昨日は色々なことが
頭の中を巡った。






石巻に来る前の自分が
どういう思考だったのか


どんな気持ちで石巻に来たのか


ここに集まったメンバーでも

そんな話はたまにする。



「なんでここに来たの?」


自分に問い掛ける。




結果、答えはない。



ボランティアの定義とはなにか?



誰かのため?
自分のため?



答えはない。




答えがないんじゃなくて

正解がないのか。




十人十色とかいう言葉があるけど


人間、それぞれ価値観に違いがあって


違う感性で感じたり、考えたり


だから人それぞれに

それぞれの答えがあって。






それが
正義の押し売りでも

自分の世界を広げるためでも

被災地を見たいだけでも

時間があるからでも

暇だからでも

なんとなくでも






それが誰かのためになっていれば

それが誰かを傷付けていなければ

復興のための歯車の1つになれていたならば


それが
ここにいる意味であったり

理由である。




ボランティア活動する人間の思考を度外視したとして



したとしても



それで助かる人もたくさんいる










んー
わからない。



体を動かしたいから
瓦礫撤去や、泥掃除



少しでも被災者の方のためにと
瓦礫撤去や、泥掃除







やっていることは
結局一緒。












でも人間、そんなバカじゃなくて

どんな気持ちで石巻に来た人も

どんな気持ちでボランティアを始めた人も

結局、行き着くところは

皆同じ



被災地を見て
感じる

被災者の方と話して
考える









誰かが言ってた
「与えるつもりで来たが
逆に与えられてしまった」



そんなことは
被災者の方にはどうでもいい話だが



人と人が繋がれば
なにかが起こる。





逆の立場だったら
自分ならどう考える?








今、僕が思っていること
東京に帰ったらどう変わる?



非日常な生活から

普通の生活へ。



待っている人がいる
帰る家がある




それを失ったら

なにを感じる?



それはまた
落ち着いたら
考えよう。





ーーーーーー









作業としては














毎日少しずつ片付いていく

続けることで

元に戻る。

いや、それ以上に。






《この悲しみや怒りを復興に。
港の人間は強いです。》



こんなに力強い。
こんなにもたくましい。



今、僕たちがしていることは
ほんの小さな一歩であって


被災者の方には
戦いであって

生活である。








避難所での生活も
他人との共同でもあり
それは
支えでもあり
ストレスにもなる









でも僕らの
お湯の配給に感謝してくれたり
暖かい言葉
気遣いの気持ち






なんのため?
理由なんてない

人が人に優しくする気持ち

ほんとの気持ちを

見ることができた。
感じることができた。






外部からの配給があったり






それに感謝する





なんだろう。


助けられて
感謝する。



この単純な
循環に
違和感を感じていた。



とても単純な思考の変化に
気が付いた。


たかが21の僕が言うのもおかしなことだが


少しだけ、ほんの少しだけ

人のこと
人間の本当の
強さや
優しさが
わかったような気がした。

























そんな僕も
今はもう新宿に向かうバスの中。





毎日、
お風呂に入れる
テレビも見れる
お洒落もできる
どこにだって行ける
誰とだって会える
なんだってできる。







あぁまた矛盾。

頭の中で
別々の思考がぶつかり合う。













今日のことは

また明日。


頭と胃がいたい。










結局、まとまらない。

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