昔、友人が言っていた。

「あの人、サイコパスだよ。行動が当てはまるもん」

あの人、仮に花子さんと書こう。




花子と交流を深めた友人は言う
「花子さんはサイコパスだよ」

花子の行動がネット検索に書かれるサイコパスとそっくりだと言う。


その行動や発言で友人は傷ついたようだ。





私は医者が診断名として、サイコパスと診断した方にあったことはない。

だからわからない

サイコパスと診断がつく人の行動を私は知らない。





友人は花子と交流を持ち友人関係を構築して行った。


私は花子とは2、3度会ったことが程度だ。

だから友人が感じた花子に対するサイコパス疑惑が
どのような行為や発言を持って言っているかはわからない。









私が花子と会って感じた印象は、

母親に愛されたい、認められたい。

母に愛されないのなら、その代替えを周囲に求める。

そんな感じだった。




そして私は無意識に花子のエネルギーを読んだのだろう。

花子は母に認められたいのだ、認めて褒めて欲しい。



幼稚園のかけっこで1等になり、先生が折り紙で作ったメダルをもらう。

誇らしげで嬉しい花子は母に見せる。
笑顔で。

しかし母の発した言葉は花子が求めるものと違った。
拒絶に近いのだ。



「幼稚園のかけっこ?1等賞?
妹の海子は幼稚園学習テストで全国3位よ。
幼稚園でなんて、それもかけっこでなんてくだらない。」




そう母は花子に言ったのだ。

花子の心はしおれて行く。

そして母の求める子になろうと必死の努力をする。

しかし、それを遥かに超えた結果を妹の海子は母に渡している。

そんなエネルギーの風景を感じたので、兄弟の有無を聞くと、同じような状態だった。







そして、私は思う。

花子と友人関係を構築して行った友人は当事者。
私は第三者。

立場が変われば相手の行動の受け取り方は全く違う。


私も花子と友人関係を構築して行ったならば、そう感じて行ったのかも知れない。







善意ハラスメントも立場が変われば見え方が変わるのだ

第三者には親切で思いやりあふれる人

当事者には無理やりカレーを「美味しいよ」と食べさせ続ける人。



受け取り方は人それぞれ。

その受け取り方を否定されたら辛い。