母に捧げるバラード6 | Nani Mino'aka(亀有のハワイ)

Nani Mino'aka(亀有のハワイ)

亀有初・唯一のハワイアン雑貨のお店です。
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Aloha!

 

台風が過ぎ去り、残暑が戻ってきた亀有から

連日書き込んでいる。

お袋の話

 

昨日は茨城に引っ越してきて、如何に茨城が田舎だったことを書いた。

都落ちとかいろいろ書いたが、そんなお袋もそこから10年以上住んでいるうちに

そこそこ慣れ親しんできた。

 

まず、埼玉で原付・自動車の免許をとって

移動手段の進歩である。

そう、軽自動車を買ってもらった。

今では考えられないがエアコンなしのシンプル車。

しかしながら、お袋の行動範囲は格段に広がった。

 

私や妹が高校の時は高校まで13キロぐらいあったので、下校の頃に雨が降ってくると、車で迎えに来てもらった。

自転車は軽自動車の後ろのハッチを開けて、自転車を積み込み閉まりきらないハッチを紐でぐるぐると抑え込んで。

また、私が高校1年の時に接骨院で受付のバイトをしていたんだが、学校が終わってバイトが始まる夕方まで、お袋が受付をしていた。

そう、親子で同じところでバイトをしていたのだ。

ちょっと不思議な光景だ。

だから、お袋とは共通の話題も多く、ある種コミュニケーションはとれていたと思う。

お袋の車に乗るのも好きだった。

スーパーに買い物にも一緒に行った。

16歳になって学校に内緒で原付の免許をとると

お袋のかつての愛車は私に受け継がれ、

そのうち私が面白半分でお袋の車の後ろに

MITSUKOとカッティングシートで張り付けると

ある日お袋が、車に乗っていると後ろから

「みつこさーん」と呼ばれるのでビックリする

と言ってきた。

 

「じゃあ、外せば」と言うと、そのままで乗っている。

まんざら嫌じゃないみたい。

 

友人からは昨日お袋を見かけたとか車の目撃情報が入るし、俺の友人とも仲が良かった。

フォルクスワーゲンのビートルに乗ってる友人には、

「あんたの車うるさいから、うちに来るときは何とかしなさい」と言って、

それ以来友人は数十メートル手前でエンジンを切り、惰性でうちの前までくるようになり、

それでも遠くのエンジンの音で、○○君が来たよぉ!と

 

まず、お袋との世間話を済ませないと家の中に入れないという妙な決まりまでできた。

なかなか面白いお袋だった。

 

友人もそれを楽しんだし、お袋はそういうところで茨城にだんだんと馴染んでいた。

そんなお袋がかわいかった。

たぶんお袋なりの子育てがそうだったのか。

 

女の子なんかが来ると

ごっつええ感じのまーくんの母親並みだ。

その時は煙たかったが、どこの親もおんなじだと感じた。

でも、彼女と言える女の子は必ずお袋に会せた。

カミさんを会せた時は、病気の兆候が???の頃だったが、結婚するときには報告しにいくと「よかったねぇ」と弱弱しい声ではあるが言ってくれた。

 

Mahalo nui!