2015/10/20 | オカハセのブログ

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自分史[21]の記事は25年前の25歳のこととはいえ、オカリナ愛好者からの僕に対するイメージが悪くなるのではないかと思う事が含んでいる記事内容でした。
それでも書かなけれいけなかったのは、僕がオカリナに出会う重要な記事だからです。
自分に都合悪いエピソードを隠して素晴らしい出会いのエピソードだけを書くほうが利口な事かもしれませんが、僕はこのブログを始める時に、(特に自分史は)なるべく事実を「ありのまま」に書こうと決めていました。

でもこうして書き終わって自分で読み返してみると「俺最悪だなぁ」という印象が先に立ち、【自分にとって重要な『オカリナとの出会い』があまり印象に残らない記事になった】のではないかと思ってしまいます。
書くまではワクワクしていたのですが、いざ書きはじめると自己嫌悪に陥り「落ちて」しまいました。

思えば、静岡に住み始めてからも自分の配慮のなさから人を不愉快にさせて、相手から音信不通になった事が数回あります。

どうもかなりヌケている奴なようです。


【追記】21日、13時40分。

お陰様でもう大丈夫です。
自分史を書く事は内観法的な治療法になっているから「ハッと気付き」「落ちて」「受け入れ」「向き合う」という、プロセス上避けられ無い通過儀礼だと思っていますので「想定内」です。
ただ肉体を持った人間なので「その時に痛いと思うものは痛いと認識する以外にない」だけです。
赤ちゃん産まれるお母さんに「子供が授かっていい事なんだから、そんな痛がらなくてもいいんですよ」というナンセンスな助言はとち狂ってますよね(笑)。多くの自己摘発セミナーやスピリチュアルカウンセラーが、それに等しい事をしてますけどね(笑)。対岸の火事ですよね。
究極は、今火事で逃げられなくなって焼けてしまう間際の人に「大丈夫ですよ、死んでしまえば楽になれますから(証拠ある?)。あなたは必ず天国行きますよ~(証拠ある?)」と言ったら、まわりから確実に顰蹙を買いますね(笑)。

話が逸れました。

内観法的治療なので正直に書かないと意味がないのです。
でも痛みを想定なので、ある程度のM的要素がモチベーションを上げているかもしれないです(笑)。




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