査定の時期ですし、最近査定を提出したばかりですので

鉄は熱いうちに打てという事で査定について書きます。

 

基本的には査定する側の人に向けた文章です。

メンバーに納得感を持ってもらい、自分も仕事を進めやすくなる査定について書きます。

純粋に技術なので、職種と会社を越えて再現性があります。

 

全部で4パートあります。

  1. 基本的は期初に設定された期待値が一番重要
  2. 期中の1on1はその次に重要
  3. 査定提出前に本人の自己評価とすり合わせる
  4. 最終査定が確定したらFB面談をする

基本的は期初に設定された期待値が一番重要

 

いきなりですが、査定で最も重要なのは実は期初の期待値設定です。

期末に行う査定ですが、実は期初がキーなのです。

 

あなたには、今期、こういう成果を期待したいという設定を期初に行います。

この時に重要な点が2つあります。

 

ひとつは、設定した期待値が被設定者のグレードに比べて高いのか低いのかを

明確にするという事です。

 

よくある査定ハックに「わざと低い目標を設定して高い達成率」を出すというものや、

よくある査定のすれ違いに「目標を達成したのに査定が芳しくなかった」があります。

 

これを、この段階ですり合わせてしまうのです。

「あなたはグレードXだから、これくらいの成果を期待したい」という形で。

 

そして2つ目は関連がありますが、設定した期待値が被設定者のグレードに比べて

高いのか低いのかを本人に伝える事です。

 

人にはモチベーションの波があります。だから、「今期はそんなにがんばれないかも」

という事は当然あるし、我々はそれを許容するべきだと思います。

 

ただし、その時に「ではあなたへの期待値はこう調整します。ただ、本来のグレード

よりも低い期待値なのでそこまで査定は良くなりません」と予め伝えておくべきです。

 

当然ですが、マネージャー側はグレードに比例してどれくらいの成果を期待するべきか

という事を把握しておく必要があります。

 

例外的に、トリッキーなケースがあります。多くのケースでグレードに対して給与レンジ

が設定されていると思いますが、被設定者の給与がそのレンジの上限付近の時です。

 

これもやはり、会社のレギュレーションで許されている範囲で伝えるべきだと思います。

「あなたに設定した期待値はグレードに見合っているが、さらに給与を上げていくために

は昇格が必要な給与レンジになってきている」という形で。

 

期中の1on1はその次に重要

 

次に期中です。はい。

期末に行う査定ですが、次に重要なのは期中のコミュニケーションなのです!

 

期中でやることは、このままだと期待値を越えた成果が出ない場合、

それを当人とすり合わせる事です。

 

査定が出てからではなく、芳しくない時に

「このままだと期中の査定は厳しいですが、改善しませんか?」という

コミュニケーションを取ります。

 

わざわざ「改善しませんか?」と聞くのには理由があります。

改善しない、という選択肢が尊重されるべきだからです。

 

どうしてもチームに合わないからがんばれない。家庭の事情、

本人の健康上の理由。いろんな理由で「今期はこれ以上無理」という

ことがあると思います。

 

我々はそれを尊重するべきです。

 

ただし、その時に「ではあなたへの期待値はこう調整します。ただ、本来のグレード

よりも低い期待値なのでそこまで査定は良くなりません」と予め伝えておくべきです。

(2回目の登場)

 

査定提出前に本人の自己評価とすり合わせる

 

まだ査定が始まらないよ><

 

次に、査定評価を書き終えたら、それを被査定者の自己評価とすり合わせるべきです。

紆余曲折ありますが、私は査定として提出するスコア、査定に付記する文章の全てを

本人に公開しています。

 

ちなみに、昇格推薦をするつもりかどうかも伝えます。

 

良いにせよ悪いにせよ、本人に伝えてない事を査定評価として提出する事はありません。

目的は、本人の今期の成果をMGRと本人でしっかりすり合わせる事です。

 

本人の評価とギャップがあることもありますが、その際には理由をきちんと聞き、

そして伝えます。もちろん評価を改める必要がある場合には改めます。

 

ただ、です。

 

実はこの段階でギャップがあるという事は、期中の1on1がミスってます。

評価者としてその点は反省するべきです。

 

なので、ちゃんとすり合わせをした上で、本人とも1on1の在り方を振り返りましょう。

「1on1を通じてXXXという事を伝えたつもりだったのですが、どう表現するとよりスムーズに

意思疎通できましたかね??」

 

最終査定が確定したらFB面談をする

 

最後に結果が出たらそれを伝えます。

 

この時、1点だけポイントがあって、それは昇格が叶わなかった場合に、

何がもっとできるとあなたが再推薦するつもりかを伝える事です。

 

当然、昇格の承認者に当人のどこの部分が改善したら昇格推薦が

承認される可能性が高いのかを確認しておきます。

 

長くなりましたが、全般的に、

  1. 査定者はちゃんと査定の仕組みを理解しておくこと
  2. 基本的に選択を尊重する。ただし選択を尊重することと査定が良い事は別であることを伝える
  3. 期初、期中、期末にすり合わせる
という事になります。
以上です。長い。

 

今月上旬、かねてより闘病しておりました父が鬼籍に入りました。

 

日頃から故人と暖かな交流をいただきました皆様と、

生前経営していた会社のお取引先の皆様には故人に代わりまして厚く御礼申し上げます。

格別のお引き立てを賜り、ありがとうございました。

 

遺志に従い家族にて密葬を済ませ、故人は荼毘に付されました。

本来であればもっと早く連絡するべきところを皆様には事後の報告になりました事、

お詫び申し上げます。

 

葬儀終了時までは東京の親族以外には誰にも連絡しないというのが願いでしたので、

父の最後の我儘という事でご容赦いただけましたらと、切にお願い申し上げます。

 

享年、72歳でした。

 

父から突然「家族だけで話がしたい」と連絡があったのは今年のGWごろでした。

日頃から軽口の多い父が改まっているのは、悪いことがあった証拠。

様々な可能性を頭にしながら帰った先の実家で告げられたのは、

父が悪い病気にかかっているということでした。

 

病名は、膵臓がん。

肝転移が認められ、本人は言いませんでしたが、どこでどう調べてもステージ4でした。

 

「残念ながら、もう長くないよ」そう笑った父は、健康そのもの。

少し痩せたように見えましたが、大酒飲みらしくメタボな姿で

年不相応に元気な、私のよく知る父でした。

 

実際、医師にも驚かれたようなのです。

 

今倒れてもおかしくない数値が検出されているはずなのに、

平気で食べて歩き回って仕事をしている父を見て、

「でも、小越さん、元気だなぁ」と思わずひとりごちてしまうくらいには。

 

程なくして医師から家族向けの説明も受けました。

 

丁寧ながら、はっきりと事実を告げている医師に質問しながら

ふと違和感があることに気が付きました。

 

話が、ゆるやかに噛み合わない。

聞いてる事にこんなにも分かりやすく、はっきりと答えてくれているのに。

 

理由はすぐに分かりました。

 

家族は良くなる方法、寛解への筋道を聞いているのに対して、

先生は医療従事者として大変厳しい状況である事を説明しているからです。

 

なるべく抗がん剤は強すぎないほうが良い

保険外治療もあるにはあるが今の状態ではおすすめできない

ご本人が過ごしたいように過ごしたほうがストレスがない

 

5年生存率を聞いたときに、返ってきたのは半年生存率の話でした。

 

言外に、今後は闘病でありながら終活でもあることが何度も滲みでて、

その僅かにはみ出したニュアンスがいちいち私の心を逆撫でてきました。

 

科学の徒である医師は、寛解の可能性をゼロと言いません。

ほんの小数点以下のわずかでもそこに確率が存在していれば。

 

しかしながら、統計的には今議題にするべきは余命とQOLであると、

先生はそう伝えていたのです。

 

ご本人が、過ごしたいように過ごしたほうがストレスがない

父が選んだ過ごし方は、抗がん剤治療を平行しながら仕事を続ける事でした。

 

新潟から上京してきて、営業マンとして実績を積んだあとに会社を起こした

父にとって、仕事は人生そのものでした。

 

自分の足で少しずつお取引を増やし、子供達を稼ぎで育て、

業界に長くいたからか組合の理事になり、

そして地域への長年の貢献から天皇陛下の璽が入った賞状と勲章も賜りました。

 

そのお祝いをしたのが、去年です。たったの1年前。

 

それから年が回って、自分の余命が宣言されてなお、「来年施工の大型受注」を

気にもんでいるような状態でした。仕事が、人生そのものだから。

 

しかしながら、抗がん剤治療は体力を使います。

 

病巣を除けば健康で、気丈な父も少しづつ体力が削がれていきました。

 

最初の変化は運転でした。得意だった運転がおぼつかなくなり配達に母を帯同

するようになります。もちろん、運転してもらうために。

 

次に歩行でした。急な階段の上り下りが厳しい。もはや一人では配達にいけません。

 

そして決定打は転倒です。本当になんでも無いところで転んでしまった。

 

ころんだ父は顔に怪我をし、やや久しぶりに会うと情けなさそうに少しはにかみました。

病気に見えないじゃないかと思っていた父はだいぶ痩せ細り、

年相応の深い皺が喉に目立つようになりました。

 

ある時、家族全員で仕事をやめることを説得しました。

本人だって嫌というほど分かっている体の状況を理由に家族が真剣な顔を

しているのを見て、「もう辞めるよ。配達もやらない」そう吐き捨てたのが答えでした。

 

ついに、言ってしまった

 

その時の父の顔に、はっきりそう書いてありました。

ずっと続けてきた仕事です。人生であった仕事です。それをやめると言った時、

本当に寂しそうな顔をしていました。

 

今思えば、父は家族の誰かに「まだやれるよ」と言ってほしかったのかもしれません。

仕事をやめるとはまた、彼にとって身体機能の低下をはっきりと認めるものだったから。

 

病魔が父の体力を奪っていきましたが、

仕事をやめた事はある種の気力を奪ったように思います。

 

そこからあまり歩かなくなっていった父は衰えていき、腹水がたまるようになりました。

そろそろ緩和ケア病棟への入院も考えたほうが良いのではないか。

そう思って入院先が決まった矢先、苦しさを訴えた父は緊急入院をします。

 

そして、様態が急変したのが翌日。

 

意識が途切れる直前まで会話が可能で、看護師さんに「痛みが楽になりました。ありがとう」

と言っていたようです。

 

父が急変した当日は急な予定変更がたくさんあり、

ご協力をいただいた皆様ありがとうございました。

そして、ご迷惑をおかけいたしました。

 

さて

 

私が今このブログを書いているのは、故人を偲ぶためでもありますが、

私の内面に向き合うためでもあります。

 

父を喪った事は私にとってとても悲しい出来事ですが、

同時に私は自分の中にある、ある種の薄情さに気が付きました。

それを吐き出さなければ、区切りがつかないと思ったからです。

 

それはひとつ私は既に自分の家庭を持っていて、

父と違う人生を明確に歩んでいると感じた事です。

私が実家を出て、配偶者と暮らすようになってそろそろ20年近くになります。

子供も3人います。

 

父の病状を聞いた時、家族と相談している時、少しづつ痩せて行く父を見ている時、

私の心には確かに非日常的な哀しみがありました。

 

しかし同時に、私自身の家は相変わらず日常の延長線上にあって、父が闘病している間も

長男はYouTubeを見すぎて怒られ、長女は宿題を邪魔されて次男を怒り、

次男はマイペースにお菓子を食べています。

 

仕事もあるし、会食も行っていました。哀しみは常にうっすらと私の中にありましたが、

心を乱して何も手に付かない。そういうしおらしさが自分の中に無いことを知りました。

 

私と違い、姉と母は父と同居していました。

日常を過ごしている2人のLINEには、手触りのする苦悩が綴られています。

 

小説『ノルウェイの森』で、介護経験者の登場人物が、こんなような事を言う場面があります。

 

「たまにくる親戚が、『かわいそうでかわいそうで胸がいっぱい。食欲もわかない。

あなたは食べられて強いわね』と言ってくる。冗談じゃない。日々苦労して介護しているのは

私。うんこを片付けるのは私なの。同情でうんこが片付くなら百万遍、同情するわよ」

 

自分がまさか、その親戚側か。私の中の薄情さに気づいた時に思いました。

 

父の名誉のために言うとうんこが片付けるのが大変な時期があったわけではありません。

念の為。

 

語弊を恐れずに言うと、ひとつだけ良いことがありました。

それは、父の意識は最後までかなりはっきりとしていたのでいろんな事を話せた事です。

 

どう最期を迎えたいか、どういう葬式が良いか、事業はどうするか。

誰に、どんなタイミングで連絡するべきなのか。

 

そういう事を何度か話して、ひとつづつ片付けて行くことで、自然と最期の日に向けて

一緒に歩んだように感じます。

 

ですから、悲しみの中にあって、父が他界した事自体は自然と受け入れられました。

突然ではなく、そうした準備を進めていくことで、小分けに小分けに別れに向けての

準備が心の中で出来ていったように思います。

 

最後になります。

 

悲しみの中にあって日常を送れる僅かな薄情さを自分に見出したのは事実です。

でも、薄情ながらも消し難い悲しみを感じていたのもまた、事実です。

矛盾していますが、確かにそうだったんです。

 

それをどうしても書いて、整理したかった。これはそういう文章です。

 

そして

 

薄情ながら、末筆にて

故人の冥福を祈ります。

 

合掌

 

*何回も確認したのに、まさか薄情と白状でご変換していた誤字を修正しました。

 

どうやら iOS14.5 が正式にリリースするらしいという話で、ATTが正式に稼働し

はじめそうです。今後IDFAはOptinしている利用者のもののみが参照可能に

なることになります。

 

この影響については既に多くの方がまとめていますので、影響がどう出るかに

ついては是非下記の記事群をご参照ください。

( 皆さんnoteですね。アメブロも使いやすいですよ!)

 

 

 

 

発表以来、業界の様々なところで話題になっていましたが、いい機会ですので

現在私が考えている事をまとめておきます。広告事業に携わっている人間ですが、

思考の整理以外に他意はありませんのでご笑覧ください。

 

Privacy aware な広告配信について

 

基本的に広告配信や計測がPrivacy aware になっていく事は不可逆の流れであり、

好むと好まざるとに関わらずそういう方向性に進んでいくと考えるしかありません。

 

Appleはいくつかのプロダクトに関するドキュメントで自身のプライバシー観を

表明していますが、それらは近い未来で実現していく事でしょう。

タイムスパンはわかりませんが、10年ではない時間軸でそれらの変化が

起こっていくはずです。

 

ある意味でAppleが用意しているプラットフォームの生態系の中で活動している我々は、

プラットフォームが目指している方向性を理解した上で自身の活動内容を修正していく

ことが利益を最大化できる最善策であると私は考えています。

 

なので方法論はさておき、Privacy を考えた配信や計測は今後3-5年間で

常にUpdateしていく内容になるでしょう。

歓迎するとかしないとかではなく、そういう流れと認識する必要があります。

 

どうにかして迂回策を、と考えたくなるところですが基本的にプラットフォーマーが

確固たる決意をした場合に迂回する術は無いと思います。短期的にはわかりませんが

長期的には必ず実現する未来でしょう。

 

SEOにおける有料リンク、Store におけるリワード広告の歴史から学ぶと、

迂回策とそれに対する対抗策のいたちごっこは最後には買い手へのペナルティで

幕を閉じるでしょう。

 

Appleの意図について

 

今回の発表があった時にAppleの意図について様々に推測している人達を見かけました。

その中のひとつに「Appleは広告事業を潰して、その代わり課金モデルのアプリを

増やしたいのではないか?」という論がありましたが個人的にはこれは違うと感じます。

 

どちらかというと Apple が、Privacyを自社の差別化要因として強く打ち出してる

んじゃないかなと思いますが、まぁ、推測の域ですね。

 

仮に「デジタル広告事業を潰す」と考えているのであれば今回の手は悪手じゃないかと

思います。

 

今回の変更は多くの事業者が等しく困る変更ですが、巨大な 1st party の

データとトラフィックを持っている事業が相対的には優位になります。

 

結果としてより強い寡占が実現する可能性は否定できないのではないでしょうか。

 

中小ベンダーが今回の変更で一番つらいのですが、チャレンジャーが出てこなくなること

で栄えているものがますます栄える広告業界になるかもしれません。

 

SKADnetworkについて

 

Appleの発表を聞いて、詳細を見た時に業界の人にとってサプライズとなったのが

このSKADnetworkでしょう。後述しますが私はこの framework に対しては結構ポジティブに

考えている点もありますが、まずは最初に驚きました。

 

発表時には「計測手段は用意しているから安心してね」という触れ込みだったので

そうかそうかと思ったものの、実際の仕様は現実の広告配信環境に大きく影響を

与えるものでした。

 

最大の論点は user level attribution が存在しない事です。

 

もちろん、Appleの意図としてはこれで正解だと思うのですが、問題は現在の広告配信環境

では RTB にしろ自社の配信にしろ、1imp毎に広告主毎の入札額を変える事は当然であり、

そのために user level attribution もMLの学習に使われている事です。

 

学習の観点から考えると必ず24時間以上の遅延が入るのも痛いところです。

 

相対的に「効く」 データが欠ける事が配信精度を下げる事は明白で、

かつ入札額の決定という広告配信のコアな部分に関わるものなので多くの事業者の方が

焦ったのではないでしょうか。

 

しかも当初は発表から半年後にリリースという話だったので、変更の与える衝撃度に

対して対応期間が短く、多くの事業者が「これマジで半年で対応するの?」と

思ったことでしょう。

 

実際、iOS14対応という内容だと各社SKADnetwork以外の対応の検討の方が

長かったんじゃないか?と推測します。

ここらへんは状況落ち着いたら実際に対応したPdMの方々と是非飲みながら

話したいところですねw

 

私はSKADnetworkについてはポジティブな面もあると思います。

 

それは全ての広告プラットフォームで同一の効果計測のインテグレーションが期待できる。

という面です。

 

今が違うと言う気はさらさらありませんが、大手プラットフォームに対しての

交渉力や強制力という面で Apple がこの分野を担うのは悪く無いと思っています。

 

デジタル広告費について

 

私、今ここにすっごい興味がありますw

今回の変更でデジタル広告費は減るんでしょうか?変わらないのでしょうか?

 

原則、広告費の寡多は広告主の事業計画によって決まっていると思います。

事業のPLと今後の戦略をベースにして、それではこれくらいの広告費は投じようと

意思決定しているのだと思います。

 

マーケティング効率は先述のように悪くなるとは思うのですが、一方で広告主の

事業構造が突然変わるわけではないので実はそんなに広告費総額は変わりません。

その時、デジタル広告を減らすとしたらアロケーション先はどこになるんでしょうか。

 

現実的にはデジタル広告内での再配分な気がします。

 

そして、例えば検索やそれこそAndroidに振り分けなおそうと思っても、結局のところ

配分した予算もどこかで効果がサチるので結局iOSに戻さざるを得ない事が起こる

ような気がしています。効率は悪いんだけど、SKADでキャンペーンの効果は分かるし

サチってる媒体にこれ以上費用使うくらいならしゃーなしで使うか、と。

 

ちょっと特殊ですが、Growth target ありきで広告予算を計画しているような場合、

効率が悪くなる分むしろ他のコストを削って広告費を上乗せ計上するような企業も

ゼロではないのではないでしょうか。

 

もちろん、今回の変更で事業構造がダメージを受ける広告主の出稿は減るでしょう。

同様にマーケティング効率が落ちるからという理由でしばらく様子を見る広告主も

いるかもしれません。

 

なので、一時期下がるんだけど時が経つにつれて9がけくらいの水準に戻ってくる、

というような動きをするんじゃないかなと思っています。

 

でも自信ありません。効率悪いものに多額の予算を投じるのをやめようという

平常な判断が下されてさくっと下がって終了かもしれない。

 

ここ9ヶ月くらい、気が気じゃない事業者の皆様たくさんいたと思います。

私もそのうちのひとりです。しかしもうすぐリリースという事でその日は来ることになりました。

難事ですが、こういう時こそお祭り精神で乗り切りましょう!