お腹が空いたのでカツサンドを食べました。
普段なら三切れ全部食べれるけど二切れでお腹がいっぱいになりました。




今回と同じように善意の押し付けがグイグイとあった時、私ははっきりと「もう入りません」と言葉で伝え、彼女の前から消えました。




では今回と前回、なにが違ったのでしょう?
前回は目に見えました。
周りの人達にも目に見えるかたちでした。


会うたびにカレーを食べなと出されます。
渡されます。
「いらないよ」
断ります。

「もらってよ」「食べてよ」とグイグイと渡されて無理やり食べさせられます。

目に見えるから「やめて、いらない」って言えます。
伝えます。


伝わりませんでした。


目に見えるからわかった。




そしてもう一つ違ったことがありました。
これは私が今、そう感じている、私の中の受け取り方です。
あの人を否定するものではありません。
感じたものです。



あの時の彼女には心がありました。
良かれと、人に施すことが好きな人だったのです。
だから辞めてと言ってもやめてくれなかった。

それでも相手に、喜んで欲しい、喜んでもらえたら私が嬉しい、
そんな心が見えました。



それでも「いらないよ」と伝えても伝わりませんでした。



だから私は、何も言わずに彼女の元から去りました。
連絡手段を残したまま。

彼女は突然どうしてか分からなかったはずです。
それでも私は何も言いません。
ずっと伝えてきたから「やめて欲しい」と。






人は自分の見方でしか善意を示せないのかもしれません。
でもそれは押し付けなのだと気がついた人はやめてくれます。



そして確認してくれます。
「やめて」と言えば理由を聞いてくれます。

そして「そうなんだね」って、出したカレーを下げてくれます。

そして「私は千賀さんにカレーを食べて欲しかった、理由はね」と気持ちを話してくれます。
だから私は「ありがとう」と受け取りながら、いらない理由を話します。
コミニケーションが取れます。

気持ちを話さず下げてくれる人もいます。
それは人それぞれです。

ちゃんとやめてくれます。






そして今回のあの人には心が無かったのです。
全てが壊れ、私の心が死んだ時にわかりました。


善意の押し付けではなく、
善意という名でコーティングされたイジメです。



私は書きました。
これは善意のイジメだと。
何も受け取ってもらえませんでした。



目に見えないカレーを無理やり食べさせ続けられ、
「やめて」と言っても伝わらない。

何度も何度も「やめて」と伝えたのにやめてもらえなかった。

どんな言葉を選んでもやめてもらえなかった。




きっと今でなければ別の方法でお別れすることができたのかもしれません。

言っても言っても伝わらない。
そして息子への想いを心の奥底に深く隠していた今。
それを暴く言葉を最後に投げられました。

溢れて壊れました。
そして私の心は死にました。




きっと今コロナ騒動が無ければ、フェイドアウトして、
私は人知れず溢れたコップの水を川に流して終わったのでしょう。


川に流して水を捨てる前にコップが壊れました。





お風呂に入ってゆっくり過ごしたいと思います。
声を殺して泣いた朝風呂以来です。

そうですね、私は書いたのですが、
声を殺して泣きましたと、
何も伝わりませんでした。
何がが伝わったとしても横に置かれたのでしょうか。


何を伝えても、何を書いても伝わらない。
あの人に心が無いと感じるから、
私がそう感じるから
「のれんに腕押し」
「糠に釘」
それは善意の押し売りに使われる言葉だと感じます。






そして妹が言います。
「そんな奴のことは忘れてしまえ」
友だちが言葉をくれます。
「もう忘れないよ、その程度の人だったんだから」と


「その程度」
違います。
その程度ではなく、
想像を絶する善意を押し付けた善意のイジメ。
そんなあの人だから私の心を殺せたのです。

前の時の彼女に私は殺せませんでした。
それは彼女に心があったから。