先日から、人が癒されるというのはどんな時なのかなぁ、ということを考えていて、文章化してみようと思った2つめの記事です。
前回の記事で、過去私が抑うつ状態になったときに『心の1人相撲』をしていたお話をしました。
その状態から抜け出るのに、私自身いろんなことを試してみましたが、その1つに『○○であることを、ただ眺めている』ということがありました。
当時、気力もなく、外へ出かけることがしんどかったので、毎日家の窓から空を眺めていました。我が家の窓からは幸い遮るものなく、よく空が見えるのです。
私は、ずっとこんなままではいけない、早く立ち上がれと、ハッパをかけていました。そして立ち上がれないと、なぜ立ち上がれないかと自分を責める、それらを繰り返していました。ハッパをかけてみたり、自分を責めてみたりの心の渦の中で、深く沈んで動けない感じの毎日でした。
天気の良いある日、雲がぽっかり浮かんでいて、私はただ雲をぼんやりと見ていました。
浮かんでいる雲を見ていると、1分、いや30秒として同じ形を保ち続けている雲がないことに気づきました。雲の形が刻々と変化するのです。
それから空に吹く風が強い時は、その変化が速いことにも気づきました。
ただそれだけのことだったのですが、そのとき思ったのです。
今は鬱々としてしんどいこの気持ちも、よく観てみれば固定したままずっと同じということはないのではないか、と。
そして空の雲が風の影響を受けるように、私の心だけが孤立してそのようにあるわけじゃない。私の心も他者や外界との何かの関わりの中で、常に変化しているものだ、と。
ー 1つとして変わらないものはない。人の心も、物事も、物質も、変化し続けるもの ー
ただ雲を眺めていて、空に浮かぶ雲のように私の心にぽっかりと浮かんできた考えは、私自身を救うきっかけになりました。
人は『○○であることを、ただ眺めている』時は、評価や分析をしたり、責めたりはしていません。読んで字の如く、だた眺めているだけですから。
人は幸か不幸か、思考する生き物です。思考することは大切ですが、塩梅よく頭が働いてくれないとき、思考し続けるその状態に私たちは苦しみます。
時には、脳ミソを休めてあげることが、とても大切です。
と言って脳ミソを休めるために「これをしよう、あれをしよう」と頭に考えを巡らせ過ぎると、それはそれで逆効果になってしまいます。
『○○であることを、ただ眺めている』がコツです。
『○○であることを、ただ味わっている』という感じもいいと思います。
○○には、あなたの好きなもの、あなたを心地よくさせてくれるものがいいかもしれません。
自分にとって何が好きなのか、心地いいのかすらもわからないときは、無理やり探さなくてもいい。
少なくとも怖い感じ、嫌な感じがしない物、自然を眺める、味わうで十分です。
空の雲を、ただ眺める
お茶の味を、ただ味わう
好きな音楽を、ただ聴く
好きな絵を、ただ眺める
好きなアロマの香りを、ただ味わう
自然の緑や風を、ただ眺める、味わう
この状態自体が『○○であることを、ただ眺めてみる』ということをしようと意志を持つひとに、安心感と癒しを与えてくれると思います。
まずはここからが、何事によらず、スタートになるかと思います。
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ボイスアートでは、『ただ自分の息を聴き、眺め、味わう』を通して、ご自身の癒しと心身の健康へと繋ぐお手伝いをいたします。