今日は日曜日。
自宅にいると布団からですに丸まってそう。

意を決して外に出てきた。
カフェで他人の気配を感じながら、ある意味心地良い。
無関心いる他人。
でも1人でなは安心感。

見知らぬ他人もたまには心地が良い。






私の人生で縁切りした人は1人や2人ではない。
やはり合わない人はいる。
合わない人とは自然に疎遠になる。

疎遠になりながら新しい友人関係が出来上がる。





私は職場など共通な場所にいる間はその人とすごく仲良くなる。
そしてどちらかが退社すると年々合わなくなり疎遠になる。
今なら見ず知らずの他人と変わらないくらいに。






そんな友人関係で、「一緒のものが好き」これだけで仲良くなれる。
そして仲良くなるが違和感が介在する。

その違和感を感じ取り離れる時がある。




「一緒のものが好き」
話が合うのだ。
その距離は瞬く間に近づく
近づきすぎて違和感がわからなくなる。



そんな中、強烈に違和感を感じ始めた人がいた。
そして気がつかないうちに、その人に対して強迫観念を抱くようになった。

その人は言うのだ、なにかある度に
「ずるい」と
その人がいない所で進んだ話を聞きつけると「ずるい」
事あるごとに「ずるい」

強烈な人だ。



事あるごとに「ずるい」「ずるい」と言われ続けると人は麻痺してしまうのかもしれない。

私はやってはならない罪を犯した。
その人の「ずるい」に追い詰められて。


その罪はやってはならない一線だった。
そしてその罪を犯した時、初めて気がついた
「その人に「ずるい」と言われるのが怖い」
怖いから、
言われたくないから、
言われないために行動する
「ずるい」と言われないための行動
その人とその人と関わる人といる時の私の判断基準は
「ずるい」と言われるか言われないか。
それだけになっていた。






その罪を例えるなら万引きが近いかもしれない。
私の罪は法を犯さなかったが大事な人を傷つけたのだから。


ある日、その人がいない場所で集まりがあった。
その場その人が欲しがる物がある。
みんなそれぞれに自分の分をレジで精算して行く。
私も自分を分を精算する。

そして魔がさしたのだ、その人の分を会計せずにポケットに忍ばせた。
そして店員に見つかった。

こんな心境だった。

そして私は悟った、その人が怖いと震えている自分に。

だから物理的にその人と距離を追いた。

その人は自分に正直に生きているだけなのだろう。




私はもう二度と「同じものが好き」で人と急速に仲良くなるのをやめる。

「同じもの」を話していても価値観の違いがあったのに無視した。

「同じもの」だったから

私の「同じもの」と好きの内容が種類が違うのだから、もうやめよう。

もう二度と「同じもの」で仲良くなるのはやめる。





今、残るわずかな「同じものが好き」の人だけで。
私はわたしの心を守ろう。
もう二度と間違わないように。


たくさん間違ってきたけど。
もう、いい人でいるのをやめよう。
私も「いらない」と言えるしなやかさを身につけよう。



わたしの心と大切な人を守るために、悲しませないために。
わたしはわたしに戻ろう。
わたしがわたしであるために。