なぜ看護師になりたかったのか | 脳と心 ~やる気スイッチ~

脳と心 ~やる気スイッチ~

心って?
心臓は心の臓器じゃない

結局は人間、脳だと思う。
相手の脳を愛せるか。

しかし色々な本で「心」の存在を目にする。
心って難しい・・・

何かに共感したり、
少しでも心の健康につながれば幸いです。

ワタシがなぜ看護師になりたいと思ったか。

答えを先に言うと、
きっかけは、様々な死です。

ここに辿りついた誰かの何かの参考になればと。
それまでの経歴(長い)

高校卒業後の進路は、自分の考えで
「これからはIT産業」みたいな甘い感じで、情報処理専門学校へ決めて、資金繰りにバイトをしました。

そのバイトで、
サービス業が好き?!
みたいに方向性が変わります。

(情報処理で得たスキルは後に、電子カルテ導入時に生かされてきます)

専門学校へ通いながら、ファミレスでバイト。
就職先は、そのまま外食産業で正社員でした。某ファミレスの店舗経営で2社働きました。
(嫁さんと、ここで出逢う)

その中で、ファミレスの売店から、玩具メーカーと繋がり、そちらへ転職。

(営業で得たスキルは、コミュニケーションに生きる)

そこで10年働いて、収入的には安定。
月収は50平均。家も買いました。しかしファミレスの全盛期時代の収束時期に事業も縮小。今度は違う仕事してみようかと、コンビニや外食関連のソース作りを担う工場で製造もしたりしました。

(製造業で体力もついたw)

この頃、祖父母の死に関わります。
妻は高校卒業後、准を経て→看護師に。

ワタシは根本的に人と関わる仕事のほうが楽しいということが自分の中に確立し、再び転職。ハローワークへ。

時代なのか介護職の募集が圧倒的に多く、ここで現在の病院と出逢います。

たまたま開院して間もない病院で、看護助手の大規模採用、未経験者歓迎。
しかし、ワタシとしては自分の安心のために、ヘルパー2級くらい取得してから(初任者研修)と取得。

ホームヘルパーも楽しそうだなーなんて思いながら病院で看護助手の日々。

石の上にも三年!と考えながら、働いてる間に、多くの死と直面します。

愛犬の死をトリガーに妻も鬱に。
自殺未遂で救急車に同乗したのは忘れられない思い出・・。

時間かかりましたが、寛解し、2年のところを3年かけて
夢だった助産師に。

実習期間は、育児も大変な時期で、それは大変な毎日でした。

そして私が看護師になろう!と決意したトリガー、、忘れられない
とある女性患者の死でした。

今でも様々な想いが交錯します。
何が正しかったのかは、本人のみ知ることだから。。あの世でもう一度お話ししたい人の1人です。

で、看護助手を3年間やりきり、准看護学校へ、そのまま高看へ進み、現在に至ります。

実習は泣いたなぁ〜
今思えば楽しかったけど。

受け持ち患者さんも3日で他界してしまったり、
そういう巡り合わせなのだと。

同期に女性で鬱を抱えながら一緒に実習を乗り越え、無事に同年に合格した仲間もいます。

看護師は、看護師となるまでの過程も大変ですが、看護師の資格を取ってからがスタートラインと言っても良いくらい継続学習が必要です。
生涯学習です。

何にも「ブレない」自分の想いとか決意みたいな強い心がないと続かない職業かなと。。自分がやられてしまうと思います。

それと学校で学ぶことには全てに意味があり、自身のメンタルヘルスにも必ず良い意味で影響をもたらします。

自分も正直、鬱っぽくなる時がありますが、そういう過程を踏んできたからこそ、保たれているのかも知れないと考えることが多々あります。

精神疾患と心の健康って紙一重だと私は思う。

憧れ程度ではなく、強い意志、目標、夢を持って挑めば、必ず叶う。

やり甲斐は図りしれない。

ワタシは転職で得たワタシの天職だと思っています。


楽しいことばかりではないし、時々ツライけど、でも白衣を着れば気持ちにスイッチ入り、1日があっという間みたいな仕事。

興味を持ったら、まずは色々な本を読み、映画を見たり、ネット検索したり、自己学習しながら、知識や、心を育ててみては、どうでしょうか?

何にもアクションしないと、何にも変わりません。

人は「大変」な時にこそ
きく」「われる」
と恩師の言葉より。


自己暗示、心の健康のために
やる気スイッチのために
気持ちを一気に書き残しました。

最後の最後に一言!
「コロナもういいから静まりなさい」

長々と最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。