突然の話で恐縮です
久しぶりに伎芸天にお会するため、奈良 秋篠寺に行ってきました
その日の朝、
「そうだ、秋篠寺に行こう!」
と思い立ち、
近鉄大和西大寺駅から「歴史の道」をテクテク歩きました
15分ほど歩くと、秋篠寺の南門に到着です
「秋篠寺」の南門
(「歴史の道」の、西大寺⇆秋篠寺の道順については最後に書きますね)
さて、その南門をくぐります
↓今くぐった南門は下の地図では一番左側に書いてある門です
…とか言っても、↑この写真じゃなんだか全然わかりませんが
「あきしの の みてら を いでて かへりみる いこまが が たけ に ひ は おちむ と す」
と、書いてあるハズです(この時は、肉眼でもコントラストが強すぎて読めませんでした)
この先、左に一回⤴︎、右に一回⤵︎、合計二回曲がると本堂があります
行きは良いのですが、いつも帰りに二回曲がるのを忘れ「あら?あら?」って方向がおかしくなっちゃう…この感覚わかる人いるかしら?
本堂の控えめな佇まいがいいです…ちょっと新薬師寺を思い出します(個人的意見)
伎芸天について、「老いらくの恋」で有名な川田順という歌人は
こんな歌を残しています
「諸々のみ仏の中の伎芸天何のえにしぞわれを見たまふ」
川田順はとても優秀な方だったようですが、恋愛体質だったのでしょうか?
生身の女性だけでなく伎芸天にも恋をしたのかもしれません
そんな伎芸天は女性から見ても、優しい表情や妖艶な出で立ちが魅力的です
この姿勢もまた色っぽい
私は、仏像の前で感情的、感傷的になることなんてないのですが、
一度だけこの伎芸天の前で涙が出てしまったことがありました(我ながらうろたえました)
伎芸天像の頭部は天平の脱活乾漆
体部は鎌倉時代の寄木造の後補
つまり、頭と体の制作された時代が違うのです(言われてみなければ気づかないほど、無理なく繋げられているように思う)
この像は優しい「顔立ち」が魅力的なんですが
像全体から匂い立つ色香の理由は「頭部」と「体部」の接合の仕方にあるようです
よく見ると、体と頭の中心線がズレています
頭は体に対して少しばかり左側を向き、下を見下ろしていらっしゃるのです
このズレこそが、妖艶さの理由だと思います
さらに、体の特徴を見ると腰に少しひねりが加わり、左足がほんの少し前に出ています
(ま、若干メタボ気味でもあると思いますけどね)
もしかしたら、天平の制作当初の像は、こんなに色っぽくなかったかもしれません
そういう意味では、体が後からつけられたのはラッキーだったかも…
ところで、秋篠寺の仏像で頭部と体部の制作年代が違うのは、伎芸天だけではありません
下の三体↓も同じように頭が天平時代、体が鎌倉時代なんだそうです
(…ということは、もしかして4つの「頭だけ」がゴロゴロ転がっていた時期があったんじゃないか〜?と思うとコワイ!)
三体はこちらです↓
❶秋篠寺の本堂内で、伎芸天の反対側にいらっしゃる
帝釈天
伎芸天がもしこの像のように直立した胴体を取り付けられたとしたら、あんな妖艶さは出なかっただろうと思います
…ってことは、
viva! 伎芸天の胴体をつくった人!ありがとー!
ですよね〜(伎芸天の胴体の制作者は運慶だという説もあるようですが詳しくいことは知りません)
❷現在奈良博にいらっしゃるイケメンの
梵天
彼は、横から見たときのアイラインがチャームポイントだと私は思います
そんなイケメンの彼には奈良博で会うことができます!
皆さん、奈良博へGO!でございますよきっと彼ったら、照れて全身を赤らめてくれますわよ
それにしても、当初の顔も後から補った体も素晴らしい像です!イケメンです
(秋篠寺梵天その他、イケ仏についての(アホな)過去記事は
↓こちら
https://ameblo.jp/naranouchi/entry-11990556781.html)❸同じく奈良博にいらっしゃる
救脱菩薩像
顔はどちらかといえば、❶の「帝釈天タイプ」かな?
🤔えーと、ここまでをとても軽くまとめてみますね
秋篠寺の「頭部が天平時代・体部が鎌倉時代」の4体の仏像を、魅力順に並べてみると
「顔面部門」では、同率1位が次の2体
美人の伎芸天、美男の梵天(チャームポイントはアイライン)
そして、3位救脱菩薩、4位が帝釈天
「体部門」では
腰にひねりのある伎芸天、梵天、救脱菩薩
が同率1位、4位がただ直立している帝釈天
以上の項目をあわせると、
グランプリは
🥁🥁🥁🥁
伎芸天と梵天!
という結果になりましたが、これでよかったでしょうか?
(いや、ちょっと何言ってるかわからないんですけど?)
午前中の薄暗い本堂の内部には
南の窓から冬の柔らかな光が差し込んでいました
その光がホコリにあたってキラキラ輝いていたのがとても印象的でした
冷たい空気の中、椅子に座り伎芸天を観ていると、
鳥の鳴き声と、キツツキが木をトントン叩く音が聞こえ、静かさが際立つのでした
寒くて真っ青な空です
東門から出ると、目の前は道幅の狭いバス通りです
そこを歩くのはいやなので、ぐるりと南門に戻り「歴史の道」を歩くことにします
南門に戻るためには
お寺に沿った↓この細い道に入ります
南門に戻ります
ひたすらずーっと歴史の道を行き、
(歴史の道というよりフツーの道って感じだけどね)
こちらの八百屋さんで左折します
ここから西大寺への下り坂は、夏の夕方に歩くと背後からジリジリと夕陽が刺す坂道
西大寺の角に「歴史の道」の道しるべがあり、
以上、秋篠寺のお話でした
蛇足ですが
本年度の論文の提出が終わり、次の学年に進級できそうです
規定では、一年間に四万字程度ですが、五万字くらいになりました
昨年も同じくらいだったので、これ「貯金」できないかしらねぇ?
東洋のミューズさん…
神社・仏閣ランキング