カンボジア プノンペン
カンボジアは、アジアの中で最も来たかった国。
プノンペンへ来た理由はただ一つ。
”トゥール・スレン博物館”と”キリングフィールド”へ行くため。
大学時代に習ったことがある、カンボジアの暗黒時代『ポル・ポト政権』
当時からここには絶対に来なくちゃ行けない気がしていた。
※以下、写真も出てきますので閲覧にはご注意ください※
ポル・ポト政権下では、1975年~1979年の約3年8か月にわたり社会主義が市民に強行されていて、
それを妨害するとされた知識ある市民を次々と殺していった。
殺されていったのは、何も罪がない市民。
先生や医者はもちろん、ただメガネをかけているという理由だけで殺された人もたくさんいた。
政府への憎しみの連鎖が生まれないよう、家族全員バラバラにした後、家族全員殺す。
赤ん坊にだって容赦ない。
この3年8か月の間に300万人以上(正確な数は今でも不明)ものカンボジア市民が拷問され、
処刑されていった。
1975年に人々が強制的に追い出され、プノンペンの街は3日で空っぽに。
1975年といったら、たったの40年前。
私のお父さんお母さんはもう生きていた時代に、カンボジアでは大量虐殺が起きていたなんて。
トゥール・スレン博物館とキリングフィールドを見ている間は言葉を失った。
怒りとか、悲しみとか色んな感情が込み上げてきて。
歴史を知る義務があると思った。
そして伝える義務もあると思った。
こんなこと二度と繰り返さない為に。
トゥール・スレンは、スパイと決めつけられた人々を拷問する場所。
拷問器具や写真が生々しく残る。
もともとは学校の校舎で、それがポル・ポト政権下では拷問所として使用された。
厳しいルール。守らなければ即拷問が待っている。
中には拷問に使われた鉄ベットや器具が残っていて、
写真は目をそらしてしまうほど残酷だった。
収容され、殺されていった人の写真が並べられていた。
染み付いた血や、引っ掻き傷のような跡が生々しく今でも残っていた。
何もかも自由は禁止されていた。
会話禁止の看板
キリングフィールドは、トゥールスレンで拷問された人々を運んで抹殺する場所だった。
「新しい住居へ移り住むんだ」と監視は嘘をつき、人々の混乱を避けた。
地面に掘られた大きな穴には、数え切れないほどの遺体が埋められていたらしい。
このような穴がたくさんあった。
キリングツリー
赤ん坊の足を持ち、母親の前で叩きつけて殺していた。
叩きつけていた箇所が今でも黒く残っている。
キリングフィールドの真ん中には慰霊塔が建つ。
慰霊塔の中にはここで殺された人々の遺骨が一部並べられていた。
鉄砲は高いので使わず、農業で使用する器具やハンマーなどで殴り殺された。
キリングフィールドは日本語の音声ガイドを聞きながら回れる。
内容は想像を上回るほど残酷で、同じ人として何故こんなことができるのか理解ができなかった。
それでもここへ来て、当時のことを少しでも知れて良かったと思う。
カンボジアに訪れた際は、プノンペンにも足を運んでみてほしい。