日本男児伝 石原莞爾 | 中杉 弘の徒然日記

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再投稿【すごい日本人】戦争の天才が発した東京裁判での衝撃の証言!東条英機の敵と目された帝国陸軍・石原莞爾、戦犯自称の真意とは!

 

 

 

日本男児伝 石原莞爾

 

 今日のお話は、石原莞爾中将です。この名前を若い人は知りませんが、大人物だったのです。陸軍幼年学校から、士官学校を経て、大日本帝国陸軍軍人となり、「軍事の天才」とも言われた人です。

明治22年(1889年)1月18日に山形県西田村郡鶴岡(現・鶴岡市)で誕生しました。父親は警察官であり転勤が多かったため、転住を重ねている。幼年期は乱暴な性格であったが利発な一面もあり、その学校の校長が石原に試験をやらせてみると、一年生で一番の成績であったのです。

石原は子供時代から近所の子供を集めて戦争ごっこで遊び、小学生の友達と将来の夢について尋ねられると「陸軍大将になる」と言っていたのです。

明治35年(1902年)、庄内中学二年次途中で、仙台陸軍地方幼年学校(予科)を受験して合格し、入校したのです。石原は、ここで総員51名の中で1番の成績を維持し学業は優秀だったのです。

1931年(昭和6年)満州事変を起こし、23万人の張学良軍を相手に、1万数千の関東軍で満洲を占領したのです。その後、1932年(昭和7年)満州国を建国したのです。

石原莞爾将軍は、1万人の軍隊で、23倍以上いる中華民国の張学良軍を打ち破ったのです。それで満州国は建国できたのです。

 だから、石原莞爾は、「軍事の天才」と呼ばれたのです。石原莞爾の有名な書物は、『世界最終戦論』です。これは、すごい本です。それで日蓮大聖人様の信者でもあったのです。

 このようなことも書いています。「今は末法であるから、日蓮大聖人様の教えによれば、末法には上行菩薩菩薩が出現します。出現すると言っても、お坊さんがこの世に出てきても、世の中を救うことはできません。私は軍人である。末法は、法華経と軍隊をもった人間が世界を制覇する」というのです。それを『世界最終戦論』といいます。「私は将軍であるから、日蓮大聖人様の生まれ変わりである」と言ったのです。

 末法に現れた法華経の行者は、武力を持っていなければいけません。石原莞爾は、「最終戦争は避けられない。東と西との戦いであり、武力によって決着がつくのだ。必ず日本が勝つ」ということを言っていたのです。

 石原莞爾将軍は、23万人の中華民国軍を、わずか1万人で破った名将ですから、日本の英雄です。すごい男です。偉ぶるところもなく、自分の軍服は、木綿でつくっていたのです。普通、将校になると絹で軍服をつくるのですが、石原莞爾は木綿の軍服を着ていたのです。質実剛健で、人格的にも素晴らしい人だったのです。

 日本が戦争に負けたときに連合軍は、石原莞爾を東京裁判に引きずり出そうとしたのですが、癌をわずらって病院で療養していたのです。

出張法廷では、石原莞爾は判事に「歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うか」を尋ねると、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」と答えたのです。

それに対し、石原莞爾は「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満洲も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」との持論を披露したのです。

 すごい人です。日本が開国を迫られたのは、ペリーの圧力です。発想がすごいのです。日本人を戦争裁判にかけるなど、全くの茶番です。「みんな、お前たちが悪いのだろう。侵略戦争をしたのは誰かというならば、ペリーを呼んでこい」ということです。日本はペリーが開国を迫る前は、鎖国をして誰の国の世話にもならず、独立してやってきたのです。

 日本に軍艦をもってきて、大砲で脅したのは、ペリーです。「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。と言ったのです。東京裁判で、アメリカ相手にすごい発言をしたのです。

 怒鳴りまくるのではなくて、理論的に証言をしたのです。さすが石原莞爾将軍です。これには、裁判を開いた連合国側も参ってしまったのです。それで「石原は呼ぶな」ということになったのです。

 それで入院している病院に行って、質問をしたのです。石原莞爾の功績は、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。と言ったことです。日本が戦争に負けた後の東京裁判で、そのような正論はなかなか言えません。

 東京裁判では、大川周明という思想家がいました。大川周明は、東京裁判の最中に東条英機の頭を後ろからパチッと叩いたのです。東条さんが「後ろを振り向くと、大川周明がいたのです。

 大川周明と言ったら、東洋の論客です。ものすごく頭の良い人です。「こんなバカ裁判をやっているんじゃないよ。どうして日本人がこんな裁判を受ける必要があるのか」ということです。

 東条さんの頭を後ろから叩くなど、バカにした態度です。それで精神病院へ入れられてしまったのです。大川周明は頭が狂っているということにされて、長い間、精神病院へ入れられてしまったのです。

唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴されましたが、梅毒による精神障害と診断され、訴追免除となりました。

 日本には偉大な人物が大勢います。石原莞爾は、著書があるところがすごいのです。世界は、最終戦争が行われるのですが、「日本が勝つ」ということです。

 石原莞爾将軍は、「必ず日本が欧米をやっつけて、日本が勝つ」ということを考えていたのです。石原莞爾は、軍人であり、思想家でもあったのです。それが国柱会の田中智學の弟子です。日本にはこのような英雄がいます。

 戦いでも23倍と言われた蒋介石の中華民国軍を打ち破っているのです。単に口だけで『世界最終戦論』を書いたのではありません。最高の名将です。皆、石原莞爾を尊敬していたのです。石原莞爾は真の日本男児です。このような豪傑な英雄がいたのです。

 そして、東京裁判で東条英機の頭を叩いた大川周明も東洋の論客です。論客から見ると太平洋戦争はインチキです。「侵略戦争は、ペリーから始まっている」という石原莞爾の見方はすごいのです。

 満州事変から侵略戦争が始まったのであれば、「日本が悪い」と言われますが、侵略戦争はペリーから始まっていたのです。その侵略に対抗するために、日本は大東亜戦争で開戦したのです。侵略戦争を起こしたのではありません。

 石原莞爾は「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。と言ったのです。ものすごい迫力です。そのようなことを理論的に把握することが大事です。石原莞爾は、今でも尊敬されている大日本帝国軍人です。石原莞爾将軍、万歳!

 

 

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