日本男児伝 樋口 季一郎中将 | 中杉 弘の徒然日記

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戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎

 

 

日本男児伝 樋口 季一郎中将

 

 樋口季一郎(ひぐちきいちろう)中将は、真の日本男児です。

 樋口中将は、3つのよいことをしたのです。アラスカ準州のアリューシャン列島内にキスカ島という島があります。陸軍が6千名の日本兵を入れてしまって、自分達は転戦したので、6千名の日本兵を置き去りにしてしまったのです。

 「そんな連中を助けている時間はない。我々は、転戦しなければいけない」というので、キスカ島に6千名の日本兵を置き去りにしたのです。樋口中将は、その日本兵全員を助けたのです。

 樋口中将は、「武器を全て捨てろ」と言ったのです。援軍は来ません。「武器を捨てて裸になれ」と言ったのです。輸送船で全員を脱出させたのです。

 樋口中将が最も有名になったのは、ユダヤ人の救出です。当時、ドイツにいたユダヤ人はナチスドイツから逃れるために、ポーランドや、ウクライナに逃げたのです。ソ連は絶対にユダヤ人を入れなかったのです。

 2万人のユダヤ人が逃げてきたのです。ナチスドイツに捕まるとユダヤ人は全員、アウシュビッツ収容所に入れられて殺されてしまうのです。逃げてきたユダヤ人は、零下60度の寒空の下、ソ連領オトポールまで逃げてきたのです。

 ユダヤ人たちは、「満州国に入れてもらいたい」と考えたのです。日本とドイツは、日独伊の三国同盟がありました。日本はドイツに逆らうことはしたくありません。ドイツがユダヤ人を追いかけていたのです。「助けてくれ」と言って、ユダヤ人が日本に逃げてくるわけにもいきません。それで樋口中将は、「満州国ならば、よいのではないか」と考えたのです。

 満州国は日本の属国でもなく、五族協和で造られた国です。それで、ユダヤ人は満州国を目指して来たのです。その数、約2万人です。ところが、満州国の役人がビザを降ろさなかったのです。

 何故かというと、日本とドイツは条約を結んでいます。満州国は独立していると言っても、日本国のようなものです。ヒトラーに逆らうことになるので、ビザを降ろさなかったのです。

 樋口中将は、ハルピン特務機関長もやっていたので、「ユダヤ人にビザを降ろせ」と強引にやったのです。それで2万人のユダヤ人を救ったのです。

 樋口季一郎(ひぐちきいちろう)は、1888年、淡路島にある兵庫県三原郡本庄村上本庄に父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(9人とも言われている)の長男として生まれました。

奥濱家は廻船船問屋で代々続く地主でありましたが、明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残され父・久八の代で没落しました。11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られたのです。

その後、樋口家の養子(父・久八の弟・勇次が樋口家の婿養子となり、季一郎を勇次夫妻の養子として迎え入れた)になったのです。

1909年、陸軍士官学校(第21期)に進む一方で、東京外語学校でロシア語を学び、陸軍士官学校を優秀な成績で卒業して、陸軍大学校(第30期)を経て、ロシア語が堪能であることもあって、卒業後すぐにウラジオストクに赴任(シベリア出兵)して、満州、ソビエト連邦方面部署を転々と勤務したのです。

戦後20年近く経った1964年から1965年にかけて樋口自身が防衛庁(当時)の戦史室に送った書簡では、米軍は北海道に進攻すると考え、また、南方戦線が重視されていた為かなりの戦力を本土決戦用に移したのは事実だが、ソ連軍については戦況次第で南樺太に進攻してくるであろうが千島に進攻するかどうかは不明と考えていたのです。

 日本の降伏前の1945年8月10日に、ソ連対日参戦が発生しました。8月16日大本営はやむをえない自衛戦闘を除き戦闘行動を停止するよう全軍に命じたが、北方の第5方面軍を指揮していた樋口季一郎中将は、以降も南樺太(占守島等の千島列島も)におけるソ連軍への抗戦を命じ、戦闘を続けさせたのです。

ソ連が南樺太から北海道等の日本本土に進攻、占領することを樋口中将は考えていたのです。

ソ連は8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本軍を攻撃してきたのです。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾したが、日本軍とソ連軍は樺太で戦闘を継続していました。

8月18日未明ソ連軍は占守島も先制攻撃、武装解除を停止していた日本軍守備隊と戦闘となりました。

樋口自身の戦後の遺稿によれば、ソ連軍は戦争の状況次第では南樺太に必ず進出してくる、千島はどうなるか分からないとするものもあります。

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、大東亜戦争終結後の1945年(昭和20年)8月18日から、21日まで、千島列島東端の占守島で行われたソ連軍と、大日本帝国陸軍との戦いです。

17日の会同ではソ連軍が上陸しても日本軍側からは戦闘を仕掛けないはずであったが証言によれば、その後、師団方針が突如変わり、ソ連軍が上陸してくれば戦うようにとの命令を17日夜半に受けることになったのです。師団の方針変更は、第5方面軍司令官樋口季一郎中将が北海道防衛のためにソ連との戦闘方針を決めたのです。

池田末男(いけだすえお)大佐は、戦車第11連隊を陣頭指揮して、ソ連軍を迎え撃ったのです。8月18日午前、ソ連軍の攻撃により被弾炎上する連隊長車と共に戦死したのです(満44歳没)。戦死時の階級は陸軍大佐です。戦死により同日付で陸軍少将に進級しています。

「池田連隊は四嶺山の麓にあり、士気旺盛なり。0650、池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。祖国の弥栄を祈る。」(戦車第11連隊長 陸軍大佐 池田末男

池田連隊長と共に連隊長車に跨乗していた指揮班長の戦車第11連隊附 丹生勝丈 少佐(陸士53期)は、戦闘開始後まもなく連隊長車の砲塔上で敵弾により戦死したのです。

占守島自体の戦闘は日本軍優勢であったのですが、軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立しました。23日に日本軍は武装解除されたのです。捕虜となった日本兵は、その後ソ連軍に連行されて、シベリアへ抑留されたのです。

ソ連は戦車で北海道を占領しようとしたのです。占守島(しゅむしゅとう)の戦いで、日本軍がソ連軍の戦車を撃滅したので、戦車がなくなってしまったのです。だから、ソ連は北海道に攻めてこられなかったのです。

終戦後、日本軍は武器弾薬を捨てていたのです。それで、残してあった武器だけでソ連兵と戦ったのです。そのおかげで、北海道のソ連侵攻はなくなったのです。

手向かいしないで、「降伏します」と手をあげれば、敵は許してくれるのでしょうか? そんなことは絶対にありません。戦争というものは、そんな甘いものではありません。

「その後、何が行われるのか?」というと、男は皆殺しにされて、女は犯されて、子供は奴隷として売り飛ばされるのです。事実、ソ連は終戦後に60万人の日本兵をシベリアへ連れていったのです。

樋口中将は、そのようなことを知りぬいていたのです。手をあげて「参った」と言えば助かるというものではありません。徹底的に戦わなければ、奴隷にされてしまうのです。男は虐殺されて、女は強姦されてしまうのです。

 それを知っていたので、「ソ連は必ず北海道にやってくる」とわかっていたのです。樋口中将は、占守島(しゅむしゅとう)の戦いの指揮をとったわけではありません。池田連隊長に命じたのです。

池田連隊長が守ったおかげで、北海道は今でも日本の領土なのです。池田末男大佐は、「戦車の神様」と呼ばれた人です。日本の英雄です。

北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団隷下第11戦車隊は、占守島の戦いにおける陸軍戦車第11連隊(通称:士魂部隊)の奮戦と活躍を顕彰し、その精神の伝統を継承する意味で、「士魂戦車大隊」と自ら称しています。

これは、旧陸軍の戦車第11連隊(愛称:士魂部隊、十一を「士」と読ませたことによる)に由来します。戦車第11連隊は多くの犠牲を出しましたが奮戦し、ソ連軍を敗走させたのです。そのおかげで、北海道はソ連に占領されなかったのです。

この戦いを顕彰し伝統を継承するために、第11戦車隊は「士魂」の愛称を受け継いでいます。その時に戦った連隊長が池田末男大佐です。

樋口季一郎(ひぐちきいちろう)中将と、池田末男(いけだすえお)大佐は、日本の英雄であり、真の日本男児です。

 

 

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