茨城県を徘徊[1]《 自分史[18]》 | オカハセのブログ

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この頃になると、「自分は社会不適合」かもしれないというのが頭をよぎる様になりますが「俺は好きでこういう生き方をしてる」と自分を誤魔化していたと思います。
もはや自分は旅をしてるのではなく、逃げ回っているだけの生き方でした。

水戸には1ヶ月くらいいました。千波湖の淵にテントを張り、そこから街なかのダイエーの前にサックスを吹きに行く。(この頃から路上ライブはサックスオンリーになる)
一回吹きに出てくるとそのお金が尽きてそして食料が無くなり腹が減ってどうしようもなくなるまでテントの中に引き篭もりか、テントの辺りでブラブラしたりしていた。
最初のうちは会話をしていた売店のおじさんも明らかに乞○キ見る目でよそよそしくなった。

或る日ダイエー前でサックスを吹いていると登山が趣味(登山用品のショップ勤務なので仕事?)のおじさんが話しかけて来た。「野宿なんだったら、うちに今日遊びに来るか?」と言い、水戸から10キロくらい離れた家に車で連れて行ってくれた。
おじさんは奥さんと小学生の娘さんと3人暮らしだった。
翌る日、僕を含めた4人で景色の良いところ(場所は忘れた)にドライブに行った。娘さんがわりかし僕に懐き奥さんも僕に対して悪いイメージがない空気になったので、おじさんは「うちに暫く居てもいいよ。絵里(娘、仮名)は一人っ子だから、遊び相手も出来たし」と言い、千波湖に寄ってもらいテントと荷物を車に詰め込んて、そのままおじさんの家に居候する。

だけどこの居候も、自分の幼少時の母との関わり上のしわ寄せが…

最初のうちは和気あいあいとやっていた。
ところが、半月ほどすると奥さんがよそよそしくなりそれに合わせて娘もよそよそしくなった。
何かまた僕はイタイ事を連発していたのだろうと思います。
もし今なら、単身ではなく家族のいる家で居候することは避けます。世話になってもせいぜい2~3日にとどめます。

おじさんは或る晩「明日は違う所に移るかい?」と、言いかたは優しいが、追い出された。

しかし考えてみると奥さんがよそよそしくなった時点で「お世話になりました明日出発します」と言うべきだったのだ。普通は皆そうするはず。
ところが僕は【何故よそよそしいのかを考え込み、卑屈な姿勢で媚を売り、この「寂しい空気」から当初の和気あいあいとした空気に戻って欲しいと願って頑張ってる】。
向こうからすれば「こいつ、出て行って欲しいという意味だと早く気付けよ!」という事なのだ。

翌朝、誰の見送りもなく寂しく出発。水戸に向かって歩くが、鬱状態で歩けなくなり途中の公園でテントを張り3日くらいロクに物も食べずに引き篭もっていると、警察が来て「近所から苦情」との事で、テントを片ずけてまた水戸に向かう。
水戸駅から少し離れた場所にサウナがあった。入るには手持ちが数百円足りないので水戸駅で1時間程吹いてサウナに泊まる(当時、ネットカフェとかなかった時代に安く寝泊まり出来る所はサウナだった)。
そして次の日からまた水戸市内に少しの間滞在した。「また来た」と冷たい視線を浴びたくないので、千波湖脇でテント張るのはやめた。街中の適当な場所のベンチに寝袋を敷いて夜は過ごす。
路上ライブで1万5千円くらい確保出来たので、水戸を離れた。
鹿島臨海鉄道で涸沼駅まで行きそこで少し滞在した。
駅の近くにテントを張り一日中サックス練習したり、駅舎の中の売店の座って食べるスペースでボーッとして過ごした。売店のお姉さんは気さくな人で「親の居る家はあるの?」とか「どうせここはいつも暇だし私は使われてるだけだから、好きなだけゆっくりしていいよ」と言ってくれた。






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