前回までの椿井大塚山古墳の記事について
コメントでご教唆をくださった方、
ありがとうございますm(_ _ )m
前回までの記事について考えました
↓前回までの記事
椿井大塚山古墳についての私の疑問は
今、線路が曲がって
大きな前方後円墳を突っ切っているのはなぜ?゛(`ヘ´#)
ということでした
(そもそもこの点を指摘してくださった
こっちのkinocoさん、ありがとうございます)
線路が曲がって…
古墳を突っ切る
でも、「倭人争乱」によれば
線路敷設の時の経緯を示唆するような
「記録はいっさいない」と
専門家が断言してるわけで
(→椿井大塚山古墳事件・上の引用部分)
答えは出ないんだけど
皆さんのコメントを頼りに調べてみました
(あくまで小手先の範囲内なんですが…)
まず、周辺の古墳の分布図を二つ発見!(みもうささん、ありがとう!)
発掘調査の報告書から取ってきた画像です
↓ 赤い↙︎の部分が椿井大塚山古墳
椿井遺跡第5次発掘調査報告
地図と写真を2枚を並べるとこんな感じになります
で、椿井大塚山古墳あたり の線路が
木津川をわたり奈良県へ
ウワナベコナベの脇を通って奈良盆地をず南に
どちらも、木津川が下の方をぐるんと蛇行して、同じような場所ですよね
GoogleMapだとこんなエリア
地図と写真を2枚を並べるとこんな感じになります
で、椿井大塚山古墳あたり の線路が
不自然な?カーブをして
古墳を分断しているから、
(↓これは、向かって左が北なので、左→右が北→南に相当)
こうやればよかったのに(*^ー^)ノ
(↓これは、向かって左が北なので、左→右が北→南に相当)
(『倭人争乱』)
こうやればよかったのに(*^ー^)ノ
っておもったわけね
とおもったんだけどね、
よく見ると18と19の遺跡に突っ込んでるという…
18、19の遺跡は…
椿井城と天井山遺跡…
へたすりゃ、その下の30番(御霊山遺跡だって…)も破壊するね…(@ ̄Д ̄@;)
つまり、ですね、
①線路を曲げて椿井大塚山古墳を分断した経緯はわからなかったけど
②仮に分断せず、古墳の西側に線路をとおしても、
他の遺跡に突っ込んでしまっていた∑ヾ( ̄0 ̄;ノ オーマイガッ!
という驚愕の結論発見!
┐( ̄ヘ ̄)┌だめだこりゃ
こうなると
詳しい経緯がもっと知りたくなるわー!
それから、発掘地図には書いてなかったんだけど(建設前だったと思う…)
発掘のあと、府道70号線という道路(今度は道路かい!)が
通ったようですね
ってか、上の発掘調査って、そもそも府道敷設のためだったのかな?
府道70号線は、奈良バイパスにつながっていきますね
それからこういう図も発見
これは拾い画です
ほぼ、ピッタンコカンカンだったね
痛々しい写真ですねー・°・(ノД`)・°・
これも調べてみましたよ(*^.^*)
うっわー!
これもすごいわ~
痛々しいっていうか
痛かっただろうね
古墳も、分断した人の心も…
馬見古墳群の中ですね
地図の下の方を拡大
ナガレ山古墳と巣山古墳の間、
というか、
巣山古墳の脇だね
古墳、遺跡がありすぎて
線路、道路を敷くためには
ある程度の破壊は仕方ないということかも
しれないですね
陵墓指定がなければ
「この古墳は鏡が多いから、やめて!」
みたいな理由で
開発を避けるというのも難しいんでしょうね