学校では目立ちたがり屋で勉強ができて、夢は外科医になること。大学受験ギリギリまで医学部を目指していたけど。手術をするなら魚をさばく方がいいかなと、調理実習のある管理栄養士専攻に突然変更し学校の先生を困らせた。突然競争社会に興味がなくなったというのも正直なところ。
大学に入ってから、調理実習は楽しかった一方、当時の栄養学はカロリーや栄養計算が主流で、私はカロリーばかりを気にするようになってしまった。もともと体重が増えたり減ったりが激しかったので、それに拍車をかけるように、大学時代はカロリーに翻弄され、増えたり減ったりを繰り返していた。別に病んでいたわけではないんだけど。好きな飲み物ダイエットコーラ。サイゼリアとかデニーズによくいたわ。飲食店でバイトをしてはお金を貯め海外に放浪しに行くようになったのもこの頃。
大学を卒業し、無事管理栄養士の資格は取れたものの、栄養計算に嫌気がさして、某大手料理教室の先生をしてみた。生まれつき目立ちたがり屋の私にはぴったりの職業。でも営業をしなくちゃいけないのが苦で、もっと純粋に料理がしたいと、1年後には雑誌やテレビの撮影のアシスタントをするようになった。てっきり派手な世界かと思いきや、言ってみればその頃は私の黒い時代って感じ。
1日三千円のお給料(?)で、朝4時に起きて撮影用の仕入れに築地まで出向き、終電まで怒鳴られながら働かされ奴隷のような日々を送っていた。食べる暇もなくカロリーメイトを食べ、ついている魔女のような先生に怯えて過ごす中、ある日仕事中に腹痛で倒れ、腹膜炎で入院してしまったくらい。
こんな暮らしなら、むしろプロの料理の現場に入り、皿洗いから修行した方がいいんじゃないか。
そう思って私は、派手な世界への憧れと、学歴や高いプライドを捨てて、料理の世界に飛び込んだ。
フレンチ系レストランでの男の世界での肉体仕事は、意外と自分に合ってた。毎日12時間働いて、週一の休みは海に行く。ライフワークバランスなんて考えたことさえなく、それでも、奴隷の日々よりは”確実にプロの料理を学んでいる”という実感があったし、修行だと思って割り切っていた。
仕込みをしながら賄いを口に押し込んだり、時間がなければ残飯をつまんでお腹を満たしていた。そんな暮らしを続けられたのは、自分のお店が持ちたいという当時の彼との夢があったからだと思う。人のために美味しいものを作ることに夢中で、自分は夢と残飯を食べて生きていた時代。
月給18万円から毎月夢を叶えるための貯金をしてた。メニューを考えたり、盛り付けを考えたりすることが楽しくて、夢の実現はそう遠くないように思えてた頃。ふと、私はこのまま彼とお店を出し、毎日12時間働き、結婚して子供を産んで生きていくんだろうか?と疑問を持つようになった。しばらくもやもやし続けた後、26歳目前に彼と別れてしまった。
お店を持つ夢と、結婚する流れだった彼を同時に失った私は、ボロ雑巾のようにずたずたで、毎日通勤電車の中で泣いていた。気づくと涙がこぼれていて、立っているのも辛い。これからどこへ向かっていくのか、自分が何をしたいのかもわからないまま、ただただもがき続けていた。
そんな私が、再び立ち上がるきっかけとなったのが、ある思いつきだった。
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