仏教と国家 ① | 中杉 弘の徒然日記

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聖武天皇が大仏建立に込めた思いとは【真・日本の歴史】

仏教と国家 ①

 

 明白な事実があります。仏教というものは、国家を創るものではありません。仏道を修行するということは、国家という概念があったらできません。それは当然です。

 お釈迦様は、「仏道修行をするならば、出家をしなさい」と言われたのです。「出家」とは、社会を脱するということです。「社会を脱する」ということだけを見ると、ヒッピーも、「 Let It Be(ほっといてくれ)」も同じように見えるのです。

 国を治めるためにつくられたのが、仏教ではありません。仏教は、脱世間の法であり、出家の法です。それをピシッと抑えないと、後々、頭が狂ってきます。

日本でも偉いお坊さんがいます。伝教大師、弘法大師がいます。仏教は、外国から我が国に入ってきたのです。百済から仏教が入ってきて、天皇が仏像を拝むようになってしまったのです。

天皇は仏を拝めば、国家鎮護の法になると思ったのです。「仏教とは、何ですか?」と聞くと、それは「国家鎮護の法です」ということです。お坊さんは、国家を神道の神様と共に治めるのです。そのために、仏道修行をするのです。

修行する人のことを、お坊さんというのです。お坊さんは、国家公務員です。「お前たちは、国家の安寧を祈りなさい」と言われたのです。そのための専門の職業が僧侶です。僧侶は国家公務員だったのです。

天台宗では、千日回峰行をやっていますが、それは国家のために祈るのではなくて、自分のためにやるのです。仏教というものは、出家の法です。

昔、インドで生まれたのが仏教です。「私は、悟りたいのです。国家の中にいたのでは、私は悟れません。だから、出家します」ということは、「家を出ます」ということです。

「家を出る」ということは、「社会の束縛から離れる」ということですから、一切の社会の法は受け取りません。僧侶になって、兵隊になるという人はいません。兵隊は国を守るために戦うのです。

僧侶は、自分のために自分の道を求めようとする人です。お釈迦様は、それを出家と言ったのです。「私の道についてくるならば、貴方は仏の道を得るだろう」ということです。仏道を求めても、国家の偉い大臣にはなれません。

もう出家しているのですから、社会というものを否定しています。家すらも否定しているのです。お釈迦様は「私の弟子になりたいならば、お茶碗一つだけもってよろしい」と言われたのです。これは、食べ物を入れるお茶碗です。

裸では歩けないから、道端に落ちている布を拾います。その布は、馬の糞や、牛の糞で汚れているのです。ボロ布を洗ってそれを乾かして、自分で縫うのです。それを袈裟にして着るのです。これを糞掃衣(ふんぞうえ)といいます。

出家してもってよいものは、お茶碗と、糞掃衣の2つだけです。それが仏道修行者の財産です。そのほかの一切の財産は捨てるのです。世間的な物を捨てるのです。

お嫁さんをもらってもいけません。出家した人がお嫁さんをもらえば、そこに家が生まれるのです。家を持てば、出家して仏道修行をすることはできません。妻もなく、子供もなく、家もなく、財産もなく、何も持たないで私の弟子になりなさい。これが仏教の原点です。

それがいつの頃からか、仏教では加持祈祷をして、「アビラウンケンソワカ!」と呪文を唱えて護摩を焚いているのです。仏道修行をしていれば、災害を免れるなど、そんなことは全くありません。

日本の国には国家を護るために、神道という法があります。国ができた時から、神道はあります。神道は、国のためにあり、国の神様を祀っています。

我々が伊勢神宮へ参拝するのは、自分の祈りを持って「こうなりたい」「ああなりたい」「合格祈願」「家内安全」と祈るのではありません。個人のことを祈る場所ではありません!

伊勢神宮は、国家の神が祀られているのです。伊勢神宮へ行って、自分の祈りを祈っているのは、バカなのです。そんなことを祈る神様ではありません。

「我が国は、どのようにしてできたのか?」というと、天照大神がいらして、孫である神武天皇がこの国を創られたのです。神社は、鎮護国家です。神をお祀りするということは、日本の国を大事にして、この日本の秩序を守るということです。これが、日本精神です。

僕は、伊勢神宮へ参拝する時には、そのようにしてきました。毎年、参拝するので、何十年もそのようにしてきたのです。伊勢神宮へ参拝に行って、個人の祈りなど、一つもありません。「こうなりたい、ああなりたい、神様、お願いします」などという祈りは、全くありません。

伊勢神宮は、国家の大本の神様です。その神様に御礼申し上げるのです。「どうか、今後も国家が繁栄していきますように」と祈るだけです。それが、正しい祈り方だとわかるのです。

我が国は、神仏習合だから、神さまもお祀りして、そこに仏教が入ってきたので、ごちゃ混ぜになったのです。仏教は、不思議な神通力があるものですから、「お前たち僧侶は、国家鎮護のために仏教で祈れ」とやったのです。

お坊さんは、国家のために祈るのです。そのための大僧正です。脱社会で世間を出て僧侶になるということは、仏僧という貴族階級の位をもたされてしまうのです。本来の出家とは、全然違うものです。

聖武天皇の時代には、世の中に疫病が流行ったのです。神様に祈ればよいものを、「大仏を造れ」と言ったのです。奈良に世界一大きな大仏を造ったのです。大仏を造るためには、ものすごいお金がかかったのです。

何のために造ったのかというと、「この国に疫病が流行っています。仏の神通力で疫病を退散させましょう。国家が繁栄するために仏像を造りましょう」とやったのです。聖武天皇の考えは、狂っているのです。

神道は、国家の成り立ちを教えたものです。仏教というものは、個人の悟りを求めるものです。個人の悟りを求めるものを、国家の中枢にもってきて、神様と同じに考えて、坊主に祈祷をさせたのです。

聖武期に、雷雨があり神祇官の建屋が炎上し所々で人畜が落雷で死亡しました。(730年7月22日)これは、仏罰です。(②に続く)

 

 

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