他にもたくさんあります、罪悪感。
私の90%は罪悪感で出来ているのではないか?と思うくらい。
心屋塾で学んで知ってるんですよ、罪悪感が何の役にも立たないこと。というか、「百害あって一利なし」だという事を。
でも、それを知ってすぐになくせるかというとそうでもなく。。。
いろいろある罪悪感のうちの一番大きなものが体調を崩すこと。
体調を崩して仕事を休むことへの物凄い罪悪感。
周りに迷惑をかけてしまう。
仮病と思われるんじゃないか?
ダメな人と思われるんじゃないか?
記憶を辿ってみるとこれの元はやはり子供の頃。
私は学校に行くのが嫌で嫌でいわゆる登校拒否になりかけの子供でした。
行こうと思うと具合が悪くなる。
気持ちが悪くなる。
熱が出る。
それを見た兄は
「コイツ、また仮病使ってる」
父は「なんだ、また風邪で寝込んでるのか、だらしない!」
私の中で「具合が悪くなる=仮病と思われる」
という方程式が出来上がっていました。
なので、大人になった今もそれは変わらず。
今回も風邪でお教室をキャンセルしてしまったのですが、すごい罪悪感。
休むことへの罪悪感が半端無いのです。
お世話になっている京葉ガスさんや申し込んでくれた生徒さんへの申し訳なさ。
でもその一方で、具合が悪いとゆっくり休めるというメリットもあり。。。
何も無いのにのんびりしたり休むのはこれまた罪悪感がムクムクと。。。
風邪なら休むのも仕方ない、と自分を納得させられる。
休むことにどれだけ罪悪感があるのだろう。
休むことがどうしてこんなにざわざわするのだろう。
父はとても真面目で少しくらい体調が悪くても仕事を休まなかった人。
だから、体調不良で寝込む私を見てるとイライラしたのかもしれない。
そしてそんな父を見て育った私は、「休む=いけないこと」と決めてしまったのかもしれない。
(年老いた父は今はもう何も言わない)
そしてもうひとつ。
それは楽しむことへの罪悪感。
子供の頃、はしゃぐと母に叱られる。
大人になっても楽しそうにしていると
「なおみばっかり楽しんで」と言われる。
私の旅行カバンが旅先のホテルから届くと
「1人で楽しんで。そんな余裕があるなら家を出ていけ!!私はこんなに我慢してるのに」と言われる。
母は私が楽しいのが余程気に入らないらしい。それは母が楽しんでいないからなのだが。
そしてそれは私の責任ではないけど、つい申し訳なさが出てしまう。
つい母の顔色を見てしまう自分がいる。
お金が入ってきたら
私が楽しくしたら
お母さんがまた何か言ってくる。
それにビクビクしているのだ。
だから、私はお金が入ってこないように
楽しくしないようにしているのかもしれない。
お母さんが怖い
お母さんに嫌われたくない
子供の頃からずっと抱えてきた気持ち。
だってお母さんに嫌われたら子供の私は生きていけないから。
でも、私はもう大人だ。
それもかなりいい歳の。。。
いったいどれだけ子供の頃の思い込みをそのまま持って生きているのだろう。
いつになったら自由になれるのだろう。
もういい加減手放していいのに。
それがとてつもなく難しい事のように感じている。
これもひとつひとつ手放すしかないのだろう。
私の人生だって残り少ないのだ。
母の顔色を見ている間にも時はどんどん過ぎていく。母のせいにしてウジウジしている間にも私はますます歳をとる。
母に嫌われる覚悟をした時に、自由と幸せが手に入るのかもしれない。
罪悪感を感じたらこちら
笑わせてくれます(笑)