奇跡だとか願いだとか。 | 猫畜生日記とつんたんか

猫畜生日記とつんたんか

はじめまして。
ねこちくです。
またの名をつんと申します。
昔は「中森つん」なんて呼ばれていました。
書くことを見つけながら、書いていきます。



闇弱に饒舌にただ語るのだ手の届かない未来のことを


七月から、母のオプジーボの投与が開始しました。ノーベル賞だ奇跡の薬だと騒がれたあの薬です。

世間的な誤解が少しあって、なにかともやもやとしていました。オプジーボは手術もできない、抗がん剤の効果も見込めない、緩和ケアにうつる手前の、もう先のないがん患者に投与されます。回復すれば奇跡かもしれませんが、そんなものはごく一部、副作用が出れば即時終了、重篤な副作用が出た場合は命を奪う、そんな薬です。

それを使用しなければならないといいことは、極限まで死に近いということです。知らずに放たれる「最新の薬を使えてよかった」などという善意の言葉に疲弊しました。

なにがよかったのだろう。

病気がわかって、治療をスタートさせて、約二年経過して、母はまだ生きています。それは私の時間と夢と目標と尊厳を奪って成立した、とてもとても大切ないのち。精神医学や児童心理の勉強をあきらめさせられて、働くことも結婚することも許されず、ただ母の延命のために生かされてきた私の命は、どれくらい価値のないものなのでしょう。

それを家族は「娘だから当然だ」と言い退けて「逃げるのか」と責め立てて、幸せになれるチャンスを握りつぶそうとしています。これが、家族とか血の繋がりとかいう、馬鹿馬鹿しくてくだらなくて殴って蹴り飛ばしてぎたぎたにしてやりたいものですが、今日もへらへら笑って過ごしています。

いま、この現実に打ちのめされてしまってもいいよと、神様にささやかれています。考える時間も余裕もなく、私がどうしたいかなんていまさら求められても、意思なんてないのに、どうしたものかと呆けています。

猫と、恋人と、穏やかに過ごす時間がほしい。赦されるなら、家族がほしい。愛されて、笑って、生きていける。私が知らないものを見つけてほしい。いまはそれだけ。