「トラッカー」トム・ブラウン(5) | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

古来変わることのない生活をしていたインディアンのメディスンマンが現代に生まれた白人の子供に伝統の知恵と技術を教えた。


物質文明という進化の時間枠で見ると、アパッチ族インディアンは過去の人である。

狩猟生活を続けていたからである。


アメリカ大陸にピューリタンの開拓民が上陸しなければ、彼らはずっと変わらない生活をしていただろう。


インディアンたちは物質文明の時間枠にはとらわれない生き方だったからだ。




「グランドファーザー」は時代の流れと無関係に生きた人だった。


私と一緒に「現代」を生きてきた人ではなかったのだ。


彼の持っていた智恵は現代の社会にはうまくあてはまらなかったが、すべてのものがありのままであった野性的な時代や空間を呼び物してくれる。


現代の時間や場所の概念は、彼にとっては無意味でしかなかった。彼の世界は無限であり、時間そのものが存在しなかったのである。


そこはまさに大自然と永遠の世界だった。


(『グランドファーザー』トム・ブラウン・ジュニア著、飛田妙子訳、徳間書店、1998、まえがき 7頁)



白人の開拓民たちが乗り込んできたとき、まさしく時間の概念と遭遇した。

狩猟生活から一気に最新の物質文明と対面した。


あるものは殺され、あるものは逃亡し、残ったものは白人の時間の概念の中で生活した。

インディアンが白人の時間の概念の中で生活するという事は、インデアンでなくなることであった。


これが起きたのは、古代でも石器時代でもなくつい二百数十年前、アメリカ建国の頃である。


いうなれば、アメリカインディアンのような生活は何ごとも起きなければずっとそのまま続いていたかもしれない。


でも起きてしまったんだな。


ここで途絶えるかもしれなかったことが、グランドファーザーを通じて白人のトム・ブラウン・ジュニアに伝えられた。


ということは古代の技術はいつの時代でも有効である。


このことから想像できることは、


地球原住民の戦士たちはこの技術をもっていたことで原生の自然の中で生き抜くことができた。


狩猟民族は原生の自然の中で生きる哲学を持っていれば、自然のバランスを考えて必要なものを狩りをし必要以上に殺さない。


決して絶滅させることはせず、レジャーですることもない。


ヨーロッパで生まれた新人は狩猟をレジャーとした。


参考:ウマと人間、5000年のおつきあい:競馬、家畜化、遺伝子、ソリュートレ文化、シェーニンゲン

[以下引用]2万年前頃のフランス、ソリュートレ遺跡(ソリュートレ文化のタイプサイト)からは、大量のウマの骨が発掘されており、群れを崖から追い落として大量墜死させて肉を得ていたのではないかと考えられている。

http://ameblo.jp/kawai-n1/entry-10261779018.html


さらに、イルミナティ・フリーメイソンは、いずれの原住民から伝統的な技術を奪い虐殺し、保留地にとじこめてきた。



トム・ブラウンはグランドファーザーがいないときは、地元のボーイスカウトに参加していた。


何か新しい技術を習得せんが為であったが、肝心のリーダーに理解されなかったし、技術面ではグランドファーザーから教えてもらったテクニックに勝るものはなかったという。(参考、『トラッカー』トム・ブラウン・ジュニア著、斉藤宗美訳、183頁~)


この技術のみ利用すれば、殺人鬼も作ることができることは、トム自身特殊部隊の訓練で反省している。(参考、『ハンテッド』第一章)


参考当ブログ:「トラッカー」トム・ブラウン(2012-11-20)
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11408941809.html



殺人鬼にならないために哲学やスピリットが必要である。



これを日本の場合に当てはめて、山本健造氏の言う飛騨天孫族を見るならば、


日本原住民もこのような伝統の継承者であり、故に精神文化を持ち、技術を発達させて武勇であった。


アメリカインディアンと違う環境は、大陸から新しい文化が流入したとしても、それを取得選択し改良することができた。


対抗するためすぐさま軍団を組織できたのも、もともと技術があったからである。


部落に閉じ込められ隔離されたとしても、また抹殺せんがため追われたとしても滅びることなく生き延びられたのは、このサバイバルの技術があったからである。


現代において、補償しろとか差別されたとか女々しいことは言わない。


第二次世界大戦においてアメリカの日系442部隊が武勇であったのは、このような伝統を日系二世たちが継承していたと言えるのではないのか。


砂漠だろうが、ジャングルだろうが、生命現象があるところであればどこでも生き延びられる技術である。


しかし、現代の近代社会システムと合わないものである。


現代社会で暮らす人間が病んでいく原因も自然から離れたことにある。


自然が成長するためには人間の手が必要である(開発ではない)というインディオの洞察は、自然と共存する思想である。



しかし、現代のシステム、自然世界遺産に登録され保護されれば人間の手が届かなくなる。


いずれ、限られた企業が開発のために踏み込むために確保しているのではないだろうか。


製薬会社の新薬開発はインディアンの薬草の知識によるもので、新しく化学合成された薬にとって代わられ、インディアンの知識による治療は野蛮とされる。



富士の麓に広がる青木が原樹海。


自殺の名所として人が近づくのをこばませるようだ。


しかし、インディオのサバイバルのテクニックがあれば、森に迷うことはないというし、バット・メディスンの場所であっても居ることができる。(参考、『トラッカー』203頁~)


シャーマン教育であれば、一時期このようなところでキャンプして恐怖を克服する試験が与えられる。


暗示にかかりやすい精神性の弱い人間が引き寄せられることもあるだろうが、目的として「人を近づけさせない」ためにそのようなことを吹聴したのではないのか。◆



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http://www.mfi.or.jp/tanken/koumori/koumori.html

写真拝借:青木が原樹海ネイチャーガイドツアー