数ヶ月の放浪《 自分史[45]》 | オカハセのブログ

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茅ヶ崎の西○運輸の寮を出たあとはすっかりタガが外れて、最初は3日間くらい厚木市内で浪費した…  浪費と言っても僕の場合せいぜい食べ物にお金使うだけですが。
厚木市内には炭火の網で肉を食べられるカウンターだけの小さな店が多く、入ったばかりの給料を降ろしては毎晩通っていた。泊まりは健康センターみたいなところに。
その後横浜の伊勢佐木町辺りに移動してから約
3日間は、外出可能なサウナ(珍しい)に泊まりその近所にある中華料理店で毎晩浪費した。極度なストレスから解放されると僕は買物&飲食依存症になるみたいです。浪費しまくるようになるのです。

それから、川崎港〜日向港の長距離フェリーが存在していた頃なのでその船で九州に渡った。日向に着いてから宮崎市の街でお金を降ろそうとしたら残りの全額を嫁さんに抜かれていた。
後で聞いたら「毎日一万とか二万とか減っていくから、やばいと思って残り全部抜いた」と。
当たり前だ、本来なら家に仕送りするために働いてたんだから…
しょうがないので宮崎市内の路上でサックスを吹いてやりくりした。

以前、長期間放浪していた頃に宮崎市の「ライフライン」(仮名)というジャズ屋に世話になっていたので、今回も立ち寄った。
最初は「お〜、久しぶりだなぁ」と歓迎してくれた。
だけど1週間くらいするとマスターになんと無くシカトされている感じがしてきた。また不快感を与える様な事を言ってしまったのかもしれない。
なんと無く居心地が悪くなり僕は鹿児島に移動することにした。

鹿児島では「ヤマさん」というサックス吹きのアパートに居候させてもらった。ヤマさんは小さな居酒屋をやっていてほとんど店の奥の部屋で寝ていてその部屋には簡単な生活道具が揃っているため、そのアパートにはほとんど僕1人で居られた。そのことが僕のハングリーさを弱くさせて、あまり路上にサックスを吹きに行かずに部屋でダラダラと過ごしていた。そのせいである時ヤマさんに説教をされて、その後なんと無く追い出される形になった。

僕はもう一度宮崎に戻り宮崎市の南部の山間にある「加江田渓谷」の「ねむの木キャンプ場」というところでサックスを練習したりしながら数週間過ごした。ねむの木キャンプ場は、今はもう閉鎖しているらしい。
それにしても僕はまた箍が外れたみたいだ。元々出稼ぎで茅ヶ崎に来たはずなのになんで九州の山の中でサックスの練習しているんだろう…
自由気ままに旅をして気持ちに余裕が出て来た途端に、ここ数ヶ月の自分があまりにも勝手だと気が付いた。
考えてみると、「ライフライン」のマスターがよそよそしくなったのも、鹿児島の「ヤマさん」に部屋を出されたのも、西○運輸の社員と上手くコミュニケーション出来ないのも、すべて僕の【まわりが見えてない勝手な行動】から来ているのだろう。
僕は僕が思っている以上にイタい人間なのかもしれないという気持ちが頭によぎったけど、すぐにその考えを引っ込めて誤魔化す事をこの頃はしていた。

宮崎市内に戻って「ライフライン」に寄るとマスターが無愛想に「おい、お前に青森から手紙が来てるぞ」と渡された。
手紙は嫁さんからだ。
「生きてますか?○月○日は里奈の運動会があるので、帰って来てください」
と書いてあった。
僕は日向からフェリーで川崎へ渡りそこから長距離バス等で青森に帰った。





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