せっかくいいところに出かけても、パソコンから写真をアップロードできないんです。
一応、チャレンジしてある程度はできたものの、アメーバブログの写真には出てこないんです。
なかなかじっくりそういうことに時間をかけていられないので、すぐにギブアップ(´;ω;`)ウゥゥ
最近は教会友達と、和歌山の御坊に出かけました。
御坊の花火大会と翌日のカトリック教会御坊のミサがメインイベントでした。
教会はご無沙汰しているし、オルガンは典礼の曲が新しく変わっているので、大変でしたが、
何とか本番には間に合いました。前々日夜からの練習となってしまいましたが、よく間に合いました。
やっぱり空気感と、お人柄が違うかなと思いました。
しゃべりかけた時の対応がとても丁寧なのです。
せかせかしていないんです。
時間のたくさんある方の対応って感じなのかしら。
忙しさのあまり、せかせかしていないというか・・・
だからか、流れている波動というか、何かが違うのです。
いいですよね。ゆったりしている感じって。
花火見てても、せかせかしないんです。
雨降ってたのに、直前で雨も上がってくれたんです。
目の前で大輪の花火を見ることができました。
夢のようでした。
なんの苦労もなく、見れたのではなく、PLの花火でさんざん苦労してなかなか大輪の花を見ることができず、
大変な思いを何度もしてきただけに、
今回のこの間近で見れた花火に対する感動はひとしおでした。
あの苦労あっての喜びと感じました。
人によってはこんなに苦労しなくて見れただろうけれど、
しんどい思いをしてから、願いが叶うと喜びもひとしおなんだと思いました。
当たり前が当たり前じゃなくなるっていう。
家族が今そろっているのも、今となっては感動もののひとつかもしれません。
あんなに苦労した主婦人生。
家族でしょっちゅう出かけたりするようになって、共に体験できる人がいてるって本当にありがたいと思いました。
教会でも問題児だった私を、こうして声かけてくれて、一緒に旅行できるなんて、それも幸せだと思いました。
オルガン弾けることに依存していた自分がどこかでいやでした。教会の信者さんとの仲たがいがきっかけで
今は教会を去って、オルガンに依存しないで自分の存在価値を感じることができるかという思いも、仕事を始めるにあたってありましたが、確かにオルガンの感性や能力もどこかで役に立っているとは思いますが、オルガンより何が必要とされているかにこたえていける能力ってのが、現実に必要なんだと改めて実感しました。
当たり前のことですけどね。
月並みなことですが、人が必要してるのが、時と場合によって変わるということです。
ミサをささげる時、みんなで歌を歌うときにオルガン伴奏がなかったら困ります。
そんなときに、だれもいなかったらやるだけです。
やる人がいてたらそれでいいんです。
ただ、技術がいるし、誰でもできるわけでもないので、当番制になっているんです。
教会から離れるとその責務からは逃れられます。
でも、ある意味私にとって、その責務は喜びでもあるのです。
今は毎週土日休みじゃないから、まだ教会に行くと無理することになるので行く気が起こらないけれど、
土日祝休みになれば、教会に行ってもいいかなーって考えなおしました。
私にとっては典礼は喜びですもんね。
維持費の問題とかもあるし、いけば奉仕の問題も出てくるけれど、
その内にまた戻っていきたいとは思います。