏教の功徳を感じることができるのです。そのように考えて、有る法にだまされないようにしていきましょう。仏法は智る法です。

 

 

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