今日のお昼はパンにバター塗って一口サイズに切ったものです。
それとコーヒー

パンが大好きなので嬉しい。





私の大切な友人。
彼女の話をうん、うんと聞きながら、彼女の深い絶望を感じとる。


深くて、深くて、膝を抱えて海の底に沈みゆく、深い悲しみ。


涙を流すことなく、淡々と語る。



絶望を感じ取りながら、うん、うんと聞く。



絶望が深すぎて書ける言葉が一つも見つからない。
どんな言葉も届かない。
そう感じてしまうくらい、深くて悲しい絶望感。




そして大切な友にかける言葉を持たない無力な自分にガッカリした。








今なら思う、
言葉などいらなかったのだと。
どんな言葉もいらない、
ただただ彼女の絶望を聞くだけでよかったのだと、


そして彼女が心を守るために、膝を抱えて漆黒の海の底に沈むことを見守るだけでよかったのだ。


それは彼女が最良と信じて行った行動だったのだと、
その言葉をうん、うんと無言の肯定だけで良かったのだと。

今なら思える。




彼女の心の悲しみは深い。
同じ経験をした人なら「わかる」のかもしれない。
でもそれは彼女の悲しみと似て非なるもの。
同じではない。






私の今の状態だから、彼女がして欲しかった行動に気がつけた。

その時むやみに言葉を出さねくてよかった。


今の状態の私なら、寄り添い声をかけてくれる友達の言葉は嬉しいと、ありがとうと受け取れると思う。







もし自助グループなどで、「わかります」と見知らぬ他人に理解を示されたら拒絶するだろう。


きっと私の何を「わかった」というのだろうと、スッーと一線を引く自分を感じる。






人の心とは難しいものだ。
友達になら声をかけられても受け取れる、
自助グループだと受け取れない。

それはきっと心をどこまで許しているのかの違いなのかもしれない。


そして私がわかったと感じる彼女の心もわかってないのかもしれない。



寂しいけど、それでいいと感じる。
同じ体験をしても似て非なるものなのだ。
赤と紅のようなものだ

それでもわかってほしいと叫びたくなる。


複雑怪奇な心。
わかって欲しい、けど、わかるわけないだろと叫ぶ心。