本日3回に分けて更新させて頂いています
色々な準備や整理に忙しい日々を送り
時間は瞬く間に過ぎ、入院を2日後に控えた夜、私は 子供達を呼びました。
癌告知から 約半月、、、
癌のこと、入院の事、小学3年生と1年生になったばかりのまだ小さく私に頼ってばかりの子供達にどうやって話せば良いのだろうと心を痛めていました。
私自身癌の知識もない当時、癌というものが何なのか、そして死まで覚悟しなければならない病気だという事が、まだ幼い子供達に理解出来る訳がないと思いましたが、現実問題として明後日から母親が長い事いなくなり、夏休みにはお友達もいない東京のサマースクールに行かなければならない事を話さなければならなかった。
私は二人を左右の膝にのせ肩を抱きしめながら必死の笑顔で話し始めました。
「チャーチャンね、お腹の中に 悪〜い虫さんが 入っちゃったらしいのね。だから、それをやっつけて退治しないとダメなの。そうしないと もしかしたら 死んじゃうかもしれないの。だから、明後日から病院に入院してお医者様に退治してもらってくるからね。チャーチャンも頑張ってなるべく早く戻ってくるから、二人ともお利口さんにして、仲良くして、頑張って欲しいの。」
これからの厳しい入院生活や治療を思うと、子供達には出来る限りの事を伝えなければと思いましたが、それ以上何と説明すれば良いのでしょう。
ちょうどアニメの戦隊物が好きなお兄ちゃんならば、悪〜い虫さんが、、、と言えば少しは解るかもしれないと思いましたが、どうしたら幼い子供達にちゃんと伝えることが出来るのか、この時ほど言葉をもどかしいと思ったことはありません。
でも、子供はとても親の心の内を敏感に察するらしく いつもと違うと感じたのか、二人ともジッと腕の中で話を聞いていました。
暫くして、お兄ちゃんが
「解った。チャーチャン頑張ってね!」
と明るい声で話し始めました。
「でも、すぐ帰ってくるんでしょ?一週間くらい?」
「もう少し長いかな」
「じゃ、二週間?」
「もう少し。きっと、二人がサマースクールから帰って来る頃には、帰って来るから。サマースクールも兄妹で仲良く頑張ってきてくれるね!」
私が、涙を堪えながら精一杯の笑顔をつくって、話しをすると二人は小さな肩を震わせ、大粒の涙を流し、私にしがみつき大きな声で泣き出してしまいました。
私もそれ以上何も言えず、二人を強く抱きしめることしかできませんでした。
でも、二人に必ず帰って来るから、、、と約束をしたのでした。
今は大人になった二人ですが、娘に子供ができ 私も ベビーシッターをかって出てはいますけれど いくら頑張っても、孫と娘を見ていると 母親には敵わないと思います。小さい子供にとって 母親というものは、本当に全てを委ね 信じ 生きる全てなんだと つくづく 思う 今日この頃です。
色々な癌が若年化している昨今、幼い子供達を置いて病魔と闘っている方々も多いと思います。
子供達にどうやって話をしたら良いか、理解してもらえるのか、それぞれ悩むところだと思います。
難しい問題です。
でも、子供にとって母親はかけがえのない存在であることは確かなのですから、必ず子供達のところへ戻る!と強く心に信念を持って、進んで行ってくださいね!
私もその時の子供達と約束を命がけで果たそうと
1991年6月4日私は京大病院に入院しました。
次回、【第4章】に続きます。
今回も、長い連載を読んで下さり、ありがとうございました。
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