日本男児伝 勝海舟 | 中杉 弘の徒然日記

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【12分で解説!】勝海舟がいなかったら今頃〇〇なことになってた!?

 

 

日本男児伝 勝海舟

 

 いよいよ、勝海舟の話です。勝海舟のお父さんは、勝小吉です。この人は、全くの無学で、字が書けなかったのです。

勝小吉のお爺さんは、米山検校(よねやまけんぎょう)といいます。米山検校は、越後国刈羽郡長鳥村杉平(現・新潟県柏崎市東長鳥の杉平集落の山上徳左衛門益平の七男として生まれました。

12~18歳頃、江戸に出てきて、300文しか持たない状況下で吹雪にあい行き倒れて、奥医師である石坂宗哲に助けられた事が切っ掛けで鍼医となり、出世の機会を掴んだと記録されています。勝海舟の『氷川清話』にも同様の記述があります。

勝小吉のお爺さんは、越後から江戸に出てきた盲のあんまさんだったのです。旗本の男谷平蔵忠恕(越後国羽郡長鳥村杉平出身の盲人である米山検校(よねやまけんぎょう)の九男)の三男の子供が小吉です。

米山検校は、1769年(明和6年)に旗本男谷(おだに)家の株を買い、六男・信連が水戸藩士(200石)となり、九男・信陵が旗本(100石)となったのです。この信陵が、男谷平蔵です。男谷平蔵の三男が、小吉です。

男谷平蔵の末子が海舟の父・勝小吉であり、小吉は三男であったため、男谷家から勝家に婿養子に出されたのです。勝家は小普請組という無役で小身の御家人だったのです。

(ウイキペディアでは、旗本と書かれていますが、無役の場合は、御家人です。旗本は御城に行きますから、無役ということはありえません。中杉弘解説)

勝小吉は、1808年、旗本の勝甚三郎の末期養子となったのですが、喧嘩好きで学問を嫌い、たびたび問題を起こしたのです。

あんまさんは、検校(けんぎょう)という最高の位が与えられ、お金も貯められたのです。「江戸時代は、士農工商の身分がハッキリと別れていた」というのは、ウソでお金で武士の身分も買えたのです。

 豪商の商人の倅をお金に困っている武家や、跡取り息子がいない武家に入れたのです。すると、その名前を継ぐので、武士になれたのです。そんなことは、年がら年中あったのです。

 江戸城の「登城」の合図に「ドンドンドンドン」と太鼓が鳴ります。旗本は、裃をつけて、お城に上り、上様にお目通りをしたのです。

 御家人は、徳川家の家臣ですが、お城に行かなくてもよいのです。その代わり、町奉行所や、牢番などの役職に就いていたのです。1回も上様におめにかかったことはありませんが、身分は武士です。

 『御家人斬九郎』は、御家人です。長男は家を継いでも、次男、三男は家を継ぐことはできません。次男、三男は登城しなくてもよいのです。その連中が徒党を組んで暴れ回っていたのが、白柄組です。

 白柄組は、柄に白い糸を巻いたのです。徒党を組んで乱暴狼藉を働いたのです。当時、白柄組と、幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)が、喧嘩になったのです。幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)は、侠客です。旗本は、権力をもっていますから、逆らえません。侠客は、「弱きを助け強きを挫く」のですから、旗本でも恐れません。

 1994年には、『親子鷹』という松竹制作の時代劇ドラマがありました。勝小吉と、勝海舟の物語です。勝小吉は暴れ者で喧嘩ばかりしていた不良です。勝小吉は、2年間くらい家出をしたのです。

 江戸では道具屋をやっていたのです。道具を売ったり、喧嘩の仲裁をしていたのです。御家人斬九郎のようなものです。

 お父さんが偉かったのは、「俺は勝家を引き継いだけれども、学問がない。お前は学問をつけろ」と言ったのです。それが偉いところです。「俺は学問がないから、お前も学問はいらない」というのではありません。

 「お前は学問をつけろ」と言ったのです。徹底的に教育を行ったのです。自分は無学文盲ですが、息子には教育をつけさせたのです。

 勝海舟は子供の頃、犬にキンタ●を食われてしまうのです。それで、ものすごく熱がでて死の淵をさまよったのです。勝小吉は、刀を抜いて、バンと畳に突き刺して、「死ぬんじゃないぞ!」と励ましたのです。そのおかげで勝海舟の熱は下がり、死ぬことはなかったのです。

 勝小吉は無学ですが、剣術はできたのです。勝海舟は「剣術は本物をやれ。偽物の剣術を習おうと役に立たないぞ」と言われたのです。そこで、勝海舟は十代のころから、島田虎之助に入門して剣術、禅を学び直心影流剣術の免許皆伝となります。3年間、徹底的に剣術の修行をしたのです。この話は、『氷川清話』にも書かれています。勝さんは、ものすごい修行をしたのです。

 まず朝は道場の雑巾がけです。それから朝稽古です。昼も稽古、夜も稽古です。1日18時間くらい稽古をしたのです。クラブ活動のように1~2時間やって、終わりというのではありません。そんな甘いものではありません。徹底的に剣術の修行をしたのです。

 剣術の修行は、夜になっても終わりません。夜になると、お寺で座禅を組んだのです。30分くらい座禅を組むと「ムクッ」と起き上がり、一人で打ち稽古をしたのです。それを繰り返したのです。疲れたら仮眠して、また起きて座禅を組み、それを10回くらい繰り返したのです。

 夜が明けてくると、道場に帰るのです。今度は、道場で朝稽古です。それを3年間、徹底的にやったのです。すごい人です。

 幕臣になると、刺客が勝海舟を斬りにやってくるのです。「お前はアメリカにかぶれて生意気なことを言っているな」と言って、斬りかかってくるのです。坂元龍馬も刺客の一人だったのです。

 「勝海舟という生意気な奴がいるから、俺が斬ってやる」と刺客が大勢やってきたのです。刺客が勝さんの家へきて「勝先生はいますか?」と尋ねます。すると、女中さんがでてきたのです。

 勝海舟の家には、女中さんが20人もいたのです。それも美人ばかりそろえていたのです。勝海舟の家には、荒くれ男がやってきます。「勝はおらんか!」と言うので、「どちら様でございますか?」と女中が聞きと、「坂本龍馬だ」と言うので、「では、おあがりください」と家にあげて、お茶を持ってくると、だんだんと荒ぶる心が静かになってきたのです。

 刺客の荒ぶる心が収まると、勝さんがでてきたのです。そこで話をすると、みんな弟子になってしまったのです。坂本龍馬も勝さんを斬りにきたのです。坂本龍馬は、あまり頭がよくなかったので、すぐに弟子になってしまったのです。

 勝海舟の剣術は、名人です。誰にも負けなかったのです。しかも、刀が抜けないように紐で縛っていたのです。どこへ行っても、夜歩いても、刀は持っているけれども、抜かなかったのです。

 刺客たちは長い刀を持って、勝さんを殺そうとしていたのですが、実力が全然違います。勝さんは、52カ所も切り傷があったのです。刺客は、本当に斬りにくるのです。女中さんがでてきて、大人しくなった連中ばかりではありません。

 「お前が勝か?」と言って、いきなり斬ってくるのですから、52カ所の切り傷があったのです。斬ってくる刺客を避けるだけの器量はあったのです。パッと避けて、「待て!」と言わないと斬られてしまいます。それは、若い頃の剣術修行が効いていたのです。

 新選組の清川八郎は、口だけです。「待て!」と言っても、斬られてしまったのです。勝海舟は、そうはさせません。

 それと似た話では、桂小五郎もそうです。桂小五郎は、神道無念流の免許皆伝です。すごく強かったのです。新選組の近藤勇も、「桂小五郎が来たら逃げろ。戦ってはいけない」と言っていたのです。それだけの実力があったのです。

 斬り合いなど、ヤボな連中がやり合うのです。本物の剣術の達人は、そんなことはやりません。

 勝海舟の晩年に書いたのが『氷川清話』です。「あの時はこうだった」という回想録です。勝さんは、70歳過ぎてからは金貸しをやっていたのです。何故かというと、旧幕府の落ちぶれた連中が、勝さんを頼ってきたのです。

 「勝先生、何とかしてください」と言うので、「仕事をやりなさい」と言うと、旧幕臣が「このような仕事をやります」と言うので「では、お金を貸してあげましょう」と言って、お金を貸したのです。もちろん、返せるなどとは思っていません。旧幕臣を助けるために金貸しをやっていたのです。

 その中ではもちろん成功して大儲けをした旧幕臣もいたのです。そのように成功した人からは借りたお金を返してもらい、また困っている人にお金を貸したのです。そのような金貸しですから、金目当ての金貸しではありません。旧幕臣は、勝さんからお金を借りて、清水次郎長の助けを借りて、静岡県でお茶の栽培に成功した幕臣もいたのです。明治政府の世の中になっても、旧幕臣を見捨てなかったのです。それが勝さんのすごいところです。

 若い頃は、易者が「お前はみどころがあるから教えよう。俺はスッポンが食べたくてすっぽんの首を切ったのだ。そのスッポンは、「俺を食べるのか?」とギロリと睨んだのだ。その目が忘れられなくて俺は落ちぶれてしまったのだ。人に恥じる行いをやってはいけない」ということを教わったのです。

 勝さんがやったことは、江戸城無血開城です。その時に連絡を取っていたのがヤクザです。馬に乗り、ヤクザ、鳶職、ならず者を回って説得したのです。「お前たちは、ならず者なのだから、このような時に庶民のお手伝いをしなさい。もし、江戸城が焼き討ちにあったら、町民を千葉に逃がすのだ。それには船を何艘置け」と打ち合わせをしたのです。「お前らが、江戸の町人を逃がすのだぞ」という約束をしたのです。

 勝海舟は、上も下もつながっていたのです。それが勝海舟の魅力であり、江戸の危機を救った真の日本男児です。

 

 

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