幼少期.4 【電車通い その1】 | 舞踊家 菊地尚子のブログ

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つれづれつらつら。

小2の3学期に、高崎からまた再び東京に戻ってきた私は、
もともと通っていた近所のスタジオではなく、北井先生の東京スタジオの方に通う気満々でした。

とはいえ、同じ東京と言えども、電車に乗って通わなければならない遠さでした。
試しに母と電車に乗って北井スタジオまで見学に行ったら、乗り換え2回の片道1時間はかかる道のりでした。

母は何度も近所のスタジオを勧めてきました。
そりゃ2年生で平日の週3回、そんな遠い所まで電車で通わせるのは心配でしょうがなかったことでしょう。
帰りもそれなりに遅くなります。
かといって、私以外に兄が2人いるので、母が付きっ切りで送り迎えをすることはできません。

何せ近所にお世話になっていたスタジオがあるのだし、
何度も何度も諦めてほしいと母からお願いされましたが、
私の決心はどうにも揺るがす、断固として北井スタジオに通うと言い続けました。

どうしてそんなに北井先生が良かったのか。。。

高崎のスタジオでは、沢山生徒さんがいた上に、そんなに容易に話しかけれる雰囲気ではなかった北井先生とは、
「こんにちは」と、「ありがとうございました」
ぐらいしか言葉を交わしませんでした。
ろくに先生とおしゃべりした記憶は、ありません。

ただ、私は北井先生のレッスンで自分が大分上達できたのではないかと思っていました。そして先生を尊敬していました。

とても怖い先生ではありますが、自分の中で「ついて行こう」と思う気持ちが強く芽生えていたのだと思います。

それらの子供なりの体験や、想いは、当本人ではない母には分からなかったのでしょう。バレエが続けられるんだから近所のスタジオでいいじゃないという感じでした。


結果、私の頑固さに母も折れてくれ、
1人で電車通いが出来るようになるためのトレーニングが始まりました。

いとこの大学生のお姉さんを、1カ月間アルバイトとしてお願いし、電車の乗り方、乗り換えのホーム、電車の鈍行急行の違いなどなどを仕込んでもらいました。

1カ月後、1人で電車デビューする時は、本当にドキドキしながら乗っていましたが、無事にスタジオに着き、家まで帰って来れた時は、自分なりの達成感がありました。

そうこうして、電車通いにもなれた夏休み近くに、また母から
「車で20分ぐらいの所に有名なバレエ団のスタジオがあるからそこに試しにいってみたら?」
と、提案がありました。

私は電車通いに慣れてきたのですが、どうやら母としては毎回心配しつづけるのがやはり辛かったのでしょう。

有名なバレエ団!?
と私も興味深々で夏休み中に一週間の体験レッスンに参加しました。

しかし、「へっ?!もう終わり?」と思うレッスン内容で、
(今思えば、子供クラスでやる極普通の内容と量でした)
私としてはとても物足りなく、そこの先生からも「すぐに上級生のクラスにあげますから」とお話いただきましたが、
私は「やはり北井先生を裏切るわけにはいかない」と、勝手に強く思い直すキッカケとなりました。

結局北井スタジオに行くと決めた私に、今回ばかりは母も腹をくくったようで、その後も心配はしてたと思いますが、応援しつづけてくれました。

そして、そんな想いで付いて行こうと決心した師匠とは、
そののちとんでもない大ゲンカをするほどになるのですが、それは10年後ぐらいです。。。