正社員で雇ってくれたところとその中間にいた所

次なる場所はグループホームでした。

その職の前に気楽で気ままな派遣社員を経験していたので、それはプラスでもありマイナスでもありました。

 

社員となると、それも閉ざされた場所の社員となると、そんなに甘い世界ではなかったのです。もちろん始めのうちはそんなことはわかりっこありません。

段々、わかってきたのです。怖い世界があることを・・・・

 

 

 

今からならあんな馬鹿なことはしなかったでしょう。

もっと慎重になったことでしょう。

 

 

それは今だから言えることだし、そのころの私にそれを分かれというのは無理でした。

 

 

すっごく楽しい雰囲気もあり、利用者さんとは本当に楽しくなれたので、それはそれでいい経験でした。認知症の方はいろんなことが本能的に分かるというか、宇宙の橋渡し的な存在だったりしました。

 

 

ここでもがみがみいう人出てきましたが、時期が来るまではおとなしくしてくださっていました。時期が来たら、ますますその人は本性を出してきて、あからさまに攻撃してくるようになりました。私が辞めようかと話すと嬉しそうに応援してくれさえもしました。

 

 

そこを辞めて正解でした。

 

 

あからさまに悪口をいいたくないので、ぼんやりした書き方になりましたが、辞めてお蔭様で、車の免許も取りに行けて、念願の介護支援専門員として働きだすことができました。

 

 

介護支援専門員になるよりもここで介護福祉士として働くことを施設長には言われましたが、私はごめんでした。有意義な人間関係も作れなかったし、グループホームのケアマネも嫌味をあからさまにいうようになりました。

 

多分だれかから悪口でも聞いたのでしょう。

確かに私はある部分ではきついところがありました。

 

 

今は、音楽には携わっていないので、そういうこともないでしょうが、そこに勤めて間がないころ、秋の演奏会で一緒に演奏したり、クリスマス会で一緒に演奏した方と練習して、かなりきついことを言ってしまいました。音楽に関してはかなりうるさいのです。

 

 

そんなこんなで、ここは長くは続かない運命を自分で引き寄せてしまっていたのですね。仕事は忙しいのに、壁紙作ったり、レクリエーションの遊びを考えたり色々大変でした。

 

 

お給料はよかったけれど、介護支援専門員の研修の時も休みをもらえなくて、休日を使って研修に行かなければなりませんでした。

 

 

1年目は休みも少ないうえに、資格取るための研修もあったので、よく耐えてきたなと思います。

 

 

それなりにいい思い出でした。

料理作るのも大変だし、排せつ介助も大変だし、認知症の方は話が通らないことも多々あるので、起床介助や入浴介助も大変でした。

 

 

そういう大変さを知っているのと、知らないのとでは忍耐力も違ってくると思います。今は話が分かる人が多くて、ややこしい人は引き継いでないこともあるので、うれしいです。

 

職員さんも良好な関係を作ろうとしてくれているし、私も努力しています。

必要と思われるのと、使い捨てと思われるのとではこんなに待遇が違うんだなとこの短期間で経験できました。

 

 

まだまだ不自由してますが、あの頃に比べれば、仕事の進め方、訪問の行く順番、日にちなど自分で裁量を決めれるのがありがたいです。

 

 

それで、また家族のため、自分の健康のため、車の運転の練習のためなどに使える費用も稼げます。

 

 

ただ、欲を言えばきりがないけれど、成長していって、もっと稼げるようになりたいです。泊りでいろんなところに行けるようになりたいし、多少費用かけれるようにもなりたいし、自分の車も買いたいです。

 

 

家ももっと素敵な家に住めるようになりたいです。

 

 

夢はいろいろ。

 

人とも充実した対人関係を築けるようになりたい。

みんな幸せにする力も欲しい。

 

 

そんなところでしょうか。

ひとつひとつ、課題をこなせていきたいとおもいます。