ずっとずっと長い間悩まされているお金。
そのお金の大元は罪悪感
子供の頃、欲しかったフルートを買ってもらえなくてお小遣い貯めて買ったり。
一緒にお買い物に行った友達と同じセーターを買って帰ってお母さんに烈火の如く怒られたり。
新発売のチキンナゲットをハンバーガーと一緒に食べたかったのにナゲットしか買ってもらえなかったり。
行きたかった音楽学校もお金がなくて諦めたり。
大人になってからは
お付き合いしていた彼は超ドケチ。
お金持ちの人の悪口ばかり言う人だった。
競馬が趣味でいつも負けているのに、たまに勝つとそのお金をすられてしまったり。
とことんお金に縁のない人だった。
常にお金がなくて旅行に行っても安い民宿、ひどい時にはパーキングに車を止めて車内泊。
(今から思えば彼は私の中の「お金がない」を見事に見せてくれていた)
…出てくる出てくる。
お金に関する悲しい思い出。
幼い頃から今までお金が潤沢にあった記憶が一度もなかった。
そうか
あの頃からずっとずっと私は悲しい涙を流し続けて来たんだな。
お金を使うとお母さんに嫌われる。
お金を使うとお母さんに怒られる。
お金を使うとお母さんを困らせる。
お金を使うと家のお金がなくなってしまう。
私の中のお金は罪悪感の象徴だった。
お金が大好きといいながら、「お金=悲しみ」という方程式が私の中に出来上がっていた。
もうこの悲しい涙を終わらせよう。
もうこの悲しい涙を終わらせよう。
もう十分流したじゃないか。
もう、いいよ。
私はもっと幸せになっていい。
そのためにはとにかく自分を満たすこと。
ひたすらひたすら内側を満たす。
が。
そのためにはとにかく自分を満たすこと。
ひたすらひたすら内側を満たす。
が。
それがまた難しい。
すぐに忘れる。
気がつくと罪悪感がある。
こんなことしてていいのかな。
このままだと困ったことになるのでは。。
といつもの癖が頭をもたげる。
仕方ないね、ずっと罪悪感と隣り合わせだったのだから。
今すぐに罪悪感とさよなら出来なくてもいい。
少しずつ少しずつ、リハビリするのだ。
罪悪感がまた頭をもたげてきたら
「あーまたやっちゃった(ゝω・)テヘペロ」でいい。
今日もひたすらリハビリしよう。
コツコツと。
ずっと悲しい涙を流してきたけど、それはもうやめていいのだ。
私は今まで貧乏症だったけど、貧乏ではない。
「お金がない」
が母の口グセ。
それをずっと握りしめていなくていい。
お母さんにお金がなくても私はお金持ちになっていい。
私は母とは別の人間なのだから。