まだ見ぬ世界のあなたへ届きますように。


私は善意のイジメを受けていました。
心が死んでしまうまで。
善意なのでわかりません。
相手も良かれと思ってしたことなのだから
違ったらそれは悪意です。



そして、こうして、
「私は善意のイジメで心が死にました」
「この想いを届けたい」
善意からです。

見方を変えたら私のこの行為も善意のイジメになるのでしょう。





イジメってなんですか?
善意ってなんですか?

私にはわかりません。


イジメは悪意からだけではないのです。
善意で車椅子を押してあげて「怖いから止めて」と言われて止めずに押し続けて怪我をさせたら、誰も攻めませんかね?
どうなのでしょう。
もう分からなくなりました。







それでも私はわたしの心が死んだことに気がつきませんでした。

毎日、ほらほらと善意で親切にされ続けて、わかりませんでした。

私は「いらない」「もういいよ」て何度も言ったのに理解してもらえませんでした。

だから少し距離を置きました。

置いたら大丈夫になるかなと、そしたら最後に私が大事にしている物を壊されました。


相手も壊したつもりはないのです、善意だから。
私もまさかその言葉が地雷になるとは想像していませんでした。






でも善意で真綿で首を絞められ続けて、少しだけ、死なない程度に息ができていました。
私は首を絞められている事に気づきもせず。

最後に最後にほんの少しだけ残っていた気道を塞がれました。

死にました。
でも死んだ事に気が付きませんでした。

私は「なにすんだよ!!!」と手を払い除けただけだと思っていたんです。

違いました。
気道を塞がれ、善意というナイフで心臓を刺されました。

死んだ事に気がつきまで2日かかりました。
その間はゾンビなのに、生きているフリをしていたんですね。
生きたフリって出来るんです。
初めて知りました。

どうか、どうかやめて欲しいと言っている者の声を聞いてください。






心の殺人は罪にならない日本です。
心の殺人が善意で行われた時、証明をするのは無理だと感じます。


心の死んだ因果関係で相手を裁く
無理です。
今この瞬間には死なないです。
長い年月をけてじわじわと死ぬんです。

石に水滴が落ちて穴が出来上がるように
善意のイジメはそんな感じです。
私にとって。





それを気づけというんです。
なぜ気がつかなかったと責めるのです

気がついた時には手遅れでした。







私がここにこれを書くと相手のあなたは
私のことを書いて、「あなただって私をSNSいじめてるじゃない!!!」
と言うのでしょうか?

あなたにしてみたらイジメにうつるのでしょう。
今の私と立場が違うのですから。


では、私のこの記事があなたにとってSNSでのイメジまだと言うなら見ないでください。

ここは私の心です、あなたが誰かわからないように書いてます。
あなたを特定できるものは何一つありません。
あると言うなら教えてください。
削除します。
それが私にできる、あなたがイジメだと感じているものをやめる手段です。
どうぞ隅から隅まで読んで、第三者「あなた」とわかるものを教えてください。消します。
でも言いがかりはやめてください。
第三者が読んで「あなた」とわかるものだけを教えてください。

そして二度と見ない選択をしてください。

この時代、情報を
取りに行くのは自分です。
何を見て、何を聞き、何を得るのか。
選択の自由はあなたが持っているのです。
私ではありません。
間違わないでください。


私が届けたいのはあなたではありません。

私が届けたいのは私に立つ力をくれる、「まだ見ぬ世界のあなた」です。
心が壊れ始めている事にも気がつかない、
心が死んでいることすら知らない。
善意のイジメを受けているかすらわからない、
まだ見ぬ世界のあなたに届きますよう。
それだけです。





まだ見ぬあなたへ。
今もあなたは私に力をくれています。
私の死んだ心があなたの気持ちを代弁できているように。
あなたの心があなたの大事な人に伝わりますように。
その一助になればと書いています。

私に立つ力をくれてありがとう。
私は立ち上がります、立ちます。
涙がでて、手が震えても、まだ見ぬ世界のあなたのために書き続けます。