今日の朝、en塾生からこんな質問を受けたので、その回答をここで♪


「自分の引き出し」という語句はよく役者の方から聞きます。
この引き出しを増やすことで
演技の幅が広がる…ということだと思います。

そこで疑問に思ったのですが、
すぎさんの言う「役作り」というのは、簡単に言えば「台本をよく読み込み、台本や役の背景までを細かくイメージしそれを表現する」ということですよね?
そうすることで役が持つの感情は本物になり意味を持つ。

ならこの「引き出し」を利用するやり方は、あくまでも自分の経験や体験をベースとしているものであって、決してその役そのもの感情ではないということになりますよね?
そうしたらその演技は(本人が台本を読み込んでいるいないは置いといて)言ってしまえば「ニセモノ」の演技なのではないのでしょうか?

それとも、
そんなことは関係なく、
現場環境や求められるものによって変えていくものなんでしょうか?



確かによく「引き出し」って言葉は使われますよね(笑)
そして、よく分からないで使っている人もいるかと思います。


そもそも「役者においての引き出し」とは、どのようなものなのだろうか?

これは一口には言えなくて、というのも、演出家や講師によってその解釈は曖昧なもので、
定義みたいなものはないものなんです。


なので、総じての解釈とすれば、
「想像と感情表現の多さ」
です。

「大っきらい!!」
というセリフを、あなたは何通りの表現方法で言えますか?
ただ言葉の口調や言い方を変えるのではなくて、感情表現を変えて表現するんです。

大好きな人に、裏返しの感情でいう「大っきらい!!」と、
嫌なことをされて友達に言う「大っきらい!!」では、その表現が異なります。

この想像する過程と表現方法の多さを「引き出し」という言葉に変えています。



確かに私は台本を読み解くときに、細分化というのを最重要視しています。

物語を細かく読み込み、また理解し、役の真実を探るために。


しかしながら、この作業は読み手の想像の中にのみ存在するもので、読み手の役者によって、大きく変わってきます。

なぜなら、人はそれまでの体験と、見聞きした経験からの想像しか出来ないからです。


「未知の生物を描いてください。」
この質問によって描かれる生物は、どこか何かに似ているものか、何かと何かを合わせた複合体のものしか、人って描けないものなんです!

そう!
すべては、経験から生まれた想像しか出来ないんです。


つまり、演技も引き出しも想像も、経験からなる自分が持つフィールド内でのことになります!

またこのフィールドを広げることは、役者として必須項目になります。


前置きが長くなりましたが、質問への回答としては、
経験によって創り出される「引き出し」を用いることは、ウソにはならないです!
それは仮に想像からの経験であっても、経験に他ならないからです。

台本を読み込み、その中での役を理解し、自分の経験(引き出し)と合わせて、そこに共感する。

また、自分のフィールドに存在する引き出しを上手く使い、
観ているお客さんに共感していただけるように表現をする。


すべては、一連の流れであって、別々のものではないんですね♪




ちなみに、この引き出しの増やし方は、「想像と創造」の連鎖から生まれます。

すべてを体験することは不可能です。

想像することでの体験をする。
その体験から、また新たな想像へと繋がる。


私の大好きな物理学者アルバートアインシュタインは、光速度不変の原理を、そうして導き出したと言われています。

相対的原理は光には当てはまらない。
光の速度で光を追いかけても、光は常に光の速度のままだ。


想像と創造の連続連鎖は、演劇の世界だけのものではないんですね♪



ってなかんじで、今日はこのへんで!



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