石井一昌氏(元護国団団長)の近しい方から手紙が届いた。
亡くなったばかりの時は憔悴していたので声もかけるのもやぶさかではなかったが、時間も立ち落ち着きを取り戻したようだ。
当時の様子も少しずつ知らせてくれるようになった。
(抜粋)
石井一昌が口癖のように言っていた「香典泥棒」の団体(名称略)を継いだ人物が護国団の近くにいるのを危惧していました。
「俺が死んだら豹変する者もいるだろう」とも言っていました。
(以上抜粋)
私は右翼とも左翼とも縁がなかったのでその組織なり相関図はよく知らない。
しかし、私なりに考えて次のようなことが言える。
野良犬の群れは力で序列が決まり、力でトップが入れ替わる。
自然界のオオカミは家族社会である。
石井氏は権力が欲しくて団長になったのではなかった。
やむにやまれない気持ちが他人より抜きんでて、行動が早かったのである。
それゆえ、人が集まり、自然と上にすえられた。
引退後も当てにされて護国団の象徴としておられたのもその人望からであると思う。
ところで、某「香典泥棒」団体は護国団より派生したらしいが、石井氏率いる護国団の次に有力株であった。
このたび、石井氏の影響がなくなれば、力関係は「香典泥棒」団体の方が勢いがいい分上になるらしい。
この「香典泥棒」氏は、石井氏が具合が悪い頃、頻繁に出入りしていた。
そのとき石井氏は、次期右翼を背負って立つ人だと褒めていたが、いよいよある事件が起きてから本性がわかり決裂した。
いうなれば、石井氏を利用しようとしてまとわりついていたのではないかと思う。
こともあろうに、石井氏の最期を「香典泥棒」氏の息のかかった病院で迎えることになってしまった。
より衰弱していたところに、石井氏の嫌いな人物を見舞いではなく嫌がらせに連れてくる。
病室で一部始終を見ていた近しい人は、体の自由がきかないのに必死に抵抗しているのがわかったという。 これでよけい弱まったとも言っている。
最後を迎える少し前、「……ありがとう。ご苦労様」と耳元で大きな声で言うと、つぶってた目を少し開けて一度二度うなずいてくれたという。
稀代なめぐり合わせであった。。
手紙と一緒に石井一昌氏が残した言葉の自筆コピーも添えられていた。
上記のことを危惧して書き残したらしい。
「誰も止められない 地底よりのうねり」 石井一昌
これをみたとき、なんか中途半端な感じがした。
何を言おうとしたのか、少々考えた。
そして今日、もしかしたらこれは連歌かも知れない、と思った。
連歌の素養があるわけでもなし、ルールもへちまもあったものではないが、何か答えなければいけない気がした。
「迎え立つ 世を満たせよ いのちの波紋」 akazukin
おそまつでした。◆