「442」のプロパガンダ(6) | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

前回は「ブリエラの解放者たち」ドウス昌代著(文藝春秋、1983)に書かれていたことをネタに側面を探ってみた。


ちなみに、ご主人のピーター・ドウス氏は長年の功績から平成24年度秋の旭日中綬章を叙勲されておられる。
http://www.sf.us.emb-japan.go.jp/archives/PR/2012/pr_12_1108.htm


目の前に展開するあら筋と関係ないところを多角的に見ることで一方的に熱を上げたり狂信するのを避ける目的から、最終的に本質が見えないものかと思っている。


ダニエル・イノウエ氏が、今回の日系米国人三部作の映画制作全てにおいて出演され協力していただいたと、すずき監督の著書に書かれている。


ゆえに、イノウエ氏の名前が随所に登場する。


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ダニエル・イノウエ上院議員が、当時の日本の首相であった岸信介氏と会談をしたとき、日系人に日本の駐米大使をさせたいという話をすると、岸首相は「食い詰めて日本を出て行った移民に大使は務まるのか」というニュアンスのことを語り、ダニエル氏は大いにショックを受けたという。 かなり失礼な発言を、当時の日本の首相は移民出身の米国の国会議員にしたわけだが、実は多くの日本人は無意識にこれに近い発想を現在さえも持っていると、ボク自身感じている。


(『1941』すずきじゅんいち著、まえがき17頁)



岸信介のような立場からすれば日本原住民を追っ払ったのに、のしてくるのは許しがたきことだろう。


「多くの日本人は無意識にこれに近い発想を現在さえも持っている」…教えもしないで、いまだに西洋物質文明の方が高級であると思い込まされているからそうなるだろう。


最悪の戦争を生き延びた同じ日系人同士、立場の違いゆえに反目し合ったのをイノウエ氏が両方取り持ったのは、彼の政治的戦略ゆえなのか、死線を越えた洞察からなのかわからない。


しかし、与えられた時間でひとに尊厳を与えるような生きざまをさらすことは誰でもできることではない。

兵士としてエリートであり、政治においてもエリートである。


これだけエリートだったらあちらさんからリクルートされたとしてもおかしくない。



日系人のエピソードは、今まで大ぴらに語られなかったが、日本に対して利用しない手はないはずだ。


このような流れは、新しい戦争への心積りのプロパガンダを連想させる。


周辺国のきな臭い動きも動員され、今回の選挙で政権交代も行われたし、煽る人は各所に配置済である。


あとは、見本なり、手本を復習して記憶させ、本番に向け思い出させるよう暗示をかければいい。


アメリカン・インディオからスカウトの技術を奪ってトレーニングのマニュアル化されるごとく、442連帯の武勇は米国陸軍の教科書にも掲載されていてお墨付きである。


戦場で抹殺するつもりが逆転してしまったがために対応を改めざるを得なかったのではないかとみているが、優秀なものは優秀と認めてくれる。


精神ではなくテクニックだが。


第二次世界大戦はそのような意味で世界を巻き込んだ戦争に終止符を打つ大転換の時だったのではないだろうか。



一難去ってまた一難。


発信する者の腹づもりで素材が同じでも意味合いが変わるプロパガンダ。


どうもこの世は楽を追い求めるようなところではないようで、状況によって変化する柔軟さが求められている。


不運なメッセージを感情で受けとめ身構えなければ、戦う意味も変わってくるはずだ。


戦後生れの自分にとって、戦争の傷跡を見るたびに重くのしかかってきた暗たんたる思いが、そのように確信できたのは、アパッチ族のグランドファーザーの存在と生き方と考え方をトム・ブラウンの著書で知ってからだ。


グランドファーザーは部族でいう自然の治療師(メディスンマン)の立場であり戦士である。


インディアンは低級であるという発想を持つべきではない。


グランドファーザーの言葉は、本来人間が宿してきた純粋な思想がそのままの形で現代に伝承されたのではないかと思える。


人間でない思想は戦争を扇動する。

人間を破壊活動に加担させる。


煽動させられたり加担させられる人間の心理とはいかようなものなのか?

またはそうでない心理とは?


インディアンの戦士は無益な戦いは避けるのが本筋である。

しかし、やるべき時はやるのである。


自然の秩序を乱すのであれば、必要ならば命さえも奪うのである。

それゆえ、命の大切さを身をもって知る必要があるから厳しい修業に耐えるそうだ。


442日系連隊の武勇もそれが戦場という狂気の中とはいえ逆転させるべく華開いた瞬間だったのではないだろうか。◆



参考当ブログ;

「442」のプロパガンダ(1) 2011-08-29
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11001743335.html


「442」のプロパガンダ(2) ブリエアの解放者たち 2011-08-30
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11002765610.html


「442」のプロパガンダ(3)「ブリエアの解放者たち」その2 2011-09-01
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11004235059.html


「442」のプロパガンダ(4)ベン・クロキ 2011-09-02
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11005016270.html


「442」のプロパガンダ(5)カウンター・プロパガンダ 2011-09-06
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11009187053.html