障害を受け入れられなかったわけじゃない。 | 安田あんみ オフィシャルブログ 

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  何物でもない、オンリーワンの私をめざして
 

不思議ちゃん系な、ウチの子どもたち。
二女は、小学校3年の時に「広汎性発達障害」との診断が下ったが、
私は、
それが受け入れられなかったわけじゃない。

「育て方が悪い」だとか「しつけがなってない」だとか、
舅、姑、実母、先生にも責められたけど。
それで、自分でも落ち込んだり、反省もしたけれど。
「障害」って言われて、ホッとした部分と、
さらに大変だぁ~って、思った部分とあるけれど。
自分なりに、
瞬時、瞬時の現実を、そのまま受け止めて、
頑張ってこれたと思う。

でも、
やっぱり、
子どもって、思った通りにならない、って、
常に焦っていたし、しんどい思いをしていた。
だって、
ウチの子ども、
生きる気力もなく、なんにもしようとしないんだもの。
誰かにガン見されて、あきれられてても、
あっちの方見て、無になれる、そんな子ども。

「もう少し、何とかならないかなぁ~」
と思うことは、親として、悪いことじゃない、
と、思ってた。

「もう少し」とか、
「できないかもしれないけど、やるだけやってみて」とか、
子どもに期待をかけ、思いを満載にしていたあの頃。

今は。
正直に言おう。
「まったく、それがない」

子どもに対して、もちろんだけど。
親や家族、友人やまわりの人、知り合いすべての人に対して。
申し訳ないほど、
「もう少し、何とかならないかなぁ~」
なんて、微塵も思わなくなった。

自分の中で、
その状況を、完全なカタチで受け入れている。

そりゃ、
「もっとこうだったら」とか、
「もう少し、こうした方がイイ」だとか、思わないわけじゃない。
でも、
そうなりゃイイのに、と思うくらいで、
だからっ! 私は不愉快だ、イライラした、など、
自分の気持ちに変化がない。
平常心でいられる。

私は、ワタシ。
子どもは、コドモ。
家族だろうが、友人だろうが、
その人、それぞれ、一人一人が生きているんだから。
それで、イイんじゃない?
そう思っている。

障害が受け入れられなかったわけじゃない。
でも、
本当の意味で「受け入れた」のは、
ずいぶん後の話。

 

 

 

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