自分って人との関係の中で、見出すこともあるけれど、その人との関係の中で自分の位置を取られることもあるし、見失うこともあるみたい。
昨年の10月半ばから、チャットに入っていたところから、ようやく抜ける気になったのは、そのきっかけが人を信じられなくなったから。
いつも自分のフォローしてくれていた人に女ができて、その女がまた、私を毛嫌いしてる人だったので、こちらとて、その女性にさんざん嫌味をチャットでも公言されるようになっていたから、もうなにも絡みたくない心境。
そんな中、温泉一人で言ってるとかルンルンでチャットでしゃべっていて、それがどうやらその人と一緒な感じに気が付いた。
もうそれからすぐに抜けた。
いかにも、自分に気がありそうなチャットしてくるこの男性に私は、不信感を以前から募らせていたが、明らかに気もそぞろだったうえに、自分には内緒にしつつも彼女とは堂々と繋がるその心情がわたしには理解できなかった。
次男に具体的なことは言わなかったが、チャット抜けたという話しをしたら
「バカヤロー」って叫んだったらいいんねん。
とか言ってた(^▽^;)
ほんまにそうやな。
次男はなんも知らんけれど、勘のいい子なのね。昔から。
なんかあったときは一番怖いこという。
いつもはにこやかで穏やかで優しくて、怒ってるところなんか見たことない。
なのに、なんかあったら深いところまで行くし、突っ込み厳しい。
だから、頼りにもなるし、反面怖い。
悩みとかも、いろいろこれまで聞いてもらってたな。
主人の話しなんかもね。
この頃はそんな話し、することもなかったけれど。
どうしてもたちゆかんようになっても、こうした子供たちの支えが大きいよね。
精神的にもいろんな面でも。
私も今まで守ってきたけれど、今は本当に守られてる。
それに胡坐をかいてらんないけどね。
永遠ではないから。
愛は永遠だけど、援助してもらえるのは、今は今なりの今だけのことってあるじゃない。
いつでも。
その中で必要な力をいただいて、またそれをいろんな人に分配していって、将来に備えるみたいな感じ。
人は必ずいいような働きをしてくれるとは限らない。
でも、そこからプラスを見出す、そんな中でも、そこはさらっと事実を受け止めて、そんなこともあるんだと流していく、本当に自分にまかされているのは何かということに気づいていくのは自分しかできない。
そこは人任せにはできないんだ。
自分の今の目先の地位にこだわっていたのでは、本当の求められている地位にはつけない。
という矛盾。