【長文】自分史[77]〜[80] | オカハセのブログ

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[77]孤立する中ユンニの森へ

アルトの加藤浩祐(仮名)のバンドはとりあえずクビにならないので(笑)「加藤浩祐五重奏団」のライブはモチベーションになって、なんとか自分を保つことが出来ていた。浩祐は僕のそんな精神状態を知っていたのかいなかったのかはわからないけど。

北海道大学ジャズ研の進入部員のコントラバスの子「オキメグ(仮名)」とライブハウス「カムカム(仮名)」で2回程4人くらいのバンド組んでライブをした。季節は北大の学園祭の時期になり僕のサックスと「オキメグ」のベース、そしてピアノとドラマーとの4人で学園祭内のライブスペース「トルコレーン」にて演奏するごとになった。しかし直前にまたメンタルがやられてしまい、当日は連絡も入れずに行かずにすっぽかした。これに関してはメンバーみんな相当に怒った。オキメグも当然怒り「もうあの人には関わらない」と言ったそうだ…

悪いことは長く続かず、かと言って良いことも長くは続かなかった。良いことが続くとサックスを練習頑張り、悪いことが続くとサックスはケースの中でいつまでも眠っていた。

少しでも自分を変えたかった。それで、札幌近郊の無料キャンプ場を調べた。夕張郡由仁町(ゆに町)という場所に「伏見台キャンプ場」という無料キャンプ場があるらしい(現在はもう無い)。交通も札幌市の大谷地(おおやち)バスターミナルというところから1本で由仁駅で降りてそこから30分歩けば着くので割りかし行きやすい。早速行ってみた。それほど人気の無いキャンプ場なので穴場だった。それからは度々サックスを持って3泊から7泊くらい楽器の練習を兼ねて行った。キャンプ場から8分も歩くと「ユンニの湯」という温泉があってとても環境は良い。バーベキューしたくなったら由仁駅前の小さなスーパーまで行き、安い肉と炭と安いワインを買って、キャンプ場に戻りサックスを吹きながら肉を焼きワインを飲みながら楽しんだ。このセルフイベントはメンタルにとても良かった様だ。キャンプ場から帰って来るとしばらくは調子が良かった。

この由仁のキャンプ場に通う期間にオリジナル曲『ユンニ』の半分くらいが出来た。

「加藤浩祐五重奏団」がライブをやる店は主に「スローボート」というジャズ屋だった。ここはジャズピアニストの福井良さん(故)がオーナーの店だ。ちなみにこの頃は加藤浩祐は「会社員」を退職してサックスレッスン等の音楽だけを生業にしていた。だから彼のアルトの上達スピードは凄まじいものがあった。ある日「スローボート」で「加藤浩祐五重奏団」の演奏をしていると2ステージ目始まってすぐに北大のジャズ研の連中が5人くらいで入って来た。皆んな酔っていたから何処かで飲んでいて「今日スローボートで加藤浩祐さんのバンドやってるから行こうか?」というノリで来たようだ。その中にベースの「オキメグ」もいた。僕は一瞬気まずかったけど、彼女は僕のソロ終わった後に笑顔で親指を立てて「イエ〜ィ」と言った。ステージ終わってから「いや…あの日すっぽかして申し訳ない…」と言うとオキメグは「ホントですよー!」と少しキツイ声でしかし笑顔で言ってくれた。なんとか水に流してもらえて心底ホッとした。

アメリカ帰りのジャズピアニストの源さん(仮名)という人に知り合った。彼のサウンドはかなりの本物だった。天才だと思った。誤魔化しの無い正確なフレーズやフレージング(その分アバンギャルド要素は少ない)。素晴らしいスウィング感とグルーヴ感は札幌の中でもレベルが高かったと思う。けれど札幌での評価はそれほど高く無かった。理由は多分2つある。1つは、彼はASD(自閉スペクトラム症)或いはAS(アスペルガー症候群)のような気がする。そのせいでどうもまわりの人が敬遠して離れて行く。別に彼の性格が悪いわけじゃないのに、皆んな心に余裕がないのかわからないけど寂しい物だなと感じた。けれど彼はそのことを全く気にしてる様には見えなかった、実際のところはわからないけど。もう1つの理由はまわりの人が敬遠しているからかもしれないが、札幌ジャズ界で権威のある人の前で演奏すると、テンパって5分の1も発揮出来ない。つまり彼のノってる時の演奏を聴いたことのない人にはどうしても過小評価されてしまうのだ。こっちが悔しくなる…   そんな理由もあって出会った時に源さんがやっていたピアノトリオのベースとドラムがとてもじゃないけど下手だった…   なんで?と思うと同時に、僕は僕なりに源さんに似合ったメンバーでバンドを組んだ。しばらく僕は源さんのピアノを入れたそのバンドで何度かライブをした。

そんなある日僕はサックスを盗まれることになる。



[78]サックスを盗まれ、一大決心したものの…

ある日サックスを持って出かける時に、ついでに家賃を払うために大家さんの家に寄った(大家さんはアパートのすぐ隣)。僕は持っていたサックスをアパートの前に置いたまま隣の大家さんの家で家賃を払った。払い終えてからサックスを置いた場所に戻ると既にサックスがなくなっていた…

何故にサックスを持ったままで大家さんの家に行かなかったのかが悔やまれる。しかもこの盗まれたテナーサックスは茨城県のドラマー「田島さん(仮名)」がローンの名義になってくれた楽器だった。突然自分の楽器がなくなった僕は非常に悩んだ。サックスという楽器はとても高価な楽器なのでローンを組まないととても買えない。この頃は今のように「まあまあ使える安物」というものはなかったので。生活保護受給者の僕はローンの審査は100%通らない。そして出した結論は。「もう社会復帰できるんじゃないかな?生活保護をやめて愛知の自動車工場に働きに出よう」そうしてローンを組んで、自分が欲しい楽器を手に入れよう」と、そう決めた。トヨタ自動車の期間従業員の面接を受けて採用されたので、保護課に行って生活保護の打ち切りをしてもらい、愛知県に赴任する日を待った。当時ヤマハからジャズミュージシャン向けにリリースされたカスタムモデルのサックスが新発売されていた(2004年)ので楽器店に行って試奏した。ドンピシャに気に入った僕はローンを組んだ。審査は無事に通り(まだトヨタの期間工で働く前だけど、ローンは通った。世界のトヨタ恐るべし)、そして4月、購入したサックスを持ってトヨタの寮に赴任した。

配属された工場は「元町工場」というところ。工場の目の前が寮なので通勤時間も僅か5分ほど。トヨタの工場の中でも、豊田の街の中心部から1番近い工場でした。工場のまわりも何かの工場ばかりなので夜中でもサックスの練習出来る場所は沢山ある。たまに名鉄の豊田市駅と愛知環状線の新豊田駅を繋ぐペデストリアンデッキの上でサックスでひとり路上ライブもした。近くには「keyboard」という名のジャズ喫茶もある、とても良い環境だった。休日は名古屋の街に出ることが多かった。ある日の休日、名古屋の老舗の管楽器ショップのU楽器に行った。そこで素晴らしいサックスに出会ってしまった。

「アメセルのマークⅥ」(アメリカンセルマーのマークⅥ。最も人気の高いビンテージサックスです)。しかもラッカー含有率が90%以上も残っているキレイな個体。そして人気のジャズテナー奏者「ブランフォードマルサリス」の選定…  U楽器の人に「吹いてみませんか?」と言われ、買うつもりは全く無かったけどお言葉に甘えて試奏させて貰った。するとびっくりするほどに僕のいうことをきく素晴らしい個体でした。マークⅥの中でも比較的後期(1972年製)に作られたモデルなので、一般的なジャズテナー吹きからの人気のストライクゾーンからはズレているのだろうけど、僕はむしろ好みだった。これはもう出会ってしまったとしか思えない。そしてまたローンを組んで購入した…

しかしこの約1年後に、僕は生活保護をやめたことをとても悔やむことになる。何故ならまた家賃滞納も続き、ガスも水道も電気も止められることになるのだ。そして、名古屋のU楽器で購入したサックスは今から考えてもとても運命的と感じるほどの素晴らしいサックスだったのですが、その後に色々あって僕の手元に今はもうありません。




[79]社会復帰を目指すが

そういえば札幌で居候させてもらっていた小野(仮名)は、その頃には札幌を離れて愛知県犬山市の実家に帰っていた。トヨタの工場は同じ愛知県なので、僕は小野と連絡を取ってみた。それから休日になると小野と会う日が時々あった。彼はどうやらその頃は実家で引きこもりになっていたようだ。メンタル的にもかなり疲れている様で、札幌にいた頃にはなかったくらいに話の途中で口喧嘩になることが多かった。今から考えると、多くの場合は僕の発言にコミュニケーション上の問題があるからだとは思う。ただ札幌で居候していた頃には無かった事だから、小野自身が行き場のないかなりのストレスを抱えている様にも見えた。彼にとっては札幌時代の解体屋の仕事もメンタル的には合っていなかったのではないかと思っている。それでも僕は札幌時代に小野によって人間関係上ではかなり助けられた(実際に小野と関わりがなくなってからはどんどん孤立していったことは事実なので)から、今でも彼には会いたいと感じている。

トヨタ自動車の工場の仕事はラインに慣れるまでは大変だったが、同じ繰り返し作業なので10日も経つと慣れた。半年の期間工で、4ヶ月目迄は何事もなく勤務していたけど、色々あって(詳細はここにいちいち書いてもしょうがない様なことばかり)5ヶ月目からは欠勤が多くなってしまった。6ヶ月後に期間延長するつもりだったがそれは却下になってしまった。案の定、懲りずに毎月の給料(手取り額はかなりよかったのに)は全て使ってすっからかんにしていた。そして、5ヶ月目からの欠勤の多さのせいで「慰労金」もスズメの涙程度なので、お金を貯めることは出来ず札幌に帰ることになる。

札幌に帰ってからも、本当はすぐにでも次の仕事を探さなければいけないのに動く気になれず、数ヶ月はダラダラ過ごしていた。サックスは日々吹いてはいたが…   その後も、解体屋に行けば2ヶ月足らずで辞め、ペンキ屋に行けば2ヶ月程で辞める。しかも1つ仕事を辞めるとその後暫く何もできないので、家賃滞納や光熱費滞納も続きガスも電気も止まり夜は懐中電灯で過ごす様なありさま。やっと重い腰をあげて、また愛知県の岡崎市に寮があるトヨタ下請の部品工場に行く。岡崎市のその寮の敷地内にはカラオケルームがある。みんな残業を月に100時間とかざらにしているので、週末以外には殆どの人間は使用していない。だから殆ど僕のサックス練習場所になった(そもそも「入寮者カラオケルーム無料使用可」の募集記事を見て面接した)。

岡崎市内にライブもセッションもやるジャズ屋もあるので環境はよかったのだが、そこの職場も長くは続かず、少しずつ色々な人に迷惑をかけてしまうことになるのだ。



[80]愛知県岡崎市の寮にて

その工場は何もかもが「ずさん」な感じで、トヨタの下請け工場という【温室育ちな環境】故にそうなってしまうみたいだ(もちろんどこの下請け工場もそういうわけではないとは思うが)。そのせいか働いている派遣作業員は金を稼ぐために仕方なく働いている空気感でいっぱいな感じで、暗い職場だった。割と世の中で言われてる「工場作業はみんな気持ちが荒んでいて暗いよ」という、いわゆるそのような偏見をそのまま現した様な職場だった。実際その工場内の各場所のリーダー(正社員)は、酷く性格が歪んでヤンキーっぽいか、或いはストレスによるノイローゼで目が死んでる様な人かのどちらかだった。誰ひとり仕事に楽しみを見出してる感じは無くて、金を稼ぐために時間を切り売りしてるだけの状態。だからトヨタの本工場からのクレームが来たりする様な不良品を見つけても、誰ひとり見て見ないふりをする様な、とても良い環境とはいえなかった。寮に帰れば、寮敷地内の事務所の連中も輩っぽい人間ばかり。彼等も元々僕らのような形で働き始め途中から事務に出世?したようで「ここで働いて長続きする人間はこういう人間ばかりなんだな」と、つまり「いじめっ子の巣窟」みたいに見えた。なので、社会復帰してまだ1年経つか経たないような僕には、その環境はふさわしくは無かったのだった(そういう風に考えるとトヨタ自動車の本工場はとても環境がよかった)。実際に、札幌の面接が同じ日で少しばかりは会話をする関係になっていた同僚たちのうちの何人かも、日に日にイライラしてキレやすくなり人が変わった様に病んで行った。それでも僕は休みの前の日になると、岡崎市のジャズ屋のセッションに時々通っていた。どんなに残業が遅くなって帰ってきても、寮敷地内のカラオケルームに必ず行ってサックスを練習していた。なので、ただでさえ寝不足なのに更に寝不足になり、この時期に初めて「サックスを吹きまくってる最中に【イビキをかいて朦朧としている自分に気が付き】人間ってすごいな」と思った(笑)。結構ちゃんと吹きまくっていながらも寝てる自分もいるということに…

サックスが練習出来る、そして岡崎市のライブハウスのセッションに行けたりすることがかなりストレスを軽減してくれたのか契約期間の半年務まった。

そして期間満了の10日ほど前に、札幌の路上弾き語りミュージシャンの「ハム」から僕の携帯に電話が来た。「長谷川さんのいるところで俺も働きたいんだけど、お願い出来ないかな?」と言うので、友人がいたほうが僕にとっても心強いと思い(ただハムにはこの職場のずさんなところは話しておいた)寮内の事務所でその件をお願いして、ついでに僕の働く期間も更に半年延長して、ハムはまもなく赴任してきた。期間を延長した理由は、ハムがここに働きに来ることも理由だが、1番な理由はやはりカラオケルームがあって練習出来るのが最高のモチベになっていた。

ハムが来た翌日くらいに寮生がほぼ全員参加するジンギスカンパーティ(実はこの寮は95%以上が北海道から来てる。残りの5%も青森県とか)があった。確か日曜日で明るい15時頃から始まる。もちろん参加費無料で食べ放題なのでたらふく食べた(寮費の中には朝晩の食事も含まれるので)。

岡崎のジャズ屋にて地元のバンドに混ざってライブ出演することが決まっていて、それはハムがここに赴任して数日後のことだった。寮の人間がハムを含め3人観に来てくれた。バンドはボーカル(女性)がメインで、しかもそのボーカルはかなりいい感じだったので楽しく参加できた。そして打ち上げにバンドメンバーとハムと一緒に近くの居酒屋に行った。

しかしその後ちょっとしたトラブルで、結局手に持てるだけ&背負えるだけの荷物を持って、ここの寮も夜逃げすることになる。





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